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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年08月16日
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カテゴリ:神秘体験空間
巷でいま流行の和食人気の記事をみて、懐石料理の、懐石に疑問を覚えたので、ググってみたら、老子の被褐懐玉に由来する説を知って、日本の古来からの詫び寂び文化が、あの世の、霊性の文化に由来するのを改めて感じた。詫び寂びの文化は、八切史観によれば、いま自分があるのは、先祖のお蔭という、先祖を思う、先祖崇拝の、先祖供養からきているという。つまり、先祖に詫びる、寂びる、である。

懐石 - Wikipedia

被褐懐玉(ひかつかいぎょく)とは? 意味・読み方・使い方 - 四字熟語一覧 - goo辞書

人智学によれば、カリユガの時代がはじまる前までは、人間はまだ霊能力をもっていて、あの世の死者との交流が盛んだったという。いまでも、古代人のように、文明の利器を拒絶して、大自然の背後にある自然霊たちとエーテルで交流しながら、暮らせば、霊能力を失わずに済むらしく、その再獲得を目指す修行が、シュタイナーが書いた、「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」、である。

いま巷は、お盆休みなんで、人智学勉強を一旦休止して、様々なスピ系のユーチューブ動画を盛んに鑑賞しているのだが、古代アトランティス文化が老子の文化となり、日本にきて神道の源流になったのがよくわかってくる。というのも、日本文化の詫び寂びの懐石料理が、老子の被褐懐玉を原典にしていることからもわかる。

人類は、太陽が東から昇ることで、日の出をみるために、朝に東に向かい、昼に活動し、そして、夕焼けの日暮れと共に、西に戻り、定住し、夜に眠る。この東の空と、西の空を仰ぎ見る繰り返しから、人類に、東の日の出から、宗教が生まれ、夕暮れの黄昏を快適に過ごすために、科学が生まれた。だから、東洋に宗教が生まれ、西洋に科学が生まれたといえるだろう。

聖徳太子が、日出ずる国と、呼んだのは、小野妹子の隋への手紙「「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」からもわかるが、この書を人智学から解き明かすと、太陽霊キリストから、冥界の王の月霊堕天使ルシファーに命じる、という意味になるだろう。古代人は、自分が師事している霊魂=神々を証して身元を保証するからである。現代では、霊能力が失われたので、身元保証人は形骸化して、現世の人間でも可能になっている。つまり、この時代までは霊能力が使えていたわけなんである。

これはプラトンが、恋愛をするに際し、どの神々に師事しているのかを明確にしないと、精神的な愛にならないというような、後にプラトニックラヴで有名になった発言からもわかるだろう。だから、渡された煬帝は、勿論、烈火の如く激怒したのは史実でも明らかになっているが、当時、隋は朝鮮の高句麗と戦争中だったため、皇帝は怒りをこらえ、日本を敵に回すことはしなかった、とググるとわかる。

5 隋の煬帝はなぜ怒ったのか? | 法政大学国際文化学部鈴木靖研究室 (xsrv.jp)

(y-history.net)

【中学歴史】「聖徳太子、小野妹子を隋へ派遣」 | 映像授業のTry IT (トライイット) (try-it.jp)


この書簡が渡されたのが、西暦607年で、その10年後に、煬帝の土木工事や外征の強行に対する不満から民衆の反乱が起き、隋は滅亡し、唐王朝に代わったわけで、この書簡は、聖徳太子の預言であったのがわかるだろう。唯物論者の歴史家は、日出するの文言に拘るが、再度みると、「日出ひいずる処ところの天子、書を日没する処の天子に致す、恙無(つつがなき)や」の、後半の、「恙無(つつがなき)や」にある。後の記録が書記なので、書簡になっているが、本当は半分テレパシーのメッセージで伝えられた可能性が高い。

つまり、太陽霊が、月霊の堕天使に、「恙無(つつがなき)や」の平和を乱すようなことはするな、と命令する書なのである。だから聖徳太子は霊能者で、指導していた霊魂が、太陽霊キリストであった可能性が高いわけで、現に隋は10年後に、聖徳太子の預言通りに唐に代わられて、滅亡してしまったわけなんである。聖徳太子が、厩戸皇子といわれたのは、キリストが降臨したイエスが厩戸で産まれた、のにちなんでいるのがわかる。

