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2008.07.20
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カテゴリ:シンクロ??
最近『2』という数字に縁があります。
というのも単に2っていう文字じゃなく、2回。
この間、何かのカードを引いたときに「サインがありますよ、3回続けてサインで知らせます」的なメッセージを読んだので3回だと思ってたんですが、最近あるのは2回なのですよ。

数日前、通勤で使う駅、近くのスーパーで、よちよち歩きの赤ちゃんがそれぞれ
お父さん、またはお母さんに手を引かれて歩いてるのを見かけたのですが
くるっと振り向き、私の顔を見上げて目が会うと「ニコー(^∀^)」って笑うのです。
一瞬の出来事ですが、こっちも思わず微笑み返します。
それ、2回続けてありました。

その時は一瞬の出来事で、2回目の赤ちゃんの笑顔に私の笑顔が間に合わなかったので
「もっと早くに反応できなかったのか」って自分をちょこっとだけ責めました。
でも待てよ?「赤ちゃんには与えるもの」って思い込んでないか?と、
あの笑顔は赤ちゃんから私へのプレゼントだったんだと思いました。
笑い返さなくても赤ちゃんは気にしないし、赤ちゃんからの挨拶を受け取ればいいだけだ。
そのへんでちょっと自分の「受け取り下手」を認識。

そして、彩雲。
サインといえば彩雲(笑)
つい先日ははっきりとした彩雲を見つけて、写メこそ間に合わなかったのですが、
目に焼き付けて帰ってきました。帰って間もなく、黄太郎がニュースの天気予報を見ていて
「お母さん、見てみて!」って言うので見てみると、なんと彩雲の映像。

テレビによると、偶然撮影できたと言う事らしい。
私も「おお(@@; 二度あることは三度ある?」って期待したのですが、2回。
この時に、何で2回?って3回目を待ってたんですが、無かった(見つけられず?)。

で、その数日後、会社での出来事ですが、荷物で両手がふさがってる私に会社の人が
通りかかったついでにドアを開けて待ってくれてました。それも2回です。
でも、私はドアの向こうに用事がなかったので2回とも断ったんですね。
もちろん、心遣いはふつうに嬉しいので断ったあとお礼を言いました。

いずれの出来事も一回目から2、3時間以内の出来事。
彩雲に至っては20分くらいの間です。

帰ってきてからその出来事がずっとひっかかってて、
「なんで2回もあったんだろう?」って思ってました。
その時は赤ちゃんの笑顔と彩雲の『2回』っていうのと繋がりませんでしたが。

ただ「ドアを開けて待ってもらってる」っていう言葉としてのキーワードが浮かびました。
(行き詰まり限界感を感じていただけにorz)

せっかく開いてもらってるのを、私の行動に活かせなかった。
私は厚意を受ける準備が出来てなかったんだ。

私は受け取るのが下手だorz
すぐにそれはわかりました。
思い返してみると、出来事をお礼を言うという常識的な処理で済ませて
心の中で「ほう。紳士じゃ~ん」って感想があっただけ(笑)
たとえば、道を歩いていて、黄色い花が咲いてるなー・・・と視野に入るのを確認しただけ、みたいな。
普通に嬉しい=「自分が嬉しいとわかってる」つもりになっていた=花をちゃんと見たもんだとばかり思っていた。という感じでしょうか。視野に入ってただけでしたw(笑)

わざわざ私のために取ってくれた小さな親切を、断るという事が2回続かなかったら
スルーするところだったのです。
「紳士じゃん」なんてよく考えてみたら失礼なやっちゃな。おいらは;
相手の行為を「当たり前」だと思ってるということは「受け取り下手」って事なんですね。

そうやってよく思い返してみると、やっぱりすご~く嬉しかったんだと気づきました。
あと申し訳ない気持ちもあるんですが(^^;
せっかく開けて待っててくれたのに通らなかったんだもんね。

だけどね、ちゃんとそれを実感するのと、嬉しいと思い込むのと全然違うんですよ。
ただただ感じてみる、それに尽きると思いました。
「受け取ってどれだけ嬉しいか」を実感する前に、いかに早く感謝を表すか、いかに早く相手に返すか、って事にとらわれすぎてました。感謝として脳が処理すんのが早いんだね(笑)
赤ちゃんの笑顔の出来事の意味がそれでした。

家に帰ってからいろいろ思い出してるうちに、フリーページにも書いたんですが
以前、「後から受け取った小さな厚意」のことを思い出しました。
実は、その話は妹の結婚式に出席するためにアメリカへ旅行した時の話です。
妹の旦那さんはアメリカ人だけどとてもシャイな人でした。
言葉も通じないと言う事もあって、会話らしい会話はなかったんですが
結婚式の後、そのシャイな義弟は彼の方から私に話しかけてくれて
片言の日本語で「来てくれて、ありがとう」と、ぎこちなく抱擁してくれました。

