597201 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2005/12/28
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
26日の日記のコメント欄にみゆさんからご質問いただいたことを機に私が今感じていることを述べさせていただきたいと思いました。
でも、それはあくまでもソラからの伝言を通して私という一人間が感じたことですから他の方の疑問に対しての答えになるかどうかは私にはわかりませんのでその点はご了承くださいね。
なぜこのようなことを言うかというと…
ソラのものたちは人間がそれぞれ自らの経験やいろんな出来事、ソラからの情報などを通して自から何かを感じ、自らの足で歩むことを望んでいるからです。
ですので、疑問に思われることはソラからの伝言の本であるとか、HPのソラからの検索などを使ってご自身の手でソラのものたちの言葉を通しその答えを探していただくのがベストであると私は思っているからです。
みゆさんのご質問は一昨日さつきさんからいただいたコメントにも通じるところがあるように思います。実は私も同じようにソラからの情報に触れてから現実生活とイシキの世界とのギャップに戸惑うことが少なからずありました。なぜなら、このソラの情報を理解しようとするとこれまで私たちが当たり前、よかれと思っていた常識ですとか習慣、価値観のようなものがことごとく覆されてしまうように感じたからです。しかし、そのこれまでの常識などがいったいどこから来ていたのか、誰が決めたものなのかなどを考えとき私にはソラの情報が真実であるのだと感じられました。
例えばほとんどの方が馴染みのあるお墓参りの習慣一つとっても単に私たちが生まれながらにして周りのものたちがそうしているからそれをすることが当たり前と思っているだけではないかと思うのです。ずっとそれが受け継がれてきたからそうすることが当然と思っているだけのことではないかと。また、そこに支配星が人間を操るために関わっているということも今の私にはよく理解できます。
私は早くに両親を亡くしました。そして、母は自ら命を絶っています。それを私は自分のせいだと悔やんでも悔やみきれない思いでいました。ソラに出会うまでは…
ですから、自慢ではないですが、それまで母への供養と懺悔のためにと定期的なお墓参りやお仏壇へのお供えや手を合わせることなどは欠かしたことがありませんでした。そのこともあり母が亡くなる少し前に入信していた宗教もそのまま引継いで祈りました。しかし、私の思いは常に幸せではありませんでした。
よく「お墓参りをしないとご先祖が浮かばれない」だとか「先祖(その宗教の場合は本尊)をないがしろにすると家系によくないことが起こる。」とか言われますよね。またその逆もしかりで「供養をしたらご先祖が浮かばれる。」「供養すればご先祖(本尊)に守ってもらえる。」と…なんだか交換条件みたいと思うのですが、いつのまにか私たちはそれをしないことで不安を感じるようになっていてその習慣から離れられないようにされてしまっているのではないかと思うのす。
私も過去すっかりそれを信じていました。よくないことがあると母がまだ浮かばれていないのではないか。と思い、もっと勤行しなくてはいけないのではないか。もっとお墓参りしなくてはいけないのではないか。といつも不安にかられていて心の休まるときがなかったのです。
でも、よくよく考えたらおかしいですよね。お墓のことを考えても本当にお墓の中に亡くなられた方の魂がいるのでしょうか。そして自分も肉体が無くなったらあのような暗くて冷たいお墓の中にずっといたいと思うでしょうか?それにお墓に行って手を合わせたりすればそれでいいのでしょうか?私は違うと思うのです。ご先祖や亡くなられた方を思う純粋な感謝の気持ちが一番大切なのであって、お墓だとか塔婆供養だとかお経をあげてもらうとか、結局はそれも支配星が自分の教えを人間に説教し教え込むためのもの。人間に格差を作り自分の手先のような支配された人間を上に置きその他の人間を支配するためにそこにお金を集めて坊さんは偉い人=坊さんの言うことはすごい、正しい。と洗脳して人々を従わせてきた単なる支配の仕組みの一つというだけに過ぎないのではないかと思うのです。
