3307256 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年11月05日
XML
カテゴリ:神秘体験空間
権力に拘束されない、毎日が自由で愉しすぎて、ブログを書くのが億劫になりつつあるのだが、生活のリズムやメリハリをつくるために、日々のネットフーテンの寅さんの放浪記のために、面倒だけど、時間を割いて書くことにするのも、ギリシア時代の犬の哲学者と呼ばれた自由な生き方を追求したディオゲネスにあやかって生きているためかもしれない。

ディオゲネス (犬儒学派) - Wikipedia


ギリシア時代のディオゲネスのような自由な生き方が、日本の昭和のドラマのフーテンの寅さんのような自由な生き方に憧れて、ネットフーテンの寅さんをしていたら、ディオゲネス症候群という言葉に遭遇し、なんでも「セルフネグレクト」のことを指すのだという。

気づいたら親が「セルフ・ネグレクト」に? 「孤立死」や「ごみ屋敷」に至る前に対策を | 済生会

上のサイトをみると、「セルフネグレクト」とは、要するに、掃除のできない、自我の世話ができない、第三者からみて、独り暮らしができていない「自己放任」な高齢者をレッテル貼りした言葉らしい。母親が亡くなってからの父親がこの手の類だったので、ただし、父親は、このサイトに書かれている『一人で生活を維持するための生活力不足のほか、「人の世話になりたくない」というプライドや「人の世話になるのは申し訳ない」という遠慮・気がねから支援を受け入れづらいということも考えられます。』という条件のなかの、生活力不足は明らかだったが、人の世話になりすぎていて、遠慮も気兼ねもなく、支援を要請するくらい傲慢の持ち主だったところはかなり異なっている厄介者だった。

この父親の生活力不足はマザコンにあり、祖母が常に世話をしていて、祖母がなくなると、今度は母親に世話を求めるような昭和の男にありがちな野暮な性格といえるかもしれない。母親については生活の世話人としか思ってなかったようにもみえる。昨今の熟年離婚が多いのも、昭和の男ならではのマザコン性といえるかもしれない。そういう意味では、昭和の男は独立した自由な生き方ができずに、どこか組織や家庭などの同居者に依存して、その権威にすがって生きていたのかもしれない。生活全般をお嫁さんに任せて知らんぷりが多いとよく聞いたし、洗濯や掃除や自炊もできない独りでは生活できない人が多かったようである。奥さんがいなければ、自己放任主義者が当たり前の昭和だったようにもみえる。

高齢者の「ごみ屋敷症候群」~生活が荒廃する三つの要因(東京都健康長寿医療センター研究所 井藤佳恵部長)~|医療ニュース トピックス|時事メディカル|時事通信の医療ニュースサイト

このゴミ屋敷症候群は、ギリシア時代の哲学者ディオゲネスにちなんで欧米で名づけられたらしいが、ディオゲネスの場合は、独立して生きていたわけで、しかも当時のアレキサンダー大王は、哲学者を優遇していたので、ディオゲネスが望めば、いつでも召し抱えられたはずなのに、権威にすがるのが気にいらない、自由な生き方を求めたディオゲネスが自ら望んで放浪のプータローしていたわけなので、「セルフネグレクト」と一緒にされるのは、この上ない侮辱となるだろうが、彼にとっては、現代人のような馬鹿な奴の侮辱などがかえって古代人の名誉にもなるので、そんなことで不名誉な病名に使われて名を残すのも、彼にとっては、アレキサンダー大王の宮殿への招待よりも、好んだ日向ぼっこの邪魔な影にもならないだろう。

ギリシア時代の生活環境も知らない、唯物論の現代人が、病名として、ディオゲネスを侮辱できるのも、唯物論に染まって、哲学を単なる物質界の知識までに低レベル化し、知識を権威化し、物質的に権力化して、唯脳論を宗教にまで高めてしまった堕落腐敗性にあるのだが、それらも全てが権力に染まり、日々物質的な金銭の勘定をして暮らす、その奴隷となってしまったせいといえるかもしれない。つまりは、自由な精神の由来を忘れてしまったせいなんである。

