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元・占い師 ルビー

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2019年01月18日
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カテゴリ:親子の関係
☆皆さん、今晩は。如何お過ごしでしょうか。もうお休みになっていらっしゃいますか。

 さて、中庸(ちゅうよう)という言葉があり、皆さんもご存じの通り「偏(かたよ)らないこと」という意味です。

 今回は、親子の間柄に限定して述べてみます。親子の間柄は、濃密な関係であることは言うまでもないと思います。

 赤ちゃんとして生まれてから、親が鬼籍(きせき)に入(い)るまで続きます。稀(まれ)に逆縁といって子どもが親より先に他界する例もありますが、順当にいけば親が先に亡くなることが多いです。

 さて、それまでの長期に渡る親子関係を、どういう風に築いていくのか、百組の親子があれば百通りの親子のあり方があるでしょうね。

 どんな親子であっても、親子は多少の口喧嘩はするものです。私が知っている実例で、104歳の母親と84歳の娘の二人暮らしの家族がありました。それぞれ配偶者が先に他界し、孫やひ孫や玄孫(やしゃご)は近所で暮らしていました。

 玄孫がいる104歳の母親と、ひ孫がいる84歳の娘であっても、悟りきる訳ではなく、104歳の母親が亡くなるまで、毎日喧嘩をしていたそうです。

 だから、遠慮の無い間柄で、ちょっとした言い争いをするのは、日常茶飯事(にちじょうさはんじ)のことであり、口だけの喧嘩であれば、さほど気にすることはありません。

 ただ、ここで難しいのは、お互いの我が儘(わがまま)の配分でしょうね。子どもの頃は、基本的な躾(しつけ)を親が子どもに教えていかなければなりませんが、小学生になってから以降の親のあり方は難しいですよね。

 ひとつ前の記事でも書きましたが、子どもが体調が悪くて休みたいと言ったときに、子どもの健康よりも子どもの成績が気になって、露骨に嫌な顔をするような母親では、子どもは寂しいしつらいですよね。

 仮病で学校を休みたがる場合は言語道断なので、親は毅然とした態度で接し、ずる休みは許さないことです。

 学校は義務教育の場合は、健康である限り休んではいけません。その点ではほとんどの親御さんも異論は無いことと思います。

 意見が分かれるのは、習い事とか職業観でしょうね。

 例えば、ある母親が子ども時代にピアノが習いたかったけれど、家庭の事情で習うことができなかった場合、女の子が授かるとピアノを習わせたがる傾向が多いように思います。

 親が子どもの為に「良かれ良かれ」と思う気持ち、この場合は、過去の自分が願っても叶えられなかった事を我が子にはさせてやりたいという親心なのですが、ここで問題になるのは子どもの気持ちです。

 子ども(娘でも息子でも)がピアノでも、あるいは他の習い事でも、本人が習いたがるのであれば、親が才能を伸ばす後押しをしていけば良いのですが、子どもが嫌がる場合は、親としてどう対応するか、ですね。

 私の父は、私が嫌がって逃げると、鬼の形相(ぎょうそう)になり、文字通り、私を掴(つか)まえてピアノのレッスンに連れて行っていました。それだけ、父は昔気質(むかしかたぎ)の性格だったので、子ども(私)の気持ちを尊重などという今風の児童心理学者が論じるような「思い遣り」は無かったです。

 このように親の考え、親のわがままを子どもに押し付けるような強引な遣り方というのは、私の子ども時代は珍しくなりつつあったように思います。そういう意味で、父は古風な親でした。

 親が子どもの為を思う気持ちは、わからないでもないですが、どこまで子どもが親の気持ちを理解できるのか難しいところです。

 世の中の親子関係は、親がわがままになって、子どもの気持ちを無視して、子どもを操(あやつ)ろうとする親が居るかと思えば、

 反対に、子どものわがままに親が合わせていて、悪い意味で子どもを尊重し過ぎて、子どもを甘やかす親も居るようです。

 私の親戚や友人、知人などの親子関係を見ていると、「親の都合に合わせている子」あるいは「子の都合に合わせている親」、このどちらかに偏っているようです。

 どちらにも偏らない中庸が理想ですが、至難の業(しなんのわざ=実現が極めて困難である行い)なのでしょうね。

 要するに、習い事でも将来の職業でも、親は自分の好みを子どもに押し付けないことです。

 例えば、ある男性が公認会計士になりたかったけれど、自分はなれなかったから、息子に「公認会計士になれ」と言うのは「身代わり出世」を望む気持ちだと思いますが、

 自分ができなかった夢を子に託して期待を抱(いだ)くことは、私は勧めないです。

 なぜならば、画家で故人の岡本太郎さんが「期待は自分にするものであって、自分以外の人に期待するものではない。」と生前(せいぜん=生きていたとき)に仰っていた言葉に、私は共鳴できるからです。

 親と子は森の中に入っているような状態です。少し離れて、遠くから見ると、「森の形」が見えてくるように思います。

 文責 ルビー 

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最終更新日  2019年01月18日 02時03分41秒
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