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カテゴリ:占星術
昨日のつづきです。
依存の人間関係を作りたかった幼少期~青春時代の話を前回書いたわけですが。 振り返ると、依存が元で迷惑をかけた人全員に謝り倒したいくらい(ΦωΦ;) 「どこにも属せない」ストーリーを引き寄せてしまう私。 前に日記で「おとめ座にもなれず、みずがめ座にもなりきれぬ」と書きましたが、「どこにも属せない私」感覚だったんです。 精神的にボロボロ状態で元ダンナに出会いました。 ブログのフリーページに書いていた部分のここです。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ (5歳から)まるでずっと空中を飛んでいなければならない鳥みたいでした。 飛んでなければ死ぬ… そんな時、夫に会いました。夫はまるで私にとって止まり木でした。 それまでずっと持っていた不完全な感覚をそこで失いました。 私は夫に出会うことでやっと人間として「おぎゃあ」と生まれた感じです。(人間に進化レベル2) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ありがたいことに、私、やっと人間になれました(笑) 「ひとりの人間」として自分を受け入れることができたのは、元夫のおかげなんですね。 それは今から振り返ると「共依存」でしかないわけなんですが、共依存でも私はその時「助かった」のは事実なんです。 同時に、5歳から離れて暮らしていた実母や妹たちと再会し、元々の心の拠り所だった(はずの)実母に再び依存しました。 夫や実母に依存することで、孤独感はやわらぎましたが、心の底にある不安感は拭い切れませんでした。 私は、「これは一生つきまとう気持ちなんだ」と思っていました。 自分がやっと人間になれたころ、息子たちも生まれました。 現実的なこと、実務等を息子たちのおかげで鍛えられたので、息子たちにも感謝しています。 こちらは「おとめ座力」をつけ、より一層、おとめ座に近づけた縁になれました。 少しずつですが、自信もつきはじめました。(それまで全くなかったので;) そんな中、妹の結婚式に出席するために行った、生まれて初めての海外旅行、アメリカやカナダで「広い!」や「自由だ!」を肌身で感じてきました。 人生のターニングポイントはたくさんあるのだと思いますが、間違いなくこの出来事も、私の人生を変えた大きな節目でした。 あたたかくて、たのしくて、しあわせで、自由で… こんな世界があったのか、そしてまるで牢獄みたいだった自分の人生にこんな素敵なものを迎えるなんてことがあったのか!くらいに思いました。 「生きてる!」と感じました。 2週間経ち、日本へ帰ってきてからその感覚も戻っちゃったんですが(´・ω・`)ショボン 帰ってきてからがホントに大変;;; その件については後日書く予定ですけども、かなりハードでしたねぇ・・・ 依存していた実母と夫、両方から突き放されちゃったんです。 生命維持装置から切り離されてしまったくらい大事件ですよ。ワタシ的には。 数日間の記憶が無いようなのです。 「心の底にある不安感」は、「一生」ではなく、もうこの時になくなっちゃいました。 孤独の果てに、得た自由。 完全な「ひとり」になって、私を待っていたのは自由としあわせだったのです。 その記憶喪失のあたりからしばらくして、わけのわからない体験が待っていました。 アメリカへ行った時よりももっともっと充実してしあわせで、「生きてる!」と感じる日々。 日本から出ないと味わえないと思っていたものが、日本で味わえました。 かなりハードでしたが、精神的な自立を果たせたのがこの時。 30にして、ひとりで歩けるようになりました(^_^;) で、このパターン。おさらいしてみますと。 「人とつながりたい」→「つながる」→「一時の安らぎ」→「別離」 いつも一時の安らぎが得られるんですが、これまた短いんですねぇ(^_^;) これが、西洋占星術をみてもらう予約をしてから発見したパターンだったんです。 いや、パターンはぼんやりわかっていました。 「30歳までこういうストーリーを引き寄せては繰り返していた」というのは、頭ではわかってはいたのですが、どっかで、ひとつひとつの出来事は「自分にふりかかったこと」だと思っていました。 で、ここへきて西洋占星術を基にして自分の人生を振り返ってみると、ひとつひとつバラバラだった出来事がつながる。 私の人生の一番古い「悲しみの記憶」へ戻った時に、「自分が決断したこと」だとわかったことなど、点と点が線でつながってきたのです。 私の人生のテーマは「みずがめ座」の特徴によく使われるキーワードのひとつ『自立』そのままだった、ということ。 腑に落ちちゃいました。 こんな強烈な自立方法を取らなきゃいけない何があったんでしょうか(笑) それも、星が示しているけどまだ読めないだけなんでしょうか。 この間みていただいた西洋占星術の占い師さんは、私が「人と密着(依存)したかったんです」と言うと、興味深くメモをとっておられました。 太陽と150度で、月みずがめ座ノーアスペクトの私が、人との関係でどう感じてきたのか?というポイントですね。 私の中で、太陽のおとめ座は、「なりたい」だとか「使いこなしたい」もの。 そしてそれは自分自身で常に「意識」しているもの。 今までも意識してきましたし、これからも意識していくものだと思います。 