それもイシキの世界で見たなら支配星がいた時代に支配星は人間の死後の世界をも牛耳り、亡くなった人々のイシキまでも自由に操り支配しようとそのように人々に教え込んだだけのことなのです。肉体を持っていたときにそれらの教えで固められていた人たちは「死んだらお墓の中に入るものだ。仏壇にいるものだ。」と思ってしまっているので亡くなったらそのようにしなければならない(ネバナラヌ)と行くところに行けずにいたのです。支配星にみんな利用されていたのです。ちなみに同じように支配星に支配された霊能者などが使っている九字(お札などにもよくありますが、格子のような模様のもの)はイシキを牢のようなものに閉じ込めるという意味を持った支配星の嫌がらせの模様です。イシキを閉じ込めてそこから出さずに支配する、帰るべきところに帰さないという…
支配星の教えやそれらが作り出した宗教などはそのようになにごとも「ネバナラヌ」が潜んでいます。「○○しなければ○○になる」と理由付けしては「ネバラナラヌ」と人々を洗脳して頭を固めそれに従わせているのです。
霊能者と呼ばれる人たちも支配星とつながっているのでそのようなものが見える力をそこから与えられているだけなのです。支配星の教えから亡くなってもいくべきところにいけずにまだ低いところにいる人たちの姿が見えたりその話が聞けるといい、「○○さんが苦しんでいます。」などといっては私たちの亡くなられた方に対する情や見えないものへの恐れにつけ込んで淨霊やらなんやらと言っては救ったかのようにしています。また、そのようなものにはお約束のように支配された人間の大好きなお金が絡んでいます。
つまりはすべて支配星の仕組みなのです。亡くなられた方が苦しんでいるのはイシキが星に帰れないような嘘の教えを宗教を通して支配星が教え込んだからに他ならないのです。そのからくりに気がついてしまうと最近メディアによく登場する霊能者のしていることも支配星の自作自演のからくりだということがわかりますし、「ネバナラヌ」を強調する某有名占い師も支配星の手先で人々がそれに踊らされてしまっていることがよくわかります。
ですからソラのものたちは人間を支配する「ネバナラヌ」が嫌いなのです。
人間はソラのものたちが作り上げた自分たちの可愛い分身のようなものなのにその肉体を乗っ取りいいように操って利用している支配星のやり方が「ネバナラヌ」の洗脳とそれに従わせる支配なのですから。
ソラの情報の中にはその真実の意味を伝えていることがたくさんありますし、「悪いものは悪い」ということもたくさんあります。だからといって支配星のように「そうしなければならない。」ということはありません。
あくまでもその人間の自らの気づきをソラのものは大切にします。思いこそすべてなのです。人間の思いが未来を変えるともソラのものたちは言っています。ですからその情報を通してその人間がどのような思いを持ち、どのように行動するのかをソラのものたちは見ているのです。一人一人のその思いのあり方をしっかりと見ています。
けれども、既にこれだけ支配の仕組みが出来上がってしまっているこの世の中で「支配はいけないことなのだ」と自ら認識できそれらに関わるものを否定することはできたとてすべて排除して生きていくことはほぼ不可能に近いと思うのです。
かと言って、いけないことをいけないことだと知りながらもそのままズルズルと流されてその流れの中にはまっていてそれでいいのか?ということをソラのものは問いかけているのです。早く気づいてそこから抜け出してくださいよ。と…
ソラのものたちは表面的な「○○しなくてはならない。(ネバナラヌ)」を私たちに求めているのではありません。ソラのものは今の世の中が支配星に支配されつくしていることをきちんと見て理解しています。ですから無理なことまで人間に強要するようなことはしません。(でも支配星に汚染された私たちは今まで植えつけられてきた習慣などからとかくネバナラヌを求められていると思ってしまう癖がありますしそのようにしようとしがちです。)
ソラのものたちはただ、自分たちの存在を感じてほしい。すべてのものに意識があることを認めてほしい。隠された真実に目を向けて支配星のしてきたことがどういうことであるか、それによってどうなってきたのかをきちんと見て人間たちが騙されてきたことに気づいてほしい。ただそれだけだと思うのです。
心から湧きいずる思いが一番大切なのではないかと思うのです。ソラのものたちと心が通い合い、その思いが感じられたならどうしたらよいのかは自ずとわかるものなのではないかと思うのです。
誰かがそのようにいったから…とか、信じないと地球が大変なことになるから…とか、ソラのものたちが私たちに望んでいるのはそんなうわべの思いや信じなくてはならない、○○しなくてはならない。のネバナラヌではないのです。
私たちの人間の心の底から生じる思いで未来を変え、切り開いていってくれることを望んでいるのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005/12/28 03:56:37 AM



© Rakuten Group, Inc.
X