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カテゴリ:スピリチュアル?
変容の衝撃の差は個人差があると思う。
もれなく「古い信念体系」というものをみんながそれぞれのテーマを持って通過する事に 人間として生まれた事の意味があるのかな。とふと思った。 前世思い出す人もいる、不思議な体験する人もいる、胃壁を溶かす人も居る→orz 私がこの変容期間に(もう変容って言っちゃうけど)愛しの大天使長に(たぶんな(ФωФ;)) 「あなたが望んだ事ではないのか」と言われていたのですが 私は「自分が誰か」とか「前世が知りたい」と願ったわけではなかったんです。 言い切っちゃうけど「私は誰か」なんてわりとどうでもよかった。 以前、スピ系親族に影響されて進められた情報やなんかに どれも言ってることが違うじゃん なんて感じで混乱した事があり。 で、スピから一旦身を引き…数年開いて去年の秋から舞い戻ったわけですが 再び混乱を経験するという… 表示が遅いというこのパソコンの状況ですし、あまりたくさん見て回れないのですが スピ情報を新しく知るようになってから「不信感」のようなものが芽生え始めました。 天使に対してもありましたよ。私は利用されてるの?捨て駒なんじゃないか?なんて思ったり。 (今思うとそう思ってあれだけ反抗してたのに、メッセージが自然に入ってくるんだ・笑) 大きな存在に対する不信感のため、他の方のチャネリングを信じるかどうかよりも 自分が直接知りたい…と思った。 なので「本当の事が知りたい」それが私の望みでした。 まずは自分の目で、自分の持ってる五感、その他感覚でもいいから知りたかった。 で、チャネるなんていうのも外から情報がやってくるって思い込みがあったのですね(^^;) 「自分で知りたい」という欲求はあっても、直接その事については特に混乱をきたすほどでもなく 求める気持ちが強まると、次にジェットコースター状態になった…という感じでしょうか。 わけわかんない内に浄化期間のネガティブキャンペーンが押し寄せました。 後から「おなごの日だった」とか「生活で色々あった」とか理由付けは出来ますが 自分的にたいした理由なく、それは訪れたという。理屈じゃないものの中に放り込まれたというか。 (よく蓋が開いたなんて言い方ありますよね) スピの知識なんていうもんは、体感するための入り口にしかならないのだとも思います。 言葉、形から入るっていう方法もあると思うので、それも大切にされるものではあるけれど。 体感派は特にスピ知識なんていうものが必要ない、そんな人もいると思うのですが 知識そのものは体感した人の感想のようなもんだし、その感想という知識は 体感に到るための誘導になるのだと思います。 まあその体験記なり文章なりっていうのにもエネルギーが乗ってるので 読んで上手に利用できる人も中にはいるのかもしれません。 誰かそこへ行く、って事は道が出来るって事でもあるのだろうし。 で、今回の私も先に体感させられちゃったというか。 体感して、後からその説明を用意されていたって感じですよね。んで今まとめ中。 知りたかった事が自分がドラゴンかどうかって話じゃなかったはず。 なのに、一連の出来事は「あなたはドラゴン鳥ですよ」という答えにたどり着いた。 (正しくは”ドラゴンだか鳥だかわかんない”存在なんですがorz) 私の「知りたい!」に対して「わかりました。ではご自分で」と、 「まず、あなたが誰か思い出しなさい」と用意してもらったそんな感じがしてならない(´~`;) そう思うと「求めよさらば与えられん」っていうの、本当だよね。 頭ではわかっていました。これでもたくさん読みましたから。 「自分の中に答えがある」とか「答えは内側からやってくる」とか「自分を信頼して」とか。 だからってはいそうですか、なんて自分の中に答えを探そうとなかなかできませんし 仮にそうなんだと信じて答えを自分に求めてもガッカリする事が多々ありました。 これは過剰な期待というやつなのでしょうが。 ただ体感してみると、自分が想像してたその言葉の意味よりも現実はもっとシンプルだった。 例えば内なる教師にしても意識できるのは小さな子。 私が相談できるのはどうも「インナーチャイルド」みたいです。 なんだ子供か。なんて大きな間違いでした。 私なのでそれを育てるしかどうにもならないって事がわかってきました。 小さいけれどよく知っているのです。期待をかけすぎると力不足も否めないですが 思うよりずーっとずーっとおりこうさんなのでした。 