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カテゴリ:非公式サイトの日常
安芸市内に戻ってきました。まずは安芸城跡に行ってみます。
安芸城跡は安芸市土居にあります。もともとは鎌倉時代に安芸氏が築いた平山城で、戦国時代に長宗我部が占領します。江戸時代に土佐が山内家の所領となり、土佐藩家老の五藤氏が居住しました。 城郭内には次の写真のように五藤氏の建物が残されています。
安芸城跡の中にはお城に見立てた安芸市立歴史民俗資料館があります。 2017年が大政奉還150年、2018年が明治維新150年にあたるというので、高知県内の随所で次のように2年間にわたるイベントが行われています。この期間中に、中央部や西部地域を回ってみたいなと思いますが、果たしてその機会があるかどうか・・・
続いて、安芸城下の武家屋敷群に行ってみました。現存しているのはそれほど広い区域ではないですが、整然とした街並みで道や側溝は当時の様子がそのままです。区割りは建売住宅などよりはかなり広いですが、お屋敷というほどではない感じで、どちらかというと質素です。武家屋敷というより武家住宅と言うほうが合っていそうですね。
一部の家には、往時をしのぶ長屋門なども残っていますね。
この近くに野良時計というものがあります。
これは、資料によると明治時代にこの地に住む地主が独学で組み立てたものだそうです。研究熱心で器用な人がいたんですね。 では、岩崎彌太郎の生家に向かいます。 この地方の土豪であったという岩崎家。武士階級の下にいて微禄を食みながら農業もしていたという階層だそうです。屋敷はそれなりに大きく、蔵がある分、中岡慎太郎の生家より立派な感じです。 次に三菱のマーク「スリーダイヤ」について。 最初は、ひし形を縦に3つ重ねた「三階菱」と言われるものでした。次の写真のように岩崎家の土蔵の鬼瓦に刻まれています(黄色い丸の中)。これを家紋としていたようですね。 それが転じてできたのが三菱のマークだそうです。蔵の壁にあります。 彌太郎は、明治政府が藩直営の事業を禁じたことで解散した土佐商会の船を譲り受けて海運業を開始。九十九商会から三菱商会を経て、社名を三菱蒸気船会社とした時、スリーダイヤを社章としたそうです。 その後、台湾出兵や西南の役などで軍事物資を輸送することで膨大な利益を上げ、三菱財閥の基礎を築きました。 生家から道を挟んで東側に岩崎彌太郎像があります。非公式サイトの記憶では以前は1kmくらい南のほうの郵便局のあたりにあったと思うんですが、平成27年3月に生家近くへ移設されたんだそうです。堂々とした姿ですね。 碑文は次のように刻まれています。 最後に、キャンプの時に設置される「思い出のパネル」からタイガースの歴史の一幕を拝借します。ご容赦ください(;^_^A 最初は昭和40(1965)年に歴代7人目の助っ人として加入したチコ・フェルナンデス選手。ベンチに座っているのが臨時コーチに招いたデトロイト・タイガースのゲリンジャーコーチです。
2枚目は昭和50年代のいつか? 安芸市営球場で行われたオープン戦のようですね。応援団が旗振ってにぎやかです。小さいですがネクストバッターサークルに掛布さんの姿が映ってますね。
3枚目は中村監督の就任した年かな。歓迎の花束贈呈の場面。奥の方に和田や中西らしき人物も写っています。まだこのころは一軍が来ていた時代ですね。
ということで3回にわたって2月9日に回ったところをご紹介しました。とても充実した1日でした。2月に来るのは6回目かな。キャンプの見学ですからいつも寒い時期なので、今度は暖かい時にも来てみたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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