「私っておとめ座目指してんだ~」って気づいたのはつい最近なんですけどね(笑) 自分が常に「こうなりたい」と努力してきた方向が「おとめ座」の特徴そのままだと気づいたんですよ。周囲のおとめ座さんをリスペクトしてましたし。 そして、私の中で、月のみずがめ座は、「なんか知らんうちにそうなる」もの。 無意識の営みなんです。 「無意識」が、どうも「そうなろうとしている」な?と。 で、その先にあるのが私自身にとって一番しあわせなこと。 現在私に表面化したみずがめ座は、叩き上げのみずがめ座なんです。 無意識のみずがめ座が、意識上に叩き上げたみずがめ座という感じでしょうか。 元々のみずがめ座のプログラムが組み込まれているからこそ、「なんか知らん内に」そういうストーリーを呼び寄せていたんだと思います。 みずがめ座が発芽するように。磨かれるように。 ヒプノで退行したら、たった4歳が自分の人生の決断をしている。それは無意識の領域で起こっていることなのですが、自分が決めたことだからその後の人生も「誰にも言わずに」歩いている。てことは、それは4歳児のちっちゃいなりの「自立」という形をとっていた、ということも言えます。 私がまともにおとめ座さんだったら「いやだ!いやだ!」なんて言わず、みんなと一緒に生徒会に入って実務をこなしていたでしょう。 「入らない」と決めたのは私なんです。 確かに、月星座を知ったときにめちゃくちゃ納得したくらい考え方もみずがめ座寄りだなと思ったし、自覚ありましたが、こうも無意識のふか~いところから月星座が働いているとは、改めてビックリしているところです。 私ね、孤独感じてよかったなぁって思ってるんです。 孤独の果てまで行けてよかったなぁって。 孤独がこんなにつらくてさみしいんだなぁって身を持って知ることができましたし、本当は繋がろうと思えば繋がることができて、それは究極的には相手が人間でなくても可能だし、ひとりになってよくよく見渡したら「つながり」はいっぱいあるって気づけた。 「お母さんとのつながり」みたいに、完璧な(に見える)つながりではなくても、いっぱいあるじゃんか。と。 占い師さんがおっしゃってました。 「みずがめ座さんはどこにも属さないんです」と。 どこにも属さないからこそ見えるものがあるし、みずがめ座さんならではの広い視野を使える。 自由にこっちに属したり、あっちに属したりなんてこともできる。 そして150度は、まったく違うカードを2枚持っているようなもので、それって強みなんですよ。 人生っていうゲームで、全然違うカードが使えるんですよ。 そう言っていただけました。 私ももうね、ハイジを否定してまでなりたいロッテンマイヤーさんじゃないのですよ。 街と山どちらの生活も可能にしてしまうロッテンマイヤーさんのマネージメントの力(働き)がほしいのです。 山でも街でもいいんです。むしろどちらも自由に体験したいんです。 人間にもなれず山犬にもなれないなら「サン目サン科サン属のサン」でいいじゃん?ですよ。 よくね、これハーフの子が陥りやすい気持ちらしいんです。 たとえばアメリカ人にもなれず、日本人にもなれない、みたいな。 私の一番下の妹がそうなんですが。 もう、アイデンティティをどっか確かそうなボーダーの内側に置こうってのは、やめてったほうがいいのかもしれませんね。 これからの時代はノーボーダー!ひゃっほぅ!カモンヽ(゚∀゚)/!多様化! それと、私が幼い頃に両親が離婚して、けっこうしんどい目にあってるってこと振り返って書いちゃったんですが、もしかしたら自分が離婚や死別でパートナーを失って、自分の子供にそういった寂しい思い、悲しくつらい思いをさせてるかもしれないなって思う人もいらっしゃるかもしれません。 もし罪悪感を感じているなら、それはそれで心の片隅に置いといて、子供さんのこと信じてあげてほしいなって思います。 私も何がつらいのか?を自覚できなくて、自分の内側で感じているものを言葉でちゃんと説明できなくて、大変だったには違いないんですが、「そのままのあなたでいいよ」っていう居場所が一番に必要だっただけなんです。 悲しそうにしていても、さみしそうにしていても、自分のせいだと思わなくてもいいんです。 「お母さんのせいだ!」って言われてからそれを受け止めればいいだけです(笑) 先に予防線張って自ら「罪人」のように追い詰めなくても。 そんなことしても大事なこと見えなくなっちゃうだけですからね。 私は父親がそうすることで余計にさみしかったですけどね。 「つらいね」 「痛かったね」 「いっぱい泣いてもいいよ」 「いっぱい泣いた後は一緒にアイス食べよう」 明日は一緒にいっぱい笑おう 時々、大好きだよ、大切だよってこと、そのまま伝えよう。 それでいいんだと思います。 みんな、ネガティブな気持ちを味わうことを許してもらえたら、「孤独」や「さみしさ」、「痛み」から大切なことを学びます。 それから、子供はお父さんお母さんが笑ってるのが一番うれしいです。 今日の ぴ子のエンジェルカード[ARCHANGEL MICHAEL:大天使ミカエル] 今日の ぴ子の大天使カード[チャミュエル:スピリチュアルな理解] 今日の ぴ子のなに見えカード[MICHAEL(ばっちこい スパルタ上等!)] とうとう出たーーー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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