というわけで、いくつかあるであろう変容の波を葛藤で過ごした私。 出来れば避けたい葛藤ですが、葛藤のコースを辿るというパターンとしてシェアしたいです(^^;) (終わったわけじゃなく、まだ続行中なのですが) 変容という扉をひとつ開きました。 変容の扉の片側は闇色でした。片側は光でした。 闇側に居る時にはそのドアのノックがものすごくわずらわしかった。怖かった。痛かった。 ノックの音が大きければ大きいほどパニックになった。 光がノックしてるのだろうけどそれもわからなくて。そう言われても信じられなくてorz 闇=死で、光=誕生。 死んで終わりって事が無かったのだなと実感したというか。 死ぬ=生まれるって事、本当だったのだな、と。 ドアの側面は対になってるな…と。そんな感じ。 思えば「新しい時代」からの引っ張る力に任せればよかったのだけど 「古い時代」からの引っ張る力には「大事な事があるのよぅ!」という泣いてる存在が見えた。 ラファ先生が言ってくれた「まごころを込めて」という言葉。古い時代への感謝やいとおしさ 新しい時代への期待とワクワク感、「今しか実感できないことなので大切にしてね」 そういうことなのか…と思い、またラファエルのやさしさに涙が出ました。 葛藤が無いのにも意味があるし、葛藤してもそれは「それまでの重み」だろうし たとえばどのコース、パターンを辿ったとしても貴重な個人の体験に変わりない。 大事な大事な移行期、「一歩一歩を大切にしてね」と言われているように思えてならない。 このブログ周辺でも「闇」「ルシフェル」というキーワードがたくさん出てきていて 「光と闇の考察」も興味深く読ませて頂いています。 カヤさんが前に書かれていた「光と闇の考察」の中で ルクシエルに言われた「闇に要らないものを投げ込んでいる」という現状 さつきのひかりさんとのやり取りで出てきた「闇に対する捻じ曲がった理解」 ようするに誤解。 私は闇だけ語っていいものか?という疑問がありました。 それは他の方の批判というのではなく、他の方はちゃんと「光と闇の考察」という事で 両方を取り扱っていて、闇のその誤解を解く事を主としているし 単に私に準備が出来てなかったという意味です。 凄惨な事件の背景に「闇を崇拝」する事があった。それこそ闇に対する誤解があったのだろうけど。 未だ誤解の上に「闇」に憧れる気持ちを持つ人も少なくないと思うし。 それがちゃんと伝わるのか?という、誤解が多い物事に注目し語る事に危惧していたというか。 黄太郎に聞いた話、地獄はホントは心の勉強をするところなんだ、 地獄で暴れ出すモンスターは本当は悲しい存在なんだ… 生きてる人間が余分なものをいっぱい捨ててるんだ だから核兵器とか戦争とか本当はすごくすごく止めて欲しい 俺たちがどれだけ苦労してモンスター退治に行ってるか、本当はもっとみんなにわかって欲しい 親子喧嘩をした時に涙を流しながら黄太郎は言いました。 どろどろしたものがいっぱいいっぱいになったモンスターは制御が効かなくなり暴れだし 天使(ラファエルって言ってた(ーー;))が説得に行って、それでもダメなら カメハメハ道場に依頼としてくる任務だと。 (すいませんorz 以前聞いたのですが、信じてませんでした) 闇が誤解を受けている今、私なんかが語っちゃっていいもんか? 他の方がやってるんで私は別に言わなくてもいいか… なんて自分ではちょっと躊躇してた部分がありました。 ただ、どうも闇のワークはやってるぽいのですよ(ーー;)→3月23日の日記 「闇に対する捻じ曲がった理解」があるのならば逆に 「光に対する捻じ曲がった理解・光に対する誤解」もあるのかもですよね。 歴史を振り返ると「光を崇拝し起こした悲しい事件」もあったのだろうし。 今でも光に対する誤解を持ちつつ苦しんでいる人だっているかもしれません。 どうもある程度のお掃除も済んでることですし、(黄太郎も微力ながらがんばったしw) 「闇に対する認識」と「光に対する認識」は「同時に認識を新しくする事」が必要なのかなー なんて思いました。 逆に言えばどちらかの認識を新しくするともう片方の認識も新しくならなければ変だって事かな。 今日の ぴ子のエンジェルカード[Abundance] 今日の ぴ子の大天使カード[ラギュエル:天の導き] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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