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すっごくまじめな人々を見ていて
ずっと考えていたことなんだけど、 自分の人生をほんとうによくするためには、 世界をほんとうによくするためには、 善人になろう っというアイディアはけっこう、あんまり関係ないような 気がする。 もちろん、ばんざい悪というわけではなくて、 善人になろう というアイディアのうしろには、 善人でいなければ という苦しみというかプレッシャーがよく見えるし、 というか これが善人である という思い込みのような、他人の壁をのぼっているような 感じがする。 そんなことより、自分の壁を登ること、 自分の神話に生きるということが一番重要な気がする。 「これぞ善人」って、つまり、 人の悪口を言わないでいたり、 怒っているのに怒っていないといったり、 許していないのに許そうとしたり。 ということではないか。 もちろん、↑に書いたこと(許そうとしたりするの)って 重要なんだろうけど、 それに縛られて苦しんでる人っていっぱいいるように思う。 悪口は悪口で、悪口をいいたくなったりするのって、 その分の毒を自分のなかに秘めているので、 言わないでいるよりどんどん出して それについて向き合うのがいいと思う。 でもつっこみはつっこみで別なような気がするし、 とにかく自分との内的な対話ってすごいわりと 案外重要ではないかなあと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.02.06 00:43:45
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