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さいきん、とある人と、
自由についてメールをしあってた。 その人とは、すごーーーく、 あ~、わかる、わかる。 自由って、そういうことだよね~ とうなずきあった。 自由の定義って、 「どんな状況下においても、自由と感じること。 設定や状況は必要じゃない。」 だと思うんだけど。 このメールをしあった人とは、 とある種類の「自由」をわかりあっている、 と思う。 たとえば、親しい友人や家族や恋人にたいして、 この「自由を追求したい」って言ったら、すごくやさしい顔をして、 「うん、わかってる。自由は重要だよね。もちろん、 私も一緒にやるよ?」というのはわかる。 でも、違う、この、「とある種類の自由」、、、 これは、けっこう、その善良な人たちからみたら、 この自由の追求は、「え?ヒドイ」って言いそうなのである。 別に悪いことをしようというわけでもなく、 他人から見たら、単にわがままに見える。 という種類の自由。 なかなか形容がみつからないのだけど、 確かにその人と私はその「自由」が何か知っているし、 それがどれくらい大事か、というのがわかっている。 あ~、ってうなずきあうのだ。 うなずきあうだけだけど。 なんだろうな、 「家族も恋人も友人も別にして、もちろんそれはそれで大事だけど、 ひとりということもとってもとってもすごい大事。」 みたいなこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.18 11:36:58
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