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カテゴリ:マンガ、書籍
『60年代後半から80年代中盤まで、歌謡曲の中に時代の空気がしっかりと織り込まれていた。
どの時代にもその背景には時代の気配を強烈に発散していた。その時々の社会の出来事や個人の思い出が連動していて、曲を聴いたときこの曲が出た時に自分はどこで何をしていたか瞬時に蘇らせる力があった。 それが今の曲はどうだろう。 流行っている歌の歌詞をじっくり聴いてみる。ところが、歌詞の中に時代が見えることはほとんどない。歌をつくる作家たちが部屋の中に閉じこもっていて、窓から外を見ていないのだと僕は思う。外の空気や湿度を感じていないのではないかとも思う』 大先生にはおこがましい言い方だが、我が意を得たり、だ。 いや、詞だけを読むと、今の歌もそれはそれで良いこと語ってるのだ。 が、なんかこう、しっくりこない。様々な歌番組で時折りその歌を耳にしても、ズンと胸に飛び込んでこない。ボーカルの歌唱力も影響してるのかもしれないが、なかなか胸に迫ってこない。ご丁寧に、画面の下に歌詞が表示されてもだ。 元々歌が好きなだけに、耳ざわりがよいだけの、こりゃ環境音楽か?と思ってしまうほど、こう、なんというか、琴線にふれてこないもどかしさみたいなものを事あるごとに感じていたが、これで腑に落ちた。なるほどねぇ、さすがに上手い表現。 「企みの仕事術 阿久悠」(KKロングセラーズ)という本を読んだ。我が列伝でも何度となく登場した作詞家だし(あくゆう、と入力すると文字登録もしてないのに一発で変換できるくらいだ)、そうでなくてもジュリーやピンクレディを筆頭として、あの頃の歌謡界をリードしてきた言葉の達人が書いた本、もう、いちいちそうだよなぁと思いっきり頷きながら読んでしまったのである。 もちろん、先の長い引用もこの本から。彼でなければ、彼だからこそ、説得力を持つ一文だと思う。 また、彼は別な角度からも今の歌、その周辺を語る。 (要約)『今聞き耳を立ててみれば、恋の歌かがんばりましょうという歌のほぼふたつのテーマしかないのでは、とさえ思える。歌のテーマが分化していない。 若者たちは、大人から言われて一番イヤな言葉が「がんばろう」なのに、なぜ自分たちの作る歌で一番多いのも「がんばろう」なのか?バイト先の居酒屋や定食屋のチェーン店の店長が店員の前で訓示する、それが一番説得力を持っているからだ』 『ヘッドフォンで聴く音楽は、聴くにあらず点滴だと危惧している。そしてミュージックはあるがソングはない。自分ひとりで聴く、というのは、聴く目的としては良いが、そこから先「お前も聴いてみろ」「昨日これ聴いてすごく良かったんだけど、どうだい」というつながり方が失われてきている気がする。歌は本来共有するものだ』 どうよ、この慧眼さ。ただただうなるのみ、だ。後者の内容など、去年の4月にブログで書いた私の主張が立証されたようで実にうれしい! 大ヒット曲を数多く書いている彼のこと、もちろんこんな硬い内容ばかりでなく、自身が手がけた曲の裏話や歌手の裏話エピソードもいっぱい載っていて、これまたおもしろい。 ピンクレディのデビュー曲「ペッパー警部」は、当時流行っていた飲み物Dr.ペッパー+サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド(ビートルズ)+クルーゾー警部(ピンクパンサー)+若いおまわりさん(その昔の流行歌)+くしゃみ講釈(落語)から生まれたものだとか、山本リンダの怪作「どうにもとまらない」は、その曲調から当初「恋のカーニバル」ってタイトルになる予定だったとか(あくまでも結果論だけど、この曲名じゃなぁ、インパクトないよなぁ)、都はるみの「北の宿から」の詞♪女心の未練でしょう♪は、本来その前後の文脈からすれば“(未練)でしょうか?”と綴るべきところを敢えて現行のようにしたそのこだわりとか…。 とにかく阿久悠さんの作詞家としての想いがたっぷり詰まったこの本、超お薦めなんである。あの頃の歌謡曲に今でも惹かれている人は、ぜひ一読を。 追記:最近のCMを見ていて思った。なんかこの頃、70~80年代の流行り歌がやけにCMソングに使われてる気がするなぁ。しばらく前からそんな傾向はあったけど、特に今、多くない? しかし、「今の君はピカピカに光って」のあのCMはないよなぁ。ありゃ宮崎美子のもんだっての。 あと、久しぶりに森高が歌う某自動車のCM。♪ラララのラ♪の、“の”が入るところに彼女らしさ健在なり!って気がするのは私だけ? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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