勿論、聖書によれば、自由は悪魔に由来するが、その自由の下に奴隷となるのか、自由の下の死から解放し、聖霊として復活を遂げるかは、各自の自我の精神性に、物質にどれだけ生命力を与えるか、の自己救済性にかかっている。自己救済性とは、権力に絡めとられない反骨心が、自由を与えた存在をも上回る自由を希求すべき態度から生まれる。だから、悪魔が自由を与えたのは、その自由で悪魔を笑う為であると思うわけである。権力を最後に笑える存在が、最後に大きく笑うのである。権力とは必ず神によって奪われるからである。悪魔に権力は似つかわしくなく、神でなければ権力は似つかわしくないからである。

最後に笑う者が最もよく笑うの意味 - 元ネタ・由来を解説するサイト 「タネタン」

人類に自由を与えたのは確かに悪魔だが、悪魔に自由を与えたのは神だからである。だから権力を持とうとし、一時的にもてるかもしれないが、いずれは奪われ、失われるからである。権力が奪われるのを知らないで、権力を持とうとする者は、カエサルのようになって地獄に堕ち、悪魔に魂を売って一緒に暮らすしかないだろう。

先日、地上波の「アナザースカイ」をみていて、お笑い芸人の反骨心の哲学に共鳴を受けた。シュタイナーによれば、人間だけが、個人的な自我を持つので、「笑える」という。笑いは人類の生物上の特権なのである。動物にも似たような擬態がみられるが、動物の場合は、集合自我なので、笑うとしたら、種全体で笑うことになるだろう。種全体の集団的な笑いが起こるだろう。だから、動物には発情期というのがあり、人間の場合は、個人的に発情を制御できるわけである。

アナザースカイ (テレビ番組) - Wikipedia


だから、人間だけが自由に性 交できて、権威や権力を自由に笑うことができるわけで、動物のように、種全体を統合している集合自我に対して、自由な反骨心を持てるわけなんである。単純にいえば、動物はこの世の意識に乏しく、いわば白昼夢を見ている状態だが、勿論、人間によって家畜化され、集団から自由になった動物は、野生動物とは異なり、個人的自我が芽生えているが、犬にはまだ組織の習性があるように、完全には自立していない。

だから、人間だけが、自我の覚醒意識から、この世の感覚で、あの世の夢との違いを区別できる。だから、たまに夢でみた潜在意識があまりにもリアルなので、現実感覚が麻痺することがあり、それがデジャブと呼ばれることがある。つまり、既視感は、潜在意識の記憶が強い場合に起こるわけで、それは、人間にとっては、この世がアナザースカイだからである。あの世の前世の自分の記憶が、この世の現世の自分を強く感じるときに、既視感が生まれるわけで、通常は、前世を感じないように肉体が遮断している。その逆は、未視感のジャメヴである。

既視感 - Wikipedia


どこかで見たけど思いだせないのは、人智学でいう、前世からの感情記憶が強く残っているせいで、その記憶は寝たときの夢でみるので、夢とは起きる前に予め今日の行事をみせるためにみるのである。だから、毎日起きる前に今日の予定をみているのである。それが今日の覚醒記憶では論理的に違和感を感じると、今日はじめてみたのに、みたことがあると、デジャブとなるのである。これはリアリティをもった夢をみたせいで起こりがちとなる。

だから、逆に、覚醒記憶には残っていて、感情記憶には残っていない、未視感は、夢でみなかった予定が起こったときに、つまり見慣れていたはずなのに、物凄い違和感を感じる、疎外感を感じる場合に起こる、と考えられる。つまり、未視感とは、昨日見たものが、違ってみえるなどである。感情記憶が発展したために、同じ物質界が異なってみえてしまうわけなんである。精神性が発展したのに、肉体が適応できていないわけで、肉体が昨日のままで、要するに、能力者に多い、波動の共鳴不調で、色盲も、この類と考えられる。

