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カテゴリ:占星術
ちゃんと覚えているのに、簡単に口で説明もできるくらい「今ではすっかり乗り越えた♪」と思っていることなのに、いざ細かに辿ってひとつひとつ言葉で出していくと、「追体験」になっちゃうんでしょうか。
昨日と一昨日の日記は涙無しで語れませんでした(´;ω;`) 「さみしかった」「かなしかった」「つらかった」というものが混じった「あぁ、わかった」の涙であることも確かなんですが、相手がしてくれたことや、相手への感謝だとか、そういった「あたたかいもの」「やさしいもの」を感じられるからこそ、今安心して泣けるんだなぁと思います。 こんな感じでリリースのタイミングを迎えるたびに、新しい気付きがあって、人間の心の仕組みってすごいなぁとか、宇宙ってのがあって、人生ってのが展開していて…っていう神秘がただただ「すごいなぁ」と思えます。 感想が全部すごいなぁですみません(笑) さてさて。 今日の日記はヘヴィ~でした; 二十数年ぶりにプロの占い師さんにみていただいて、「私の人生のテーマってやっぱ『自立』だったんだなぁ~」と再確認し、明るく軽くなった気持ちで「回顧タイム終了♪(^^)」って思っていたらですね。 なんかまだだったみたいでですね(;´Д`) 占いの日に、トランジットの星の影響についてチラっと教えてもらいました。 ネイタルのこの部分にトランジットの○○が来る「この時期は~」という感じで。 そこで「時期」ってのに興味が少し湧きました。 記憶の中では7~8年くらいの間の出来事だと漠然と思っていたことが、ちゃんと計算してみるとたった「3年ほどの間に起こった出来事だった」ということがつい最近わかったばかりでしたので、気になる「その時期」を家に帰ってから自分でダブルチャートで作ってみたら、なんだか「土星」の位置が気になりまして。 土星になんかあったんじゃないか?と予測しまして。 「え~っと、動いている土星が、ネイタル(出生図)の土星に近づいたら何があるんだ?」というのは頭でわかってるんですが、検索に一体なんとキーワード入れたらいいか、はっきりいってわかんなかったです(汗) 検索で徐々に核心に近づき、出てきた情報にビックリ。 「サターンリターンなんて言葉まであるんじゃん!」 西洋占星術に詳しい方は、ご存知だと思いますが『サターンリターン』なんてのがあるそうで。 自分に当てはめてみて、年表まで作ったりして。 何があったかを振り返って事細かにメモ書いたら超ヘヴィーでですね; どよよよよ~~~ん(|||_|||) とんでもないリリースが待っていたよコノヤロウ!という感じになりました。 丸い顔の12星座さんたちを描きながらも、実際には体にまで反応が現れて、さっき食べたものを最速でリリース!みたいなことにもなりましたorz えーっと、人間関係には、それぞれの言い分があって、客観的に書くのがベストだとは思うんですが、詳しく書いて吟味するには情報が膨大すぎます。 なので私の主観中心でできるだけ簡潔に取り上げて書きますね。 てことで、現在、「西洋占星術を基にして振り返ったときのターニングポイントとなった地点で、私が感じたこと」にポイントをしぼりたいので、ひょっとしたら元夫など関係者が一方的に悪者に見えてしまうかもしれませんが、出来事や関係者の是非を問うためじゃないってことだけ留意いただければ、と思います。 まぁ、正直言いたいのは「私はめっちゃ痛かった!」ってことですね(笑) ◆27歳アメリカ・カナダ旅行 前回の日記にも書いた、人生の積極的な楽しみ、開放感、ごくごく普通のことが「とってもしあわせだと実感した」虎○竜の曲を地で行くような、超感動体験。 「初めての海外旅行&初めての飛行機(しかも海外の航空会社)で英語しゃべれないのにひとりで乗り換えして帰国」という難易度の高いミッションを遂行したのもこのとき(笑) イチローがまだ居なかったので、シアトルにぜんぜん日本人が居なかったぞ♪ ◆28歳~29歳 フリーページのこの部分↓ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ それでも日本に帰ってくると同じ生活が待っていました(ガッカリ)。 それよりもずっと辛いことが待ち受けていました。夫側の親族のトラブルに巻き込まれて散々でした。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 夫側の親族が巻き起こした、借金、倒産、夜逃げ、二度の自殺未遂、持ち上がった連帯保証人の問題、破産。 もう「大変だった」のひとこと。 詳しく書こうかなぁとも思ったんですが、相手側のことを考慮してここは「タイトル」のみ、で。 夫の浮気。そして和解。 夫の浮気については唯一本気で「しのう」と考えたくらい辛かった出来事です。 私をとどまらせたのは実は幼い息子たちじゃなく(^_^;)(ゴメンネ;) 浮気発覚後、一時身を寄せていた実母の家では実母の友人の娘さん(当時学生)が下宿していて、私と子どもたちが滞在していた隣の部屋だったのですが、その子も幼いころに父親が自殺してしまった(目撃してしまった)という過去を持つ子だと聞いていたので、この子の人生に自殺者を増やしてはならないと使命のような気持ちが湧き、内側の苦しみとの葛藤の末、使命が勝ちました。この子が居なかったら生きてなかったかも。 夫婦でやり直すことを決めた後すぐくらいの頃。 会社で上司にトラブル(社会的なルール違反)に巻き込まれようとする夫が私との話し合いのあと、会社の上司(いわゆるガラの悪い系)に断りの電話を入れると、態度を急変させた夫に入れ知恵したのが私だと思ったのか「電話をかわれ」と言われたそう。 