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2015.03.20
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カテゴリ:占星術
昨日、私の人生の「サターンリターン」のことを前後編に分けて書きました。

前編なんて自分でも「うっ;」って思ったし、そんな前編をそのままにしておきたくなくて、すぐに後編を更新してしめくくりました(^_^;)

幼いころに苦労したのは私だけでなく、妹もそうでした。
「人間として存在できていない感覚」というのは妹も同じだったそうです。
同じ日本人と再婚していれば、「連れ子」だということを隠しておけたのかもしれませんが、妹の場合そうはいかず、小さい頃からアメリカ人のお父さんと血が繋がっていないということは知っていたそうです。

私も再会した当時は自分のことを持て余し気味だったので、理解できるわりには大した力になってあげられなかったのですが。

父と母のすれ違いの現場に居合わせた私の話は書きましたが、この日を境に実母は、私達兄弟3人を連れて自分の実家へ戻っていました。
私はこの1年間ほどを、父親とは離れて暮らしていました。

祖父母の家で、兄弟で一緒に遊んだ記憶があります。
私の後を3つ下の弟が、そしてその後ろを4つ下のよちよち歩きの妹がついてくるんです(笑)
私が止まると、弟も妹も止まる。動くとついてくる。
私が壁にもたれると弟も妹も同じようにする。
真似をする方もされる方も楽しくてきゃあきゃあ♪
なんでもない遊びが、すごく記憶に残っているんです。

再会したときに、私がその時の様子を妹にと伝えると、すごくうれしそうに聞いていました。
「絆」がほしかった妹。
私から伝えられるちっちゃい「絆」があったのだということを、よろこんでいたとあとから実母から聞きました。

そんな妹が、慣れ親しんだアメリカでの生活を選び、アメリカ人の男性と結婚することになったのが、妹23歳、私27歳のとき。
日本では実母、実母旦那さん、下の妹、私の4人で「結婚式ではみんなで日本の歌を歌おう」と決まり、練習した曲がドリカムの「LOVE LOVE LOVE」でした。

ただ「愛してる」っていってる歌なんですが、これがパワフルなのか?
みんなで歌ってると、ハートチャクラがガンガン開いてくるんですよ(^_^;)
妹のことを思うと、やっぱり最初はみんな泣いてしまったり。

そんな調子で、楽しそうに準備を進めていた私の姿が、もしかしたら元夫にしたら不安だったのかもしれません。

出発の日、元夫は駅のホームまで送ってくれたんですが、電車に乗って窓から手を振る私を見ながら、「手の届かない遠くへ行ってしまう」と思ったそう。
私もそのシーンはすごくよく覚えています。
夫は「いってらっしゃ~い!気をつけてね~!」っていう前向きなものではけっして無く。
どこかで不安げな元夫の姿が目に焼き付いています。

もしかしたらこの日を境にゆっくり別離の道に向かっていったという、そんなポイントなのかもしれません。

私はほとんど覚えていないのですが、実母は車に乗って行ってしまう5歳の私を見送ったという記憶があるそうで。
実母は「泣き顔を子どもたちの記憶に残したくない」と思ったらしく、必死に気丈に振る舞っていたそうです。車の後部座席に乗った5歳の私の様子を「不安そうに何度も振り返ってたのよ」と教えてくれました。

「私はこっちへ行くんだ」と決めたら、それを見送ってくれた人が居た…という、なんだか重なる話だなぁ、なんて思いました。
自立への道、ですね。

で、その旅行中は、私が頼りないせいで実母を怒らせたりもしたのですが(^_^;)
とても楽しいものになりました。
10日ほどの滞在となったアメリカでは、みんなで結婚式の準備をしながら、しばらく妹と妹の旦那さんと過ごしました。

私は、アッツアツダブルハートの二人の姿を見ながらですね、ものっすごいしあわせだったんです(笑)
まるで「おとうさん」「おかあさん」を見ている、そんな気分になりました。
今思えば「愛しあう男女」の姿って、自分の中の男性性と女性性が調和する感覚を疑似体験できるのかもなぁ?なんて思うんですが、何より妹の苦労も知っていましたし、しあわせそうなふたりをみてほんとによかった~って思いました。

アメリカでは結婚式以外は、普通のスーパーに行ったり、自炊したり、っていう「旅」というより「暮らし」で(笑)
一方カナダでは、街へおみやげを買いに行ったり観光したり、のんびりした時間を過ごしました。

日本では味わったことのないような厚い厚い落ち葉の感触、大きな木の森の中を散歩したり、カナダの滞在先のおうちのワンちゃんと遊んだり一緒に庭のラズベリーをもいで食べたり。下の妹と庭のトランポリンして遊んだり、みんなで朝ごはんを庭で食べたり。海岸でみんなで打ち上げ花火を見たり。

旅行最後の夜、部屋をシェアしてるという外人のおっちゃんがのんびりギターを弾いているのを聴きながら、実母が「旅はどうだった?」と尋ねました。
旅行を振り返り、自分が感じたことを言葉にしているうちに私は号泣。

なんて自由なんだろう

生きてる!