その抱擁はアメリカ人にしては遠慮しすぎ?ってくらい遠慮があって
ギリギリ触れてる感じの抱擁が、自分の精一杯の感謝の気持ちを表現してくれてるのが伝わってきました。
で、その時も「その時の私のめーいっぱい」の嬉しさを感じてたはずなんですが
旅行から帰った後の悪夢のような日々を過ごした後、3年ほど経った頃に
なぜか急に思い出して、嬉しさを実感しなおした事があったのです。

今とは比べ物にならないほどの苦しい出来事の後、一旦、気持ちの上で自立し
孤独でパニックになるような事が無くなって以来、落ち着きを取り戻していたのですが
その数年前の義弟の抱擁を思い出して、わんわん涙が出ました。
義弟が社交的なら表面上、なんの抵抗も無く挨拶できたであろう行為。
別にそうしなくてもよかった事でもあるし、適当にやってもよかった。

でも、してくれた。
ほんのちょっとの気持ちを行動であらわしてくれたこと。
小さな心遣いを「私のために」してくれたこと。
涙が出るほど嬉しかったんだ・・・って気づいた事があるんですよ。
いや、ものすごく嬉しい事だったんだって気づけた事が嬉しくて涙が出たのもあります。
という感じで、出来事のずいぶん後から「受け取った」という事があって
その出来事が私にとって、結構重要なターニングポイントになったわけです。

自分がこんなに嬉しかったっんだ、と言う事を、発見したのです。受け取ってみると。

「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」
何回言ってもこの気持ちが表せないんじゃないかと思うくらいに、感謝が湧いてくる。
もう一回ちゃんとお礼が言いたい。ありがとう。
そんな気持ちを実感した、その時は「もったいないからもっと感じたい」と思うくらい。
この気持ちはもっと広がるはず…そうすればもっともっと感じられるはず…

言葉にしてしまうと、すっごい変なニュアンスになってしまいますが(笑)
こんなステキな事に気づかなかった、っていう気持ちが湧いていました。

「ありがとう」はいい事だよね。
感謝をたくさんできる人は偉い人だよね。
そういうモノサシが私の中に漠然とありました。
でも実感してみると違う。

感謝「できる」「できない」っていうのは特に問題じゃない。
毎日どれだけ感謝できてるかっていうのも、あんまり重要じゃない。
感謝が足りない、不満の多い人に批判する意識は、冒険を始めたばかりの人に
山場を迎えてないって怒ってるようなもんだ。山場は迎えるから面白い。
自分で迎えるからこそ面白い。

うまく表現できないけどorz

「神様がこんなに愛してくれるのに、わからない人間って愚かだ」とか
それが自分に向けられて「感謝が足りない私はまだまだ未熟」だとかそういうの一切いらない。
変な謙遜も要らない。

ほんとは「発見という実感」と、そのプロセスごと、丸ごとがプレゼント。
変な謙遜は、宝探しに出て「宝を探せない私は未熟です」なんていってる主人公のようなもの。

見つけたときのスリルと達成感。箱を開けるドキドキ。
無と有を実感できる神秘。(箱を開ける前の「無知」と箱を開けたときの「発見」)

魂の人生ってなんてすごいんだろう、って思った。

「小さな事も大きく感謝できる心を持ちましょう」っていう
道徳の教科書に載ってる文句みたいな単純なものじゃない。
何より自分で発見する喜びを用意してもらってるっていうことがすごい。

発見できたから凄いんじゃないし発見した人が偉いんじゃない。
「発見できる」そのものがすごい。
「発見の瞬間」が訪れることがすごいし神秘だと思いました。

偉人じゃなくても本当に誰でも「発見の瞬間」は用意されてるし
自分にとって未知の領域に足を踏み入れることでもある。
得たもの、発見したことの大小でももちろんない。

私の引き寄せるあらゆるものがなぜ「ぷち」なのかわかった。
「大きく大きく…もっと大きく感じ取りなさい」だったんだ。

お前の心は無限なんだよ

お前の心が無限だと知れば知るほど

私の愛が無限だと知ることができるから

だから広がりなさい

自由に


大きく感じなさい…が愛でした。
大きいと知りなさい…が愛でした。

そして私はそれに応えるように「もっともっと大きく感じたい」って思ってるようなのでした。
エンバス気味のせいで「つらいからもう感じたくない」って思ってた時期もあったのに。

神様から愛を与えてもらえる、受け取るっていう事だけじゃなく
それを感じられる心をもらった事がそもそも愛じゃないかと。

たっぷり実感する前に「ありがとう」って言葉で片付けちゃったらもったいない
もっともっと感じられるって事に気づきました。

何年もかけて与える喜び、受け取る喜びを何度も何度も繰り返して深めてるようです。



今日の ぴ子のエンジェルカード[Body Care]
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最終更新日  2008.07.21 12:49:30
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