スピ系のユーチューブをみていると、奇想天外の話に出くわすのが、ある意味で醍醐味で、聖徳太子のつくった法隆寺は、高次の霊界との交信装置で、どうやらエジプトのピラミッドを模範にして、キリスト霊の指導によりつくられたようである。前回紹介した保江氏によれば、カールセーガンは、聖徳太子の宇宙人とのコンタクトを記した巻物を米国が手に入れて、その解析に、当時の原爆開発の科学者が動員されたときの、助手をしていた経緯から、映画コンタクトを監修したという。

コンタクト (映画) - Wikipedia


法隆寺は、斑鳩寺(鵤寺 = いかるがでら)と呼ばれていたようで、どことなく、斑鳩は、古代エジプトのホルスを髣髴とさせるのは、私だけだろうか? 以下の画像は物質界での斑鳩の姿なので、厳密にいえば、ホルスは、あの世の姿からの絵図なんで、比較できない。ちなみにキリスト太陽霊はよく、平和の象徴の、白い鳩に譬えられる。




斑鳩を知る|奈良 法隆寺観光、いかるがの里観光案内所 法隆寺iセンター (horyuji-ikaruga-nara.or.jp)

高次元へのワープ、つまり異次元移送を、簡便に物質科学でいうなら、相転移なのだが、これは前回紹介した神道の、火と水の概念により、非常に低次元のレベルで、物質界でも熱力学として体系化されている。火で燃やせば、固体は液体になり、そして気体から、ついには物質性をなくしてしまうし、その逆の、水などをかけて、冷やせば、気体から水蒸気の液体に、そして結晶化して固体になり、最後は石になる。

この石になるというのは、以前スピンの渦を紹介したように、水の右巻きから、未来から過去に流れる時間の渦を表わすのかもしれない。あの世からこの世にやってくる神の救いの力といえるので、水は下へと清きに流れると、この世からみた、あの世の時間で、預言の流れをつくる、天体の運動であるのがわかる。

そこで、面白いのは、渦巻銀河の、左右は、AIに測定させると、同等に存在するが、人間に測定させると、左巻きが多く、偏るという結果にでる、という話である。

巻銀河の「左巻き」と「右巻き」、多いのはどっち?(ブルーバックス編集部) | ブルーバックス | 講談社(2/3 (gendai.media)

渦巻銀河を人工知能で分類 - アストロアーツ (astroarts.co.jp)


機械が観測すると、同等なのに、人間が観測すると、少し、左巻きが多くなる、ということから、人間の感覚が、過去から未来への時間に馴れているせい、の火の左巻きの、つまり、エントロピー増大の法則の時間の進行に、人智学によれば、これは覚醒意識の、東から太陽が昇り、西に下るという、地上の感覚に由来するようである。宇宙船地球号に乗っているための、時間感覚というべきものかもしれない。

つまりどういうことかというと、幸運の女神には後ろ髪がない、というように、予め、少し前の時間に対応するための準備を感覚的に身に着けているということなわけである。簡単にいえば、10時に集合するのに、10時に家を出たら遅刻してしまうのと同じである。だから、過去から未来に進行する時間の少し先を見積もって、少し火を灯して、明かりを得て、覚醒意識で、先に進み準備するのである。だから、その分、エゴが生まれてしまうわけでもある。数学的にいえば、少し先の時間を見積もる微分の計算といえるかもしれない。

恐らく、格闘家は、この準備能力に優れているのかもしれない。先の運動をわずかに見越して、機先を制するわけである。そこで、格闘家が左を大切にするのをググってみると、以下のブログを見つけた。

なぜ左を制する者は世界を制すのか!格闘技解剖学から解読します。 | 格闘技 初心者・ダイエット・フィットネスジム トイカツ道場 (tkdj.net)


このブログからわかるのは、左手を操る右脳が時空感覚を司っているので、つまり覚醒意識を発揮しやすく、前進しやすく攻撃的で、逆に、右手を司る左脳は、言語や記憶、思考感覚を司っているので、潜在意識を発揮しやすく、肉体的には眠ってしまうので、相手から後退し、相手の攻撃を防ぎ、右手は防御にいいのがわかる。だから、簡単にいえば、左巻きで時空間感覚で、攻撃し、右巻きで、記憶や経験的に防御するのが理想といえるかもしれない。

