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カテゴリ:非公式サイトの日常
1月20、21と金沢に行ってきました。 非公式サイトのところからは特急しらさぎで2時間半、自動車で3時間くらいでいけるのですが、なかなか行く機会がなく、実に19年ぶりでした。 金沢市内でも、前の週末に60cmの積雪があったので心配でしたが、それほど残ってなかったので助かりました。 兼六園 金沢と言えば最初に行くのがここですね。やっぱり中国人観光客の人が多いです。先週の雪もあって、国内旅行の人は控えたのかもしれないですが全体にお客さんは少なかったですね。 これは江戸時代の終わりころに試作として作られた噴水。これをもとにして金沢城内に噴水が作られたらしいですが、今はこの噴水しか残っていません。日本最古の噴水と言われています。 西に流れる犀川の水を引いて「逆サイフォン」を利用した自然の力で吹き上がっているとのこと。ですから川の水位によって噴水の上がる高さが変わるんだそうです。 あちこちに「雪つり」が施されています。先週の雪もなくなって綱が見えています。雪をかぶった時ほど美しいと言われるので、ちょっと残念でした。 これは「根上がり松」と呼ばれおり、確かに根っこの部分が地上に見えています。伏見稲荷にもこんなのがあったような・・・ これは日本武尊像です。西南戦争の戦没者の慰霊のために建てられたものということです。 雪が中途半端に残っていたので、溶けてくると足元がぬかるんでちょっと歩きにくかった。もっとしっかり残っていた方が、雪つりの情景も綺麗だったんじゃないかなと思います。 金沢城 金沢城は道を挟んで北側にあるので、そちらも入ってきました。敷地内に入るのは無料ですから、市民の方たちも散策に来ているようです。 王手門である石川門。敷地内にはほとんどの建物等は失われていて、唯一重要文化財になっているのがこの石川門です。 順に進んでいきます。 門の近くのお堀。氷が張っているのがわかりますか?とても寒かったんです。 キッチリとした石組みが見事です。 城内にはかなりの雪が残っていました。だだっ広いだけで何もありません。 城内に唯一といえる建物。三十三間堂のような倉庫です。 庭園は整備が行き届いていて美しいです。 当然ですが、前田利家公の像が石川門近くに建てられていますよ。 近江町市場 金沢に行く人はここが目当ての人も多いのでしょうね。非公式サイトも行きました。 好い角度から写真が撮れました。さすがに人は多いです。ここでは中国の人より日本人が圧倒的に多かったですね。たまたまなのかな? 松葉ガニが多いのですが結構高い。電車で行ったこともあって買うのはあきらめました。 流石に海産物が豊富なだけにお寿司屋さんが多いです。料理屋さんも魚中心のメニューの店ばっかりです。非公式サイトは魚好きなので目移りしてしまって、どこで食べようかと迷ってしまいました。 観光客の人の半数は食べると言われる海鮮丼。もはや近江町市場の定番です。非公式サイトも食べてきました。 この時期はブリが美味しいです。 蛇足ですが、金沢市内には握りずしのお店も半端な数ではないんですね。夜は駅前太鼓寿司さんというお店でいただきました。 妙立寺(忍者寺) 忍者寺と呼ばれていますが忍者がいた寺ではありません。たぶん忍者屋敷のような不思議な造りになっているので呼ばれるようになったのだと思います。その背景について解説します。 前田家は、大谷吉継の事前作戦によって関ケ原合戦に参加できませんでした。それでも元々前田利家と徳川家康の関係は悪くなかったことと、本来東軍につく意志も示していたため、戦後は領地石高安堵でした。 しかし、幕府にとっては百万石の外様大名は警戒に値します。三代徳川家光の代になったころ、加賀藩を攻めてつぶしてはどうかという議論がなされたようです。 加賀藩三代目の前田利常は、幕府が攻めてくるとしたら、西の敦賀松平家が拠点となるだろうと考え、これに備える必要から、金沢城から犀川を挟んだ西側に、寺院群を建てます。 今は寺町と呼ばれていますが、これらの寺院は、実質的に金沢城の出城の役割を持ちました。犀川を背にした背水の陣で西からくる幕府軍を迎え撃とうという想定です。当時新城や3階以上の建物を築くことは禁じられていたので、寺のように見せかけながら砦を造ったということですね。 攻め込まれにくいように入り口は極めて狭いです。 外から見ると「お寺」の姿ですが、正面からして三角の不思議な造り。窓というものがほとんどないのも閉じこもって迎え撃つための堅牢な造りにしてあるからかな。 実際に中も暗いです。いきなり攻め込んでも最初は何も見えなくて、その間に討ち取られてしまう・・・という想定でしょう。 外からは想像がつきませんが、四層七階建てという複雑な構造で、賽銭箱が床にはめ込まれ、いざというときにずらすと落とし穴になっていたり、隠し階段を含めて階段は29か所、隠し部屋や地下室など部屋が23か所、それ以外にも隠し扉や抜け道ばかりです。 建物の中心に井戸があり、どの部屋からも水が汲めるようになっているほか、とても深い井戸で途中に横穴が作ってあって金沢城までの抜け道にになっているとか。 このお寺は今回観たものの中で一番興味深いものでした。当時の前田家の立場というのがよく伝わってきます。おそらく必死だったのでしょうね。 JR金沢駅 ということで、金沢駅から無事帰ってきました。もちろん森八の長生殿も買ってきましたよ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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