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昨日、ある人の紹介で、鮭は一つの仕事をした。
拘束時間はそこそこあったが、それに充分見合う報酬も用意されていた。 内容としては、ユーザーに対するデモンストレーションといえる仕事で、 紹介者とユーザーの間には、紹介者の元締めというべき仲介者がいた。鮭と仲介者は初対面。仲介者にとっては、鮭の商品としての価値は未知数。いわば、紹介者を信頼しての依頼であったといえる。 紹介者は、決して、鮭の商品価値を過大評価していたわけではないと思う。絶対に鮭でなければならないということでは勿論なかったし。でも逆に、はしにも棒にもひっかからない程なら、初めから話は回ってこなかったんだろうなとも思う。A級には及ばすとも、B級品としてなら評価できる という判断の結果、鮭に話しは回ってきたのだろうと思う。勿論鮭自身も、紹介者に大きな迷惑がかかるかもしれないという危惧があれば、最初から話は受けなかった。 ところが、現場で鮭という商品を何度かのリテイクによって検分した仲介者の下した鮭の商品価値は、結果としてB級品にも及ばない、いわゆる「不良品」だった。 仲介者にとって、昨日の鮭は、仲介者がユーザーに、そしてユーザがエンドユーザー(おそらくは抽選かなにかで招待された客)に売り込むべき、大切な商品だった。 仲介者には、その道のプロフェショナルである紹介者が納める商品は、当然のことながらA級品だという確信があったものと推察される。だからこそ、仲介者が、素人の、しかも中途半端で扱いにくい(例えば、中身がダメでも、それを帳消しにできるほど若くて見場がいい商品なら、それなりに売り方もあるだろうから)オバハンを見切るのは早かった。 仲介者は、その欠陥を内輪の話として収めるのではなく、ユーザーの目の前で暴露した。つまりは、今日の商品には不良品が含まれている(鮭のほかにも参加者がいたので)と事実上宣言したわけだ。 そのことに対して鮭にはなんの不服もない。鮭が、仲介者の要求に見合う商品ではなかっただけのことだ。むしろ、セールスに悪影響を及ぼしてしまったことに対して、申し訳ない気持ちで一杯だ。客の目の前であるにも関わらず、「規格外」宣言をしてしまうほど、鮭の商品価値が低かったのだから、仲介者にすれば、「話がちがうじゃないか!」と怒り心頭だったのかもしれない。おいしいミカンですよ とユーザーに宣伝しておいて、箱を空けたら一個腐ったミカンが混じっていたのだから。 不良品混じり宣言が、ユーザーに対する申し開きの可・不可の判断を伴ったものであったのか、仲介者としての立場以前に、芸術家としての権威が許さなかったのか、その辺は鮭には測り知ることはできないのだが・・・。 経営者の端くれとして考えるに、鮭が昨日の仲介者の立場なら、やはり、売り物が不良品であったことに対して、怒りが先に立った可能性が大だ。「何故、大事なプレゼンにこの商品が提示されるのだ!」と。紹介者に対しても、愚痴のひとつもこぼしただろう。「なんでこんなの収めたの?」と。そして、宣言が、ユーザーに対する申し開き不可 と判断しての結果であれば、間違いなく、応急処置として値引き対応位のことはしている。次は間違いのないものを収めますから、今日の所は値引きということで何とかご容赦願えませんか と。 そんなやり取りが展開されるのが目に見えたから、鮭はまだ精算の終わっていない報酬に対して、紹介者に辞退を申しいれた。受領の意思がないことを、仲介者に伝えて欲しいと。 紹介者からは了承の返信があった。恐らく昨日の時点で何らかの話し合いが、仲介者と紹介者の間でなされていたのだろうと思う。少しでも仲介者の損益が減ればそれに越したことはない。鮭的にはそう考えて自然にでた結果だ。 けどさ、これって、取り様によっては、チンケなプライドを傷つけられて拗ねている と捉えられてしまうのかな。仲介者にも紹介者にも。だとすると寂しいな。言い訳はしないけどさ。 鮭的には、紹介者の顔に泥を塗るような形になってしまったことが何とも悔やまれる。身の程をわきまえないから、こういうことになっちゃったんだなぁ。仲介者の売り込みの気力を萎えさせてしまったであろう事も、本当に申し訳なく思う。これでユーザとの話がこじれでもしたら、ホント、申し訳ない。仲介者に絶大な営業力があることを切に望む。 そんなところが、「鮭、腐ったミカンになる」の実情だ。 しばらくゴスペルから離れてみるか。 ご心配を頂いた母鮭の方は、ピアノの先生に、昨日、本人から「会って話を聞いて欲しい」という意思を示して、話をしに行ったようだ。先生とは35年来のお付き合いになるのだが、、有難いことに、ひとまわりほどお姉さんの母鮭のことを、大切な友人と言って下さる。今回のこともとても心配してくださっていて、母鮭からのアプローチに、とにかく今、胸につかえていることを全部話してごらん という姿勢で応えてくださって(というのも、娘に心配をかけまい という親心からだろう、鮭にはどうしても本音を話そうとしないのだ) 昨日一日、母鮭が心の裡にわだかまっていたあれやこれやを吐き出すのに付き合ってくださったらしい(鮭は電話で先生からそのことを聞いた)。 先生いわく、家に来た時と、帰る時の顔つきは、全く違うものになった とのこと。やはり、父の病気のことやら隣人とのことやらで、相当なストレスを溜め込んでいたようで、ほかの事に一切頭が回らなかったらしい。自分でもそう話していたらしいのだが、話しを聞いてもらえたことで、随分楽になったようなのだ。最後はにこにこして帰った という言葉に、心底安堵した。先生、有難うございます。 暫く私に任せてみてくれる? という暖かい先生の言葉に、今回は甘えさせてもらうことにした。鮭の方は、鮭に可能な、娘としての接触を、取りあえずは小まめにはかろうと思う。 ご心配を下さり、コメントを下さった皆様には感謝いたしております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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