夫と上司がどんな会話をしたかもわからなかったので、「なぜ電話を代われ」と言われたのかわからないまま出ると、ものすごい勢いで罵声をあびせられ、私が夫の上司に対して日頃の感謝を感じてお礼のためにやったことも私が思いつきもしないような「汚いやり口」とされ、夫の浮気直後だったのでまだダメージだったのに「浮気されて当然」とも罵られました。 ものすごく汚い言葉を使って言われましたがほとんど覚えていません; ああいう世界特有の「脅迫」もされました。 エネルギーも言葉もそのまんままるごと受けてしまった私は、電話を切ったあと発狂でもしたかのような大きな叫び声をあげました。 人生で一番大きな声が出たんじゃないでしょうか。 ご近所には断末魔だと思われたかもしれない; 叫ぼうとして叫んだわけじゃないんです。自分では。 自分のコントロールがまったくできないんですよ。 叫んでいる最中は自分がものすごく遠いところにいる感覚です。 思考の働きが「0」の状態。何かがぶっ飛んじゃってる感じです。 精神崩壊寸前? やっぱ、人生で一回こっきりの体験ですねぇこれは。特殊です。 その時私を救ってくれたのは元夫です。 私の身体のリミッターすらも外れてたんでしょうね~ 夫が何度も謝りながら必死で私の体を抑えて「俺が一生かかっても癒やすから!」と叫んでくれたんですね。 本気でそうしてくれたのがわかったので、その異常な状態の私に届きました。 「俺が一生かかっても癒やす」 結果的にそのセリフは嘘になったわけですが、その時の「本気で救おう」とした夫の行動に救われたな、と思いました。 付き合い始めて離婚までの間、彼にしてもらったことで一番うれしかったことかもしれません。 私の「何か」は満たされて、無念の思いも成仏したんでしょう。 夫のこのときの嘘のない「一生懸命さ」に救われました。 この件についてはとても感謝してます。 で、まぁこの会社のトラブルは会社から上司共々訴えられ裁判沙汰。 給与がまるごと入らないという結果に。 また別件では。 借金を抱えて私ら夫婦にお金を借りていた夫の兄弟(元ヤンキー)との話し合いの席で私が罵られた時も夫は、私を守ってくれないどころか「話し合いがうまくいかなかったのはお前のせいだ」と言ったくらい人間関係では自分より力のある人には全然強気に出られない人だったんで、私は「この人は私を守ってくれない(守ろうとしてくれない)」と思いました。 事前に夫婦で相談して「今の状態を何か改善できれば」、と思って行ったわけですが、兄には借りたがパートで収入が少ないお前には借りてねぇ、みたいな感じで、なんていうか…全然関係のない古いことを持ち出してきて相手を傷つけよう、やっつけようとする人がいますよね; もう具体的に何言われたか覚えてないです;; ◆30歳 その後30歳のとき、ある出来事が起こり、その件について私が心の拠り所にしていた実母からひどく責められました。 でも、そうなるまでに私側にはいろいろと積み重なっていたものがありました。 実母も、一緒に暮らせなかった娘(私)との時間を積極的に取り戻そうとしてくれていましたが、私がどれだけ拠り所にしても、母との「親子の時間」を取り戻そうと思っても、妹たちと実母の仲の良い「本当の親子の姿」は、私をより一層孤独に追いやりました。 「もう親子関係を取り戻そうとするのは諦めよう」と思った矢先の出来事。 その決定打になった出来事は、実母からすると「あってはならない」ことだったようで、「あれは八つ当たりだった」と何年も後に涙ながらに謝罪されたわけですが、当時はそんな判断できるはずもなく。 その、ひどく傷ついた状態を「最後の最後」という拠り所だと思っていた夫から「お前たち親子に振り回されるのはもうごめんだ。もう勝手にしてくれ。俺は知らない」と言われました。夫は現場に居合わせたのに、その時も反論するなどして私を守ろうとしてくれなかったし、そのあとの共感もないどころか「こちらが迷惑をこうむった」とばかりにまた私を責めてきたんですね。 再会した実母とのやりとりで、何度もつらさを感じては泣いていた私にうんざりしていたのかもしれません。 ここから離婚までは数年かかりますが、私の中で夫婦関係が破綻したのはこの一件です。 「私の心の内をわかってくれる味方はもう誰もいない」 そんな思いで、家を飛び出して実家に行ったことは覚えてるんですが、帰ってきてからの1週間ほどの記憶がないようなんです(^_^;) 黄太郎と青也の記憶に「お母さんが一切話しをしてくれなかった時期」が一定期間あるみたいなのです。ちょうど小2と小3だった頃ですね。 「うっそだぁ~~~こんなにおしゃべりな私が数日も話さないとか絶対にないwww」って言ったんですけど、二人とも口をそろえて言うんですね。 自分がどんなに話しかけても「お母さんからの反応がない」と。 ガラス製の飾り棚にずっと入れてある小さい箱庭があるんですよ。 それを自分では「作ったな」というのは記憶しているんです。 で、元々牛なんかがいる牧場の箱庭キットなんですが、十字架を自分で作って教会のある箱庭、というふうにアレンジしていました。 今から数年前(3~5年くらい?)でしょうか。 箱庭がふと目に入った時にめずらしく飾り棚から出してきて「みてみて~これかわいいでしょ~」って見せたら 「お母さん、それ作ってた頃、口聞いてくれなかった(´;ω;`)」と。 初耳でしたよ;;; そこで「記憶がない時期があった」というのが発覚。 *** 後編につづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.03.19 16:31:40
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