|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「お話の什」6歳より9歳までの子供達が「お話を致します。」と言って次の心得を誓い合いました。
1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ。 2.年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。 3.うそを言うてはなりませぬ。 4.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。 5.弱い者をいじめてはなりませぬ。 6.戸外で物を食べてはなりませぬ。 7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。 「ならぬことはならぬものです。」 座長(参会者のうちの最年長者)が1つ1つ読みあげると、座員はその都度、「ハイ」「ハイ」と頭を下げて拝聴する。「お話」がすむと、座長は厳かに座中を見渡して「何か言うことはありませんか。」と言って、昨日から今日までの間に、「お話」に違反したものの有無を問いただします。 その時もし違反したものがあると、座長はその違反者を座の中央に呼び出して、その事実の有無をたずねます。もし事実であると、どんな制裁を加えるかを相談して、適切な制裁を加えるのでした。 制裁には次のようなものがありました。 無念……ごく軽い罰で、座長からみんなに「無念をたてなさい。」と命じ られると、みんなに向かって「無念でありました。」と言ってお辞儀をし て、心からわびをする。 しっぺい…これには掌にやるのと、甲にやるのとの2通りがある。軽いほうは掌に、重いほうは甲にやった。実施の時は座長がよく看視していて、手加減を許さなかった。 絶好(派切るともいう)……一番重い制裁であった。一度派切られると、 父なり兄なりが付き添って行き、みんなにおわびをして、解除を求めなければならない。これは、めったには実行されなかった。 手炙り……冬火鉢の上に手をかざさせる。各人が自分の指先に鼻の脂をぬり、これを被告の手にすりつけたりした。 雪埋め……冬、雪の中に埋める。 とにかく、子供心に一番恐ろしかったのは「お話し」の後の、上記の審問でした 。 「遊びの什」… 「什」 は町を幾つかに、地域割りして組を作りました。このグループのことをいいます。天気が悪くない限り、お話がすむと、今度は皆戸外に出て,日没まで共に仲良 く遊びました。これが「遊びの什」です。 年長者が解散を宣言しない中は、一人で勝手に帰ってはいけません。たとえ親戚の人が遊びに来たからといっても、勝手には帰られませんでした。もし、早く帰る時は、父や兄なりが迎えにきて、許可を受けなければなりませんでした。 以上、(会津戊辰戦争……平石辨蔵著より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.09 15:55:31
コメント(0) | コメントを書く |