中性的魅力から女性的魅力へ。
昨日の日記につくばKMさんからコメントをいただいて、ちょっとドキッとしたんですが。>>いや、朔夜さんって、男性的な女性かなと思っていたんですが、この文章を読んで、女性的な方なんだなあ、と思いました。失礼しました(笑)。(November 16, 2006 01:06:24)つくばKMさんより昔からつい最近まで、男性的にというか「中性的」にふるまうことをよしとしていたふしが朔夜にはありましたね。少年のようにふるまうというか。そう、それが自分のアイデンティティみたいに思っていたふしがありました。それがこのところ変化して、「女性らしい魅力」を身につけることは美徳だと思えるようになってきました。具体的なきっかけは思い当たる点がいくつかあるのでまた機会があれば書きますが、文章を読んでいるだけでもそういうことは伝わるんだなーと不思議に思いました。つくばKMさん、コメントをありがとうございました。---------------追記「朔夜の女性化(笑)」については、以前にクラモトさんからも予言を受けていまして。具体的には、「最近女性っぽい歌も歌えるようになってきましたー」「オンナノコが行きそうな雑貨屋が好きになってきましたー」「エレガントな服装もたまにはするようになりましたー」という朔夜の近況報告へそれをきっかけに女性化が進むんではないかと意見をいただいていたわけですが。名前も「咲夜」に改名してみては?という提案もいただいていたのですが、思うところあって拒否(笑)で、クラモトさんからは今「サクヤさん」とカタカナで呼ばれています。(あ、わたしもカタカナで呼んでるから…あいこかぁ^^;)------------->思うところあって朔夜の「朔」はセカチューの主人公や詩人萩原朔太郎など男性名にも使われている漢字なのですが基本的には「月」のイメージ。同じ女性らしさでも「自分に合った女性らしさ」というものがあるように思えますが、自然の風物にたとえるならそれは花のような女性月のような女性鳥のような女性。などなど、さまざまにあると思います。その中でも目下、月のようなレディーを目指している朔夜67なのでありました。