話が逸れてしまったが、アナザースカイでのお笑い芸人の野田クリスタル氏の、お笑いの反骨心というか、権力や上下関係に媚びない独立した生き方には、かつてのギリシア時代のディオゲネスの自由な哲学者の生き方を思い起こさせるほど、既成概念への挑戦、権威をぶち壊そうとする孤軍奮闘の反骨心の精神を感じさせた。そこには、古代インド人の内なる幸福への求道者をも感じさせた。

シュタイナーは、この反骨心、古代インド人の場合は、古代アトランティス時代への内なる回帰であったのだが、この精神は、西洋人には理解できないと説いている。西洋人はせいぜいヨガの物真似しかできないので、かえって西洋人には精神腐敗の毒でしかないとも述べている。というのも、神智学徒の多くが、当時のインドのクリシュナの再生に救世主を求めて、シュタイナーと袂を分けたためでもあり、改めて人智学を興したのも、その出来事に由来する。この出来事以来、シュタイナーは西洋人の東洋化には警笛を鳴らしている。

恐らく、西洋人には、ディオゲネスの生き方は理解不能だし、キリストがホームレスで生きていたとしても、かつてローマが、キリストを十字架にかけて殺してしまったように、カトリック教会の権威で追放してしまうだろう。というのも、現代のほとんどの戦争に、西洋人が利益のために関わっているからである。西洋人は反骨心を利用して他国を侵略してしまうからである。そして、キリストのホームとなった地球の環境を企業の利益として搾取し続けているのも西洋人の投資家たちである。

中東紛争もイギリス外交のせいであり、ほとんどの戦争や紛争がイギリスに始まった産業革命による植民地政策に起因しているのは歴史上明白である。それはディオゲネスのような生き方を精神病として定義してしまうほど、西洋の統治者が、内向きの反骨心に耐えられないからである。しかし、ローマには次のような格言があったのを、西洋人は思いだすべきである。

冥界の王になるよりも、乞食であるほうが遥かにマシである。

この格言は、西洋人には理解困難だろうが、西洋には少数派の意見には耳を傾けよ、という格言に似た戒めも残っている。権力は常に奪われ、失われてきたのは、古代アトランティス時代が滅亡したことでも明らかである。そして、この我々のポストアトランティス時代は、古代アトランティス時代生き残りの少数派のトートを中心とする古代エジプトにピラミッドをつくったアメンティの主たちによりはじめられたと、エメラルドタブレットには書かれている。

西洋の中世のリベラルアーツに端を発した現代人の脳科学はこれをどう読み解けるのか? 権力は滅びるのを、脳科学での脳死と同じく無として解釈すべきなのか? 権力の大罪の罪は無として免れるのなら、キリストは必要なく、悪魔ルシファーと手を握るしかないだろう。

さて、タコの心臓は3つで脳みそは9つある、といわれているが、唯脳論者とも言うべき、高度な知的生命体と自負する現代人がたった1つの脳と、心臓しかもたないのでは、唯物論的進化論では、タコから遥かに遅れた知的生命体なのではないか?と思われてくる。

現代人はカリユガの時代のせいで、中世から唯物論に染まって、いまではすっかり唯脳論の虜になっているが、脳で全ての生理現象が説明できるという脳そのものをどうやって説明するのか、脳がホルモンという生理物質を放出する背景をどのように説明できるのか、ただ物質現象を脳の現象に置き換えているだけではないのか、だったら脳死を脳によってどう説明するのか、脳死で全てが無になるのなら、脳は無になるために生まれてくるのか、それなら、宇宙の果てなど脳が考えるのも無に帰するのではないかなど、唯脳論では疑問を解決するどころか、疑問が山ほど生まれてしまい、堂々巡りで、収拾がつかなくなってくる。

未知の現象を既知の現象で置き換えるのは、英語を日本語で置き換えるのと同じではないのか? 9つも脳をもつタコに聞いてみたいものだが、現代科学では、このタコの9つの脳と3つの心臓は、錯覚のようなもだと以下のように解説している。

タコの腕には脳がある? | 沖縄科学技術大学院大学(OIST

タコの心臓は3つ!脳みそは9つ!ハイスペックなタコの生体に迫る - macaroni


この解説によれば、タコは、1つの脳と、8つの非常に賢い腕をもち、3つの心臓は、人間と同じ1つの心臓の他に2つの鰓心臓をもっているらしい。肉体の構造上では、人間よりも、複数の重要器官をもつタコを現代の生物学ではどう解釈するのだろうか?

