植物とともに在る生き方
【師匠(クラモトケイゾウさん)の2005/07/14の日記へトラックバックさせていただきます。】<PQへの考察と植物>本文(メインで書きたいこと)は◆ の項で、余談は※注 の項で書いています。~もくじ~◆1:若木のイメージ◆2:喚起された昔の記憶◆3:観葉植物ことはじめ-------◆1【若木のイメージ】身体の滞りや固まりを解消するために上下方向に伸びをするとき。自分が植物になったような思いに浸りながら伸びをします。すると効果的な気がします。…(※注1)大地に両足をしっかりつけ、大空にむかって両手を広げる。植物もこんな感じで土にしっかり根をはり、太陽に向かってすくすくと伸びているのだ、と。--------※注1高岡先生の「究極の身体」には究極の身体は魚に近い、とあったような気がします。後日わかさぎのフライをした時、揚げたてのわかさぎを見ながら「こんな感じなのかなー」と思ったことでした。揚げたわかさぎ、筋が一本通ったようにまっすぐだったんです。しかし、陸で伸びをしながら魚をイメージするのは私にとって難しい。きっと私が今その段階にいないのでしょう。水の中に入って泳ぐ時には、魚をイメージして伸びをすることができます。-------◆2【喚起された昔の記憶】『僕の地球を守って』(※注2)(日渡早紀著、白泉社)という漫画を単行本で読んだ時、欄外のコーナー(作者が発刊に当たって協力してくれた人たちに感謝の気持ちを述べたり、よもやま話をする枠)の最後で定番のように発していた言葉がありました。「それではみなさん、(これからも)大地にでんっと足をふんばって、大空に両手を広げて、(生きていきましょうね~)さよぉ~なら~っ☆」こんな感じのセリフでした。読んだのは15年ほど前なので正確には忘れてしまい、( )内はあったかなかったか自信無し、「大地にでんっと足をふんばる」主語が作者なのか読者なのか曖昧な記憶…ですが今にしてなお、その言葉の「どことなく神秘的でそれでいて元気をもらえるような印象」だけは鮮明に思い出されます。------※注2ちなみに、『僕の地球を守って』のヒロインは植物と話ができます。前世では歌うことで植物を成長させることができる人だった設定です。私も漫画を読んだ当時、その設定には非常に惹かれました。しかし、自分がそうなりたいと思ったかというとそうではありませんでした。動物や小さな子に話しかけるのは苦手な自分だったので、もし植物と話ができてもろくに口をひらかなかったでしょう。今なら、(もしそういう能力を持っていたとしたら)植物と話したいと思えるかも。◇植物との関わりの話以外に人とのコミュニケーションについても同じ事が言えるのであって「植物と話せる能力がもし身についたとして、私は饒舌に素直に植物と話せるだろうか…?(いや、話せない)」→古典で習った反語(笑)…と思った当時の私は人と関わるのは「嫌いではないが苦手」「上手な方法がわからない」感じだったのではと思います。ここ10年ほどの経験を経て、多少は自分が快適な人との交わりかた人に対しての自分の表現方法が多少はわかってきたのではないかとおもいます。今なら、植物と話せるかなっ?朔夜67の母は、植物と話していますよ。朝、水やりをする時に…☆(※注3)※注3植物には声をかけて可愛がって育てると、成長が良いそうです。植物とは別ですが、ピロシキ生地にチャイコフスキーを聞かせながら作るピロシキ屋さんもありましたね。ちなみに、A褒めながら育てられた植物B罵倒されながら育てられた植物C無言で育てられた植物では、成長率はA>B>Cだそうです。A>C>Bでないのが意外。-----◆3【観葉植物ことはじめ】先日、友人が観葉植物用のフラワーポットをくれました。半円状の黄色がかった半透明な器。なんとなくお月様のイメージです。スチールのひもを通して部屋に吊り下げるのです。ミリオンバンブーの小さな苗木を買ってきました。今回の花器、ミリオンバンブー、ともに水耕栽培に向いているとのことで、水を含んだジェルで育てることにしました。私が植物動物含め、何かを「飼う」のは久しぶりです。フラワーポットをくれた友人にミリオンバンブーの名付け親になって貰いました。彼女は自分の飼う動物、植物のみならず、愛車や携帯電話にも名前をつけている、命名の達人です^^さてさて、私の植物に頂いた名前は「アンジェリカ」です。ラテン語の「天使」(原形angelicus,活用形にangelicaが有)が語源だそうです。「天使は清(すが)しき家に舞い降りる」という言葉がありますので、…お掃除がんばろ~っと☆参考文献:(タイトルが参考なだけ;)『天使は清しき家に舞い降りる』集英社カレン・ローガン佐光紀子=訳合成洗剤をやめて重曹などを使うナチュラルなお掃除の本。佐光紀子さん自身の著作も私は結構好きです。(上記は訳書ですが)