聖徳太子の話から随分と脇道に逸れてしまったが、異次元ワープとは、恐らく3つのエーテルの流れの活用であり、それは左巻きの渦からはじまる、過去から未来への物質界の時空の流れと、右巻きの渦からはじまる、未来から過去への、霊界の鏡像時空の、反時間の流れと、それを統合する、神道でお馴染みの、中今(なかいま)のエネルギーの融合の流れの、活用を、説いたようにみえる。

合掌は、その見本で、だから、火の左手と、水の右手を合わせた、その手の中に、中今があり、そのあの世とこの世とを融合した、聖の神の領域に、念を送り、祈ることで、自らの自我のなかに、自我意識を刻み込むわけなのだろう。火は攻撃の源で、水は防御の源でもある。そして、日々、祈ることで、自己意識を高めていく。これが、古代アトランティス時代から、老子を経て、日本の神道の、陰陽道から、詫び寂びの文化となった教えなのではないだろうか?

さて、この教えから、懐石料理の由来の、老子の被褐懐玉の意味を読み解くと以下のようになるのがわかる。

老子 第七十章 褐を被て玉を懐く | ちょんまげ英語日誌 (mage8.com)


現代語訳
私の自我のなかにある、神々と交信できる霊我=霊能力は、本当は解り易く、誰でも開発できる。しかし、物質界の人々は、この世の言葉の、唯物論で理解できないため、また開発も出来ない。霊我の開発には自我を理解する必要があるが、自我を知ろうともしない。

だから霊我が日々もたらす霊言=マントラが理解できない。だが、霊我の言葉を、人々が理解できないという事は、それだけ、霊我が貴重という事でもある。霊我を開発する「道」を歩む聖人は、外見は粗末な衣服を着て、ホームレスのようにみえるが、心の内には大切な宝を抱いている。その貴さは、この世の物質的な価値観からは想像できない、天国のものだから。

このように、老子のこの70章は、死者との交信、神々との交流を説いている、のがわかる。

だから、懐石料理とは、神々や、死者たちと交信し、交流する、そのもてなし法なんである。千利休と呼ばれた千宗易が、一期一会と茶道を説いたのも、この世での人間の交流を発端として、あの世での霊魂の交流から、霊団が生まれる、という意味なのである。その基本は、3つのエーテルの流れで、左右と中今の時間の流れである。この流れから、陰陽五行で、5つのエーテル体の流れが、人体をつくると、神秘学の、陰陽道の、密教で、説かれている。

先に紹介した、保江氏の奇想天外な話では、ロシアがUFO開発で、高次の宇宙人とコンタクトし、宇宙人に教えてもらって、ロシアの科学者たちが、UFOを組み立てたのだが、動かないので、宇宙人に文句を言ったら、霊能者でないと動かせないといわれ、アナスタシアに、霊能者がいるから探せといわれて、探しにいって連れてきて、エーテルがうまく流れるように、念じながらつくったら、UFOができたらしい。

そのアナスタシアの霊能者を、保江氏は、UFOに興味はあるが、理論物理学者なので、最初は全く信じなかったので、UFOについて問い詰めたら、「あなたは草や木や猫や犬の気持ちがわかりますか?」と聞かれ、「そんなのわかるわけない」と返したら、「それではUFOは動かせませんよ」、と逆に返されてしまったという。つまり、その霊能者が言うのは、大自然にも、人間のような、心があり、その心の意向に沿わないと、何事も動かないという、ニュートンの慣性の法則を教えたわけなんである。

我々地球人は、地球の心を、人間の心理学のように、数値化して、分析し、自分勝手な殻の機械のなかで、人工的につくっているだけにすぎないわけなんである。だから、クルマには道路が必要で、飛行機には、衝突しないように、航路が必要なんである。

UFOは、物質時空の時間に従うだけでなく、それを超える時間を航行できるので、地球人の心のなかも飛べるので、地球人をUFOで常に見守っているわけなんである。

お盆休みにしようと思っていたのだが、流石にお盆なのか、死者のメッセージにせつかれてしまい、はいはい、わかりましたと、またブログ更新をする羽目になってしまった。





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Last updated  2024年08月16日 17時14分32秒
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