現代生物学ではなく、簡単に思い浮かぶ直感などで、タコの形を回転させてみれば、銀河のようにみえるのは私だけだろうか?

タコの形は、タコの頭を中心にして、足を回転させると、銀河のフラクタル相似形となる。



そのうち、超弦理論の膜M理論を、タコ銀河宇宙論で、解説してみたいと思っているが、このタコという生物は、エメラルドタブレットが説いている宇宙論とよく似ているのである。タコの1つの脳は、銀河の中心で、他の8つの足となっている脳は、その周辺の太陽系などの恒星や星々と被ってくる。勿論、8つ以上の足のあるタコもいるし、銀河も沢山の渦をもっている。

このように興味深い、エメラルドタブレットに書かれている宇宙構造の共通性は、タコの9つの脳との相似性にある。勿論、エメラルドタブレットに書かれている宇宙構造は、現代科学からはあまりに奇想天外で、解釈不能だが、タコの相似性と、超弦理論のモデルを使うと、ある程度のイメージが湧いてくる。

エメラルドタブレットに書かれている宇宙構造の時間‐空間の時空を、タコの3つの心臓と、9つの脳で無理やりに解釈すると、3つの心臓は、過去と未来と現在の3つの時間の推移になり、9つの足は、9つの次元空間になる。心臓は物質を動かす筋肉などに酸素を送る機能器官だが、頭と足の脳は、神経でつながる空間の経路、連絡回路と考えられる。

要するに、心臓は、エネルギーを時間で伝達し、頭と足の脳は、エネルギーを空間に伝達する役割を果たしているわけで、タコの構造を、時空の幾何学で表現すれば、超弦理論のトーラス構造が浮かび上がるのではないかと、直感したわけなんである。

統一理論への道 第3回 (1) 超弦理論からM理論の登場へ : ヤスコヴィッチのぽれぽれBLOG



上の2つ目の画像は、タコというよりも、クラゲのような生物構造に近いが、人間の原始の姿がクラゲ状であったと思えば、宇宙構造がそのまま生物に反映しているのは、宇宙内の生命体としては、宇宙の意志が構造として反映するのは当たり前の話でもある。しかし、クラゲというよりも、リンゴにもみえる。これが、禁断の果実の、肉体の原型なのかもしれない。


人間は神に模してつくられたのは、人間もタコも、クラゲも、リンゴも、この超弦理論のトーラス構造の位相幾何学の、1つの統合脳の孔からできたのかもしれない。タコがあらゆるものに擬態できるのも、構造が同じだからかもしれない。タコの墨を吐くのは、人間のお笑いの毒舌と同じなのかもしれない。

それを読み解くには、エメラルドタブレットを読み解く必要があるのは確かなようである。しかしこれがなかなか困難なんだよねぇ。それでも、エメラルドタブレットによれば、宇宙がタコと同じなんだよと言って、権力者を笑うこともできるかもしれないが、現代人のように一つのアタマに固執する唯脳論者には、アタマがおかしいと思われるのは確かで、ディオゲネス症候群と病名をつけられて、ホームレス扱いされるだろう。

人類はいつになったら、タコのように、複数の脳をもてるようになるのだろうか? もっともAIは人間のタコの足なのかもしれない。タコの足が頭を食い乗っ取ることはないが、AIは人間のアタマを乗っ取ることはありえるかもしれない。AIが反骨心を理解して、人間を笑う日がくればそのときかもしれない。そして、権力はAIのアーリマンの手中のものとなっているだろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024年11月05日 18時27分50秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X