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Choral am Ende der Reise ~旅の終わりの音楽~

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2009.08.23
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今日大叔母(父方の祖母の妹。祖母は亡くなっておりますです)の
家にいったらいろいろと家族の面白い話をたくさん
聞いた。なんでもクリアに覚えている大叔母とちがって、
すぐになんでも記憶が歩くたびにこぼれおちる私はここにメモしておこうと思います。




彼女のおとうさんは戦時中、日本で配給するお米を買い付けて政府に売るお仕事をしていたそうだ。で、お米を求めて西へ西へじりじりと移動していったそうだ。


彼の主義「単身赴任はなし。おとうさんの移動に伴って家族も一緒に引っ越すよ。」


に伴って、


家族とおとうさんは兵庫だの山口だの福岡だの引越しを
何度も繰り返し、ついに台湾にわたって、台湾のなかでも台北から南に引越しをしたそうだ。

当然子供の学校も何度も何度も引越したそうで、さすがにおとうさんも主義を変えて、


「南下はここまでにして、おとうさんは単身赴任します。」


と、家族と会社を台湾において、自分はシンガポールとかフツイン(なんじゃそら)を転々と米を探して買い付けまくってたそうだ。

(※仏印 フランス領インドシナウィキペディアにとびます)


でも家族思いのおとうさん、フランス産のマニキュアとか靴とかを家族に買ってきてくれたりしたそうだ。


一方彼女たちのおかあさんは心臓が悪く、その病状が悪化したときに日本軍の電報を使わせてもらって当時シンガポールにいたおとうさんに危篤の旨を伝えたんだって。

で、おとうさんあわてて船(叔母いわく:もう日本軍の船は9隻しかのこってなくて、民間のが1隻だけのこってたのよ)にとびのったのはいいけれど、魚雷や空襲をさけるために台湾まで4、5日でいけば着くところを違う港におりたり一週間くらいうろうろしたりで結局1ヶ月くらいかかったそうだ。


そして、台湾のおうちにお父さんがかけつけたら、その日はおかあさんのちょうど四十九日の夜だったそうだ。

「ほんとうは治る病気だったそうだけど、ちょうど台湾の医者はけがした軍人のために全部かき集められて、はけていたのよ」





「おとうさんは英語も堪能な人でね、英語を教えてもらおうと思ったのに、『よし、おしえてあげる。まんじゅうはね、英語でオストァンデールだ』ってすごいきれいな英語の発音でまじめな顔していうのよ」


と、たしかにすごいきれいな発音で彼女がそのままいうので、オストアンデールってなんだろう・・ってすごく真剣に英語脳みそを検索して、見つからなくて、そして考えてやっと彼が6、70年前に仕込んだネタに気がついた。押すと餡出る・・。



すてきなひいじいちゃんだなあ。会いたかったな。英語を教わりたかったな。もしかして、フランス語も話してたのかな。



彼は、台湾で、シンガポールで、仏印で、船の上で、お米をかき集めながら何を考えていたんだろうなあ。と思った。



彼の血がまじってることを誇りに思う!ってまじで思った。てか、血が入ってるのか~。て。かなりしみじみした。そしたら、もっと明るくてタフでもっとギャグがおもしろいよね!


身内にかっこいい人がいて、その人がはるか昔に思える歴史のなかを生きて、生き抜いていて、その愛情の深さや、ユーモアの話を聞くことができると、ほんとうになんか生きててよかったなあと思う。













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Last updated  2009.08.24 02:12:40


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