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カテゴリ:感動
昨夜たまたまテレビをつけたら情熱大陸が始まるところで、オダギリジョーさん特集だった! ちょっととがっているというか、何かかっこつけて、突っぱっているような、そんな感じもするんだけど、番組を見れば見るほど、実はなんだか今どきとても珍しい人なんじゃないかという気がしてきて夢中になって見入ってしまった。 オダギリさんは、本当にどこまでも自分スタイルというか、周りがどうこうだとか、普通はどうこうだとか、そんなことよりも、自分自身を貫き、とことんこだわっているように見えた。そのこだわり方というのがまた半端じゃない。 そういう「俺は俺なんだ」というようなスタイルを持つ人を見ると、なんだかとてもホッとして、同時に勇気づけられる。 またオダギリさんは俳優という職業に対して、 ものすごくプロ意識が高いというか、「情熱大陸」に出演して 素の自分を出すことに対して、それが役者という仕事に 変に影響してはならないとすごく神経質になっていた。 それも自分の仕事を(=自分自身を)貫くためで、 そこまで仕事に夢中になれるところもまたいいな~と思った。 「僕はがんばっちゃいますよ、やりたいことに関しては。やりたくないことに関してはほんっと~うにがんばらないですけどね。」 と言っていた。 なんかいいな~ごちゃごちゃ言わずにそう言いきりやってしまうところ。 オダギリさんの言葉↓ 「役者はミステリアスであってほしいんですよね。だから役者の人物像や普段の生活なんてどうでもいいっていうことであってほしい。例えばメゾン・ド・ヒミコではゲイの役をやっていますが、もし普段からその役者が女好きだと世間に知られていれば、どうゲイを演じたってゲイには見えないし、リアリティーがないでしょう。本当に痛いというシーンを、器用にモノマネするんじゃなくて、本当に痛がってほしいんですよね、僕が観客として見る場合。それが存在の仕方だと思うんです。」 リアリティーを演技の中にとことん追及するその姿勢、やっぱりいいな。 ある映画監督がオダギリジョーさんのことを「おどろくほどノーマルな人」と言ったそうだ。 ノーマルって、すごく曖昧な言葉だけど、この監督が言うノーマルは、 今の私にはとても好きな響きを持つあの「ノーマル」の意味だと思う。 今はなんとなく私は窮屈なので、「オダギリジョーはノーマルだ」 というその一言の響きが、なんとなく心地よく感じた。 とても感動したオダギリジョーさんの言葉↓ 「オダギリジョーというものでいたいわけですよ。 きっと、それを作り上げたいんですよ。」 (私も私でいたい。) 「スターと呼ばれたくはない。自分のいるべき場所ではないから。」 (自分のいるべき場所、自分の足元をどんな環境においても、しっかりと見据えていたい。) 「自分のやりたいことがある。社会に対して別に投げかけても投げかけなくてもそれはどっちでもいい。あるものはある。それがたとえ社会を打つ形になったとしても、そうありたい。」 (「社会を打つ形になったとしても」と言い放った時の表情にすごく真実味を感じた。情けないことに私にはそこまでの勇気が今はない。。。) たまたまTVをつけたら、たまたまいい番組を見ることができて、 それがとても今の私の心に響いた。 そのことに感謝☆ 今日のうれしかったこと ********************************** ・今日はうちは半分仕事。だけど朝はゆっくり寝坊できた^^最近ちょっと疲れがドドッと出てきていたのでよかった。 ・朝食べたぶどうパンがとてもおいしかった! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2005年09月19日 12時21分40秒
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