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写真は今朝09:04西側。波打つような感じです。 まずは昨日の日記の中から(以下その一部) 23日-08:45- 音は今朝も聞いている時間なく動き出してしまったのでよくわかりません。ただ、九州方面もしくは遠方の途切れる音だけは聞きました。(音は他にもしているのはわかりますが、朝床に入っている間に聞かずに動き出してしまうと微妙な音の質まで聞けなくなります。) サインは今朝から現在まで右親指(四国とその周辺、中国、紀伊水道、和歌山の一部を含む)がまたあり、あとは右手首(九州もしくは遠方)を感じています。 昨日の左薬指(東北)、左人差し指(中部、北陸など日本海側も含む)、左小指(北海道)のサインについてはまだ結果が出ていないものとみています。 昨日朝の時点でこのようにお伝えしていましたが、昨日朝は既にきつい圧を感じており、どこかの発震前の高まりかと思いましたが、その後午前中いっぱい微妙に強弱を続けて14時頃にかなり低下しました。 低下したので、どこで発震があったかと地震情報を確認したのですが、 *23日12:37沖縄本島近海 深さ約20km M3.9 で、朝の途切れる音と右手首のサインの範囲での発生ではありましたが、その前の高まりの強さにしては地震の規模が小さく感じられ、あれっ?と思いました。この地震を表わしていたのかどうかよくわかりませんでしたが、その後もその範囲での有感地震の発生はなく、無感ですが、 *24日02:03奄美大島近海 深さ10.5km M4.4(Hi-netより) がありました。 昨日のその沖縄本島近海の地震後、現在までに発生した国内有感地震は今のところ *24日05:00伊豆半島東方沖 深さごく浅い M2.4 だけです。 また、無感ではありますが、M4以上で *24日05:46紀伊半島南東沖 深さ43.7km M4.2 も発生していました。 昨日の左人差し指のサインはこの紀伊半島南東沖のものとみています。 他にサインがあっても結果が出ていないと思われるのは右親指(四国とその周辺、中国、紀伊水道、和歌山の一部を含む)、左薬指(東北)、左小指(北海道)です。 今朝からはまた右手首(九州もしくは遠方)、左手首(ロシア、アラスカなど北方面)、左人差し指(中部、北陸など日本海側も含む)、つい先ほど右中指(関東)のサインがありました。 サインも次から次ですので、正直ごちゃごちゃで何がどうなのかわからなくなってきました。 今朝も音は意識して聞いていませんが、起きがけに途切れる音(九州もしくは遠方)だけはわかりました。 圧は昨日18時頃からまた時折強くなりながらずっと強弱を続けています。 それにしても…虚しさというか、憤りのようなものを感じています。これは自分の思いなのか、イシキの世界から来ているものなのか自分でもよくわかりませんが、とにかく虚しいです。 -21:18- その後の国内有感地震は *24日12:56伊予灘 深さ約60km M3.5 16時頃からまた強烈とまではいきませんが強い圧を感じ、その後も微妙に強弱を繰り返しています。現在ちょうど高まっているところで強烈の一歩手前という感じです。 話は変わりますが、ここのところ会社関係や仕事上のお客様などで亡くなられる方が多く、先週から続いています。今日もある方のお通夜に参列し、今さっき戻ってきました。 亡くなられた方には「今までおつかれさまでした。イシキは自由なのだからもう縛られることなく、迷うことなくソラへおかえりください。またいずれ新たな肉体を持つときまでどうぞゆっくりとお休みください。」とお話ししてきました。 お通夜とか、お葬式とか、肉体が無くなった後もなお人間を支配するために支配のものが作り上げた宗教の仕組みが、しきたりという形で私たちの生活の中に定着していることをとても悔しく思います。 そして、それが当たり前であると皆思っていますし、(というか、それが当たり前と皆思わされてきたのですけどね…)お坊さんにお経をあげてもらうことが亡くなられた方が成仏できることであるとか、亡くなられた方への供養だと思っているのですよね。 お葬式であるとか○○供養などといってはとかく皆かたちに囚われていますが、そんなことよりも一番大切なのは故人に対する思いなのではないかと思うのです。 死んだらすべて終わりではないのです。肉体は無くなってもイシキは残るのですから。 それに、なにもお坊さんやお経がその方をソラにかえすわけではないのです。逆にそれらはイシキを縛り付けるものでイシキが嫌がることなのです。 支配のものがそのことに気づかせないようにいつまでも巧妙に宗教で人間たちを支配しているのです。 (今日お通夜に向かう途中でそのことを思っていたら悔しさがこみ上げてきて、支配のものに対して強い怒りを感じ、何度もイナズマを落とすイメージをしていました。やがてその思いが伝わったかのように斎場が近づいてきた頃には急に雨が降ってきて、あっという間にものすごい土砂降りとなりました。何度も稲光が走って浄化してくれているようにも思えました。ソラのものも同じ思いなのだと感じました。) 肉体が無くなっても終わりではなくイシキは残ると思う人ととそうでない人の肉体が無くなってからの状態には雲泥の差があると思います。 イシキはソラにかえるのです。そしてまた新たなものに生まれ変わるのです。思いこそ大切。 イシキがソラにかえることを阻む宗教もさることながら、肉体が無くなってしまったらすべて終わりと思い(思わされ)、愛する人が亡くなったことをいつまでも嘆き悲しむことはその方にとっても亡くなられた方にとってもけしてよいことではないと思います。 あなたは自分が亡くなったら暗くて狭いところにずっといたいと思いますか? あなたはあなたの愛する人のイシキがそのようなところにいることをよいことだと思いますか? ソラからの伝言、お知らせ 「2004年9月16日(木) 下肢、生まれ変わり、たくさんの黒猫と黒鼠(=エネルギー体)の夢。」より、(以下抜粋) 「2004年9月16日 右足指にサインあり。 「人間のほとんどの人は一番大切なことを忘れています。 それは死んでから意識 (イシキ) がどうなるかという事です。 人間の身体は多くの原子が集まって出来ています。 死ねば原子に戻ります。 死んで肉体を焼かれて (煙となって) も、見えない原子として残っているのです。 すなわち、大気の中に入って残っているのです。 人間の肉体を形成していた原子が分解して見えない原子に戻っても、意識は離れる事なく大気中にその形を保っているのです。 (いわゆる幽霊?) そしてイシキは自分の肉体が死んだ事を知るとソラに昇って行きます。 けれども、死ねば何もないと思っている人のイシキはソラに昇っても仲間に入れてもらえません。 そしてドンドンそのイシキは下がっていき、ついに地中の中に入って行き、お墓の中が自分の居場所と思ってそこに留まります。 そしてお墓に来てくれた人に、何とか (自分の存在を) 知ってもらおうとするのです。 (いわゆる自縛霊?) 人間だった時の原子が一致団結している場合、違う人間に生まれ変わりたいと思えば、その原子の固まりはかつての人間の思いを多く残し、再び人間として生まれ変わることが出来ます。 イシキを認める人で、なおかつ自分の人生を忘れたいと思う人の原子は、バラバラになってそれぞれの原子の望むモノになっていけます。 下がることなくソラにそのまま残った原子は、雲になったり雨になったりしながら 『次は何に生まれ変わろうか?』 と考えます。 その時初めて原子たちはばらばらに離れ、自分の好きなモノに生まれ変わろうと思うのです。 これが人間の生まれ変わりです」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/05/25 12:54:29 AM
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