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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年08月22日
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カテゴリ:神秘体験空間
死者への弔いから、母方が真言宗、父方が日蓮宗の縁から、以前から、真言宗は空海さんについて、ある程度お馴染みなのに、日蓮宗の法華経は、南無妙法蓮華経のお題目しか知らないのは、少し気が引けたので、ユーチューブ動画をみるうちに、「よくわかる法華経」という本を読んでみたくなった。

よくわかる法華経 - 明窓出版株式会社 平成元年創業 和のこころと健康を育む出版社 (meisou.com)


お経は般若心経ぐらいしか知らないので、お経特有の漢文調がとにかく苦手で難儀なので、よくわかるように書いてあるのを期待しすぎたが、やはり仏教特有の表現がわかり難いので、著者の指示をなかば無視して、飛ばし読みで読んでいる。飛ばし読みで読んでいるので、著者にお叱りをうけるやもしれないが、人智学から解釈してみると、お釈迦さんの悟りを解き明かしたのが、法華経らしく、誰もが、お釈迦さんの悟りに到達できる、のを示した経典らしい。

この法華経によれば、誰もが悟れるのを説いた経典を大乗仏教と呼び、仏教徒しか悟れないのを小乗仏教と区分けしているようである。つまり、平たくいえば、知識が必要で、方便で、この世を説くのが小乗で、知識は必要なく、信仰のみに帰依するのが、大乗といえるかもしれない。ありていにいえば、唯物論に染まったのが、小乗で、唯識論に近いのが、大乗といえるかもしれない。だから、この世の感覚では捉えられない超感覚を示すのが、大乗なんである。

唯識 - Wikipedia


そして、重要なのは、お釈迦さんの悟りで、それは潜在意識を、覚醒意識でみるから、業が生じ、この世の知識で、あの世を理屈づけようとするから、信仰に至れない、という人智学の輪廻転生とカルマの法則につながるところで、あの世とこの世をつなぐのは自分で、自分がこの世で為す行いが、あの世から、来世の自分をつくる、という、輪廻転生とカルマの法則の理解、悟りであるのがわかる。

自分のいまの行為が、将来の自分をつくる。それは人生だけでなく、前世もそうだったし、更には来世も、自分をつくる。ただ、自分がつくったことを、それが能力となっているので、忘れていて、みえないだけである。現在の自分とその境遇をつくったのは、過去の、