自分の人生に想像もできなかったような「普通の楽しいこと」でいっぱいだった、自由と開放感を感じられた、今まで感じたことがなかった「しあわせな気持ち」「生きてる!」という実感など、言葉にならない感謝でハートがいっぱいになっちゃったんです。

それがサターンリターン直前の出来事。
サターンリターン、もしくはもっと大きなもの…「人生」が見せた、「展望」だったのかもしれません。

「この先にそれはあるんだよ」と。

そして、海外旅行の後の超スパルタなサターンリターンは昨日書いたとおり(^_^;)

大きなショックの後、一度記憶を失ってたっぽいんですが、なんとか持ち直したようでごく普通の日常を過ごしていました。

また、「ひとりきりの時間」というのを味わっていました。
孤独とは違う、ひとりの時間。
静かな、静かな時間。

ある日、真夜中に自分だけ起きている、という状態の「ひとりきり」のときにぼんやりと海外旅行や妹の結婚式のことを思い出していました。

そういえば妹の旦那さんが結婚式の最後のほうで、慣れない日本語で「来てくれてありがとう」って軽くハグしてくれたなぁ…と、そのシーンがなにげに脳裏に浮かびました。
そのとたん、ハートチャクラが、がーーーーっと開きまして。
夜中にひとりでボロボロ泣いちゃったんです。

漫画とかのアメリカ人のイメージって「ハァーイ!」とか「HA!HA!HA!」って陽気で積極的でフレンドリーで、っていうイメージじゃないですか(笑)
いや、結婚式で同じテーブルだったアメリカ人男性は確かにそのイメージのまんま「ざ!アメリカ人!」だったんですけどもwww
妹の旦那さんはシャイで、日本人?ってくらいぎこちないハグでした。

そのときは「あ~、あの時も普通にうれしいなって感じたけども、こんなに涙が出るほどうれしかったんだなー」と、思っていました。
あの時の彼のなにげない小さなまごころが、私のハートに今頃届いたんだ…と。

この不思議な感覚は大きな気付きで、忘れられない大切な節目だと自分でも思っていたのですが、この後にもっともっと不思議な感覚が続くことになるんですよ。

その「気付き」のあとしばらくして、妹の旦那さんのことは日常では忘れたまんま、そのハートチャクラ全開の「幸福感」をたっぷり味わうことになりました。

しあわせで、満たされていて、生きてる!と感じられて、何をするのも楽しいんです。
「明日が来るのが楽しみ!」なんて思えること、自分の人生にあると思わなかったんです。
人生=牢獄だと思っていましたから。

パソコンは持っていてインターネットも始めていたのですが、この頃になってデジタル絵を描き始め、自己流で夢中になって自分のホームページを作ったりもしました。

職場の人達との交流や、新しいお店にランチを食べに行くことも楽しくて、日帰りでみんなでバスツアーに行って梨狩りしたり、カニ食べ放題したり(笑)
楽しくて楽しくて同調しすぎたのか?
周囲の人と言動がシンクロしまくって、自分が頭で考えていることを同じタイミングで他の人がやったり言ったり、また相手が何を言い出すのかがわかったり、という現象が頻発。
自分が当時放送された「サトラレ」じゃないかとか疑ったくらいです。

この謎の期間は、妹の旦那さんイメージが引き金になったのだということ、それらが関連していたということがわかったのが、2012年頃に再び自分の男性性(アニムス)がアクセスしてくることになって、改めて振り返ってから。

自分の内側のアニムスがどうなったらこうなるのかまだよくわかりませんが(^_^;)
もしかしたら、アニムスがプレゼントを「贈りたい」「送りたい」って、チャンスを伺っていて、妹の旦那さんイメージを借りたのかもしれない、と仮説を立ててます。

その「幸福スイッチ」が入ったあとの幸福期間は、何がどうなってしあわせなのだ?が誰にも説明できないような状態でした。
だって、友達や職場の人と遊びに行くことなんて普通にあるじゃないですか。
今まで家族とだっていろんなところへ遊びに行きましたよ。

だから、「なぜ?」「なぜ?」ってずっと思っていたんです。
一体、今までの体験と何がちがうんだろう?と。

私はもう、おかしなくらい「これだけのしあわせを感じられたら、この先なにがあっても生きていける」とすら思いました。
これまでの人生で一番しあわせだった最高の期間でした。

今でも、この幸福期間のことを思い出したら、「一生やってける」って思えるんです。
今も、しあわせを実感する時はたくさんあるんですが、あれほどの強烈なしあわせ体験ではありません。
普通に泣いたり笑ったり凹んだり怒ったりもします。
でも、幸福期間に味わったあのしあわせの記憶は、「無くなってしまわないもの」として私の内側にあるのです。

たぶん、「もうひとりのわたし(アニムス)に出会ったんだなぁ」、なんて振り返って思うのです。これもまた、今から何年も経ってから振り返った時に、新しく何かとの繋がりを発見して「そうだったんだ」って納得するのかもしれません。

で、ここで占星術。

なんて星に忠実なんだ私はきらきら
ある意味、幸福期間の謎が解けた!(笑)

サターンリターンのすぐあとにやってきたのは、木星の幸運期※だったという(笑)
(※個人のネイタルチャートの太陽の星座をトランジットの木星が通過する1年ほどの期間。だいたい12年に一度巡ってくると言われています)

サターンリターンと木星幸運期の連続技によって、私の「精神的な自立」は果たせたのでした♪
木星は「仕上げ」だったのですね~
そして、木星の幸運期が終わってから2年後の2006年に、このブログを始めることになった、という流れですね。

ちなみに、おとめ座さん、今年の夏ごろから木星の幸運期入るそうです((o(*^^*)o))わくわく
楽しみですねぇ~~♪

さて、アナタは「最高の恋愛を自給自足できる」というヘンタイぴ子を「いいね!」と思うか、「アイタタタ!」と思うかどちらですか(ΦωΦ;)


今日の ぴ子のエンジェルカード[IDEAS&INSPIRATION:アイデアとインスピレーション]
今日の ぴ子の大天使カード[チャミュエル:平和]
今日の ぴ子のなに見えカード[YOU ARE PERFECT(あるがままでOK)]





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最終更新日  2015.03.20 17:41:55
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