7年前の今日・・・・(長いかも・・・)
7年前の午後4時41分,姫は生まれました。この日の話をする前に私の「妊娠中毒症」での入院のことからお話しします3月7日 8ヶ月健診で「妊娠中毒症」といわれる。自覚症状もなくてその日は減塩&カロリー制限の食事,自宅安静,むくみ解消と腎臓機能の治療の薬をもらって帰る。3月12日 むくみは少し良くなったが,頭痛がひどく受診。血圧が上が180もありそのまま入院。個室に入れられ,ベットの周りにはいつ弛緩痙攣があるかわからないというので様々な蘇生器具が並べられていた。3月13日 抗血圧剤の薬も増えるが,血圧は安定せず,このままでは母子とも危険な状態になる恐れがあるといわれNICUのある大学病院へ搬送が決まる3月14日 今日で29週にはいる。経過の様子の聞き取りや,超音波モニター,血圧,採血とバタバタと検査が続いた。大学病院ということもありまだ研究段階の「血圧を下げる」のに効果的な処置を(治療?)了解する。「硬膜外麻酔」というもので背中に麻酔の針を打つ。担当の先生はまだ研修医で,何度も針を打つ場所を失敗し,へとへとになる。また お腹の張りも5分おきで切迫早産の心配も出てきて24時間点滴「ウテメリン」の投与がはじまる。これがまたすごい副作用で,吐き気にめまい,動悸と転院初日はほとんど眠れずにいた3月15日~18日 硬膜外の治療の副作用なのか体温調節ができなくなり暑くなったり,寒気がしたりと忙しい。「ウテメリン」は相変わらず手の振るえ発汗,だるさと体は休まらない。お腹の張りも一向に改善なし。不整脈の発作もあり,なんどか夜中に呼吸がしにくくなりナースコールを鳴らす3月19日 29週5日 午前中はいつものように超音波検査をして,日ごろの寝不足でうつらうつらしていたら,担当の先生が来て「胎児の様子も子宮の中もあまり良い状態でないので緊急に帝王切開で赤ちゃんを出したいのだが,いまNICUが満床なので国立病院に搬送します」パパも緊急に呼ばれ「このままでは胎児は2,3日持つかどうか。お母さんの体も羊水が少なくなっているので早く出してあげたい」といわれるそのまま救急車で搬送。分娩室ではなく救急外来の部屋で麻酔をされたりレントゲンをしたりと,まるでテレビで見たことがある「ER」のよう。準備が整ってから,あっという間に分娩室へ。そして何だかわからないうちに小さな声が聞こえてきたぼーっとした頭でもしっかりと聞こえた姫の第一声。猫みたいなか細い声・・・「女の子ですよ。このまま赤ちゃんはNICUにいきますからね」といわれ,気が付いたらもう病室のベットだった。パパはその間に新生児科の先生から説明を受けていたようだった体重910グラム,身長35センチ,超低出生体重児。これが姫 誕生時の話です。私といえば血圧が安定せず,なかなかベットから起きられず姫に会えたのは 日令3日目だった。初めて会う日まで自分が産んだことになかなか実感がわかず不思議な感覚だった。お腹は小さくなっているのに,そばにあかちゃんがいない。隣の部屋では母子同室なので泣き声が聞こえてくる・・・・車椅子でNICUまで行き,部屋に入るまでの消毒や着替えの仕方を教えてもらう間もわからないけど平静な気持ちだった。でも 目の前に保育器を見たら,ぼろぼろと涙が・・・「ごめんね,ごめんね」と何度も。。。落ち着いてきてから看護師さんに初乳をとってもらう「小さく生まれた子にはママのおっぱいが一番の栄養。29週で生まれた子にはその子に今必要とされている栄養が母乳から出てくるんだよ。不思議だね。」といわれた。その時はまだまだ私は不安定で正直「生んだ実感がないんです」といってしまった。それなのに,胸は張って母乳がにじみ出てくる。この思いは今考えると,直母の時まで続いていたような気がする。@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@こんなドラマみたいな(・・と勝手に私は思っているけど)感じで生まれた姫ですほんとの予定日は5月31日でした。早産でなおかつ早生まれで,何事もゆっくりで進んできましたが,ようやく7歳で追いついてきたみたいです。「元気が一番」 このブログのタイトルのように・・・これからも成長していって欲しいです