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昨日…じゃなかった、おとといの演奏会で、弾きながら、
ああ、もうこれ以上うまくなれない。 無理だ。このかすかすの音はなんだ。バターテスターをつっこんだら、かすかすなんじゃん(「農家の少年」アルマンゾんちで作ったバターを仲買人が買いに来た時使っていた)。 11年も弾いてるのに、なんだそりゃ、この音は。もう向上は望めない。 と思った。 けど、録音を聴いてみたらそこまではそんなにひどくなかった。客観的に聴くと、まだ余地があるように感じた。 セナもアムリタの朔美もいっているように、限界を発見することは、自分のキャパシティが広がることなんだな。たぶん。 人前に出す仕事(演奏家、作家、写真家とかさ)で重要なことは、……プロかアマをわける壁、食える・食えないは関係なく…、たぶん、聞き手や客…実際見えなくても、それを受け取る人を自然に意識できるかできないか、という気がする。それはすごくすごく重要なことだと思った。 チェロでいうと、わたしはどんなに上手でもプロにはなりえないな、と思う。壁がある。でも、プロアマは別に、チェロを弾くことのよろこびはいつもいつも感じている。そばにある。 何を弾いてもなかなかうまくならないところ、らくちんにかまえることができること、発見がいつでもあること、すごい人が近くにたくさんいること、アンサンブルが楽しいこと。 タイムマシンに乗らなくてもその時代の空気を吸い込むことができること、作曲家と、作曲家に作曲させたなにものかに会えること。 いい匂いのする風にくんくんできること。今までこの曲を弾いてきた人達、曲を聴いてなぐさめられた人達、音楽に耳をすませた自然や目に見えない空気のようなもの、そういうのがリボンみたいにきれいに組合わさって、気持ちのいい、うれしい季節の風みたいに暖かくて、さわやかな匂いがする。 そういう感じが好きだ。 そういうのが組み合わさると、風の美しさや心地よさが増える。それは例えると階乗(4!みたいなやつ)のような増え方だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.15 21:57:28
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