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これ、「いつでもできます」という感じ。つまり、彼はいつでもできる人なのだ。もてるし。でも、何を本当に聞いているかというと、彼の質問は「心の底からぴんとくる人と結婚したいけどできるか」なんだろう。 じゃあ心の底からぴんと来る人はどこでつかまえるんだ。。という感じだけど。 きっと彼はわりとお付き合いする女性には不自由してないのだけど、いまいち心のどこかでピンとこないんだろう。なんとなくぴんとこないなあと思っているうちに(割合としてはささくれが気になるくらいの割合)、彼のエネルギーの強さに、はじかれて女性が去る、という構図ではないか。 と思う。 だから、彼は結婚はいつでもできるのだ。あれだけ男らしい、車もどんどん乗り回す人が結婚できないわけがない。ぴんとこないだけなんじゃないかな。違うかな。 ところでこういうのってどう見てるのか?というと、質問をもとに、メールの文面をたどる感じ。というか、質問されないとわからん。メールをちょっとやりあうとだいたいわかる。別にそのことについて語り合わなくても、だいたいわかる。 あと、物とか。 あと、おなかにいる赤ちゃんとかは、自我(というか、私たちの教育や社会から訓練されて身につく社会性というか)がなくて、魂がつるっとしてるので、何しにきたかとか教えてくれる。 みっちゃんちのゆうちゃんは、何か強烈に具体的にしたいことがあって生まれて来た子だけど、何しにきたか教えてくれないが、これは単に私がなめられているだけという気もする。。 「彼氏/結婚できますか」ってきかれてもなぜか、いつもだいたいわからない。 なんでだろう。 例えば、具体的に何が結婚する邪魔になっているかというのはわかるし、その時点でどんな結婚をするかはわかる時がある。でもそんなのどんどん行動次第で変わるし。縁なんて自分の鏡うつしみたいな人がくるものだし。だらだらしてたらだらだらした人がくるのだ。 プロのサイキックはわかるんだろうな。 という訳でプロにはならないけど、お金があるときにプロのサリアさんにやり方を習いに行ったりしてるわけです。こういうのって、習い事としてきちんと世の中に存在してるんですよ!すごいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.17 18:40:24
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