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雪の降らない僕らの街に -YUKIHURA-

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「プラネタリウム」


もしも僕があの頃の僕に手紙を出せるなら


第一話「飛び降りた場所。」


第二話「幕末の風」


第三話「名刀廻渡」


第四話「道場仲間達との出会いと江戸の闇」


第五話「鶴梨八世」


第六話 人生いろいろ


第七話「燃える家の先に見たもの」


第八話「風荒ぶなかでみた涙」


第九話(ベンと清野とときどき鶴梨)


第十話「激しい戦闘の果てに」


第十一話「激闘の後」


第十二話「わが身を骨と化すとき」


第十三話「細い刀ともろい絆」


第十四話「風の中に聞こえるかすかな声」


第十五話「嵐の前の静けさ」


第十六話「血と汗と秋場」


第十七話「砕け散る硝子」


第十八話「爆発する硝子」


第十九話「張り詰めた硝子」


第二十話「歯車に必要な硝子の欠片」


第二十一話「骨だらけのOO大会」


第二十二話「硝子壊し、前章」


第二十三話「硝子壊し、発動」


第二十四話「硝子壊し、阻止」


第二十五話「引き金を引くもの」


第二十六話「暗闇のトンネル」


第二十七話「一筋の光」


第二十八話「正直疲れてるから今回短め」


第二十九話「駆け引きに勝つもの」


第三十話「死のルーレット」


第三十一話「自身との戦い」


第三十二話「流れに身を任せない」


第三十三話「力の差」


第三十四話「正直疲れているので(ry)」


第三十五「かごの中の清野」


第三十六話「矛の先にあるもの」


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小説『○○○○○○』


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2007.01.09
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「お話の什」6歳より9歳までの子供達が「お話を致します。」と言って次の心得を誓い合いました。
1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
2.年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。
3.うそを言うてはなりませぬ。
4.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
5.弱い者をいじめてはなりませぬ。
6.戸外で物を食べてはなりませぬ。
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。

「ならぬことはならぬものです。」
座長(参会者のうちの最年長者)が1つ1つ読みあげると、座員はその都度、「ハイ」「ハイ」と頭を下げて拝聴する。「お話」がすむと、座長は厳かに座中を見渡して「何か言うことはありませんか。」と言って、昨日から今日までの間に、「お話」に違反したものの有無を問いただします。
その時もし違反したものがあると、座長はその違反者を座の中央に呼び出して、その事実の有無をたずねます。もし事実であると、どんな制裁を加えるかを相談して、適切な制裁を加えるのでした。
制裁には次のようなものがありました。
無念……ごく軽い罰で、座長からみんなに「無念をたてなさい。」と命じ られると、みんなに向かって「無念でありました。」と言ってお辞儀をし て、心からわびをする。
しっぺい…これには掌にやるのと、甲にやるのとの2通りがある。軽いほうは掌に、重いほうは甲にやった。実施の時は座長がよく看視していて、手加減を許さなかった。
絶好(派切るともいう)……一番重い制裁であった。一度派切られると、 父なり兄なりが付き添って行き、みんなにおわびをして、解除を求めなければならない。これは、めったには実行されなかった。
手炙り……冬火鉢の上に手をかざさせる。各人が自分の指先に鼻の脂をぬり、これを被告の手にすりつけたりした。
雪埋め……冬、雪の中に埋める。
とにかく、子供心に一番恐ろしかったのは「お話し」の後の、上記の審問でした 。
「遊びの什」…
「什」 は町を幾つかに、地域割りして組を作りました。このグループのことをいいます。天気が悪くない限り、お話がすむと、今度は皆戸外に出て,日没まで共に仲良 く遊びました。これが「遊びの什」です。
年長者が解散を宣言しない中は、一人で勝手に帰ってはいけません。たとえ親戚の人が遊びに来たからといっても、勝手には帰られませんでした。もし、早く帰る時は、父や兄なりが迎えにきて、許可を受けなければなりませんでした。
以上、(会津戊辰戦争……平石辨蔵著より)





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Last updated  2007.01.09 15:55:31
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