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においって、瞬時に昔の記憶を蘇らせる力がある。
石油ストーブに点火した瞬間のそれは、小学1年生の冬に手のひらを天板につけ(つまずいてよろけたとき手をジュッとね)ヤケドした時を。 仕事前の自動車工場の、オイルやグリスのニオイは中1の時知り合った友人の家にはじめて遊びに行ったときのことを(その友人の家はモータースだった)、夏の草いきれのそれは安倍川の花火大会を…。 バスクリンのニオイ、石鹸のニオイ、餅の焼けるニオイ、たき火のニオイ、古本屋のニオイ、畳のニオイ、消しゴムのニオイ、ニベアのニオイ、まぁ挙げればいくらでも…ってところだけど、案外、けっこう、とりあえず、記憶・思い出に直結するニオイってあるもんだ。 もちろん、記憶呼び覚まし装置ってのを抜きにしてもニオイって大切なもので。 鼻をつまんで食べればどんな贅沢な料理でもまったく美味しくないし、ビロウな話で申し訳ない、ウンチやオシッコのニオイで健康状態がわかるってのも、ある。 昨今のアロマテラピーを挙げるまでもなく、ある種のニオイは気持ちを落ち着かせる効果があり、いやそれどころか人の感情すらも時に操ることができるほど。 ま、できれば自然のニオイが人には一番いいんだろうけど(どれだけ高価な芳香剤も、本物のキンモクセイの香りにゃかなわないってね)、とにかくニオイってのは生きてくうえで大切なもん、なんである。 でもって、ニオイが大切ならそれを嗅ぎ分ける力もまた重要。 目の前の危険を察知し回避するためには、目や耳と同じくらい鼻も…だ。 さて。 自然回帰だか“○○にやさしい”だか、“無臭”って発想がある。臭わない快適空間ってやつだ。 そりゃまぁさ、一度嗅いだだけでオエッてなっちゃうニオイや頭痛くなっちゃうような香水の残り香は確かに困りものだ。昔会社にいたなぁ、深夜の夜汽車以上に長いながい余韻を残す、ベッタベタに“あんた明らかにつけすぎだよそりゃ”的に香水のニオイを振りまいていた女子社員。あそこまでいくと“匂い”より“臭い”だった。物理的暴力すら感じるほど…。 でも、それも程度の問題。徹底的に無臭にこだわるよりも、少しは良い匂いも悪い臭いも残しておいた方がいいと思うのだが? 以前、チャフィーさんがブログに書いていた“ニオワ納豆”。そこまでして臭いを取っちゃうのって、やっぱりどう考えたって不自然だもんなぁ。 穿った見方だけど、あんまりニオイを消していっちゃうと、嗅覚の能力も衰えて、危険を嗅ぎ分ける力までなくなっちゃうぞ? …いや、今の世の中、どうも昔にはなかったいろんな面での“親切さ”“便利さ”“快適さ”ってやつが、人が本来持っている能力を低下させてる気がして…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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