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「ハウルの動く城」のトランペット吹きの
演奏会にお誘いをうけて行ってきました! ミロスラフ・ケイマルさんというトランペット吹き。 彼は、「ハウルの動く城」のあのきれいなトランペットの ソリストです。 このコンサートは、知人がこのトランペット吹きにほれこんで、 招聘したそうで、割引料金でいれてもらいました。 すごいな~! だって、アマチュアの、べつに音楽事務所でもないのに、 コーディネイトとかぜんぶやったんだろうなー。っと思う。 さて、演奏会のはなし。 「フリューゲルホルン」という楽器とふつうのトランペットを 持って登場。 ことばのわかるピアニストの女性とナゴヤカに登場。 ピアニストが、これまたすごいすてきなピアニストで、 演奏がだいたいものすごくよくて、 「通訳兼・インタヴュアー兼司会進行」 みたいなことを気軽にひきうけていて、すごい。 ふつう、伴奏者は地味~に伴奏だけしてるよね。 そして、ケイマルさんもすごくよかった。 なんていうのかな、彼はほんとうにトランペットっていう 楽器を、自分の家みたいによーく知っていて、 間取りも部屋の数も窓のむきも全部把握してるという感じ。 天才。天才というのにはいろんな意味があるけど、 この場合の天才は、「壁をこえている、紙一重の紙をこえて 向こう側にいる人」というほうの天才だ。 芸術を目指している人は2種類にわけることができて、 「壁をぬけられるか、紙一重の紙を越えることができるか」 だと思うんだけど、彼はもちろん壁をぬけられる人なんだけど、 そのおもしろいことに、その「壁抜け」をするかしないかは、 「気分による」というのが一番おもしろいところなのだ、 彼の。 彼にとっては、その「壁抜け」みたいな音楽を作り出すことは、 台風が来るかこないか、四国に雨が降るか降らないかは 個人が決められないみたいに、彼のなかの天気次第で、 彼にとっては意志だけではできない(しないのかも)んだけど、 周りから見る分には、「気分によるんだな」 という感じに見える。 あらためて、久石譲という人、と周りの人の根気を知る。 映画のときの、彼の音楽がものすごくあまりにも完璧だったので、 つまり、その「すべてのフレーズが壁をぬけている、 紙一重の向こう側にいる」という音楽ができるまで ねばったし、待ったんだな、と思った。 その美しいフレーズがやってくるまで時間がものすごくかかったか、 もしくは、 「ここ一番」という勝負の神通力で 一発で決められたのかもしれない、どっちかじゃないだろうか、 そういう気がする。 それにしても、アットホームな手作り感でいっぱいの、 そして、ケイマルさんへの愛情がいっぱいのすごい、 いい演奏会だった。 「こんな天才がよくこんなところにきたなあ」と最初は思ったけど、 演奏会のスタッフを見てものすごく納得した。 愛情を持ってやっていること、有能な人があつまって、 自分のできることをシェアしてベスト以上をつくしてやったこと、 その、「ケイマルさんが好きなんだ」という ポジティブな気持ちだけでできた演奏会、そりゃ、 くるよ、ケイマルさん、と思った。 そして、「フリューゲルホルン」はほんとうにすばらしく、 これこそが彼の本分だなあ、と思った。 その場の雰囲気とか、音とか、空気とか、におい、時間とかが、 そのやわらかい音色でぬいあわされてすべてがそっとひとつになる感じ。 トランペットもほんとすごかった。クラシックのペットを 全部知っている、知っていることは全部手の中に持っている、 そういう感じ。で、つまり、「クラシックのペットを吹く」というのは、 音色すべてが「天上の音」みたいな感じなのだ。 つまり、ジャズをふいても、「天上の音」という感じ。 澄んだ、きれいな、空からの音。というか。 魔法みたいに、招聘の愛情だとかがんばりだとか、 ソリストの才能、伴奏のピアニストのすばらしさや 気前のよさ、やさしさや愛情からくるサービス精神、 うまくぴたっとハコにおさまっていた、ひさびさに 文句のつけどころのない演奏会。 さそってくれて、どうもありがとうでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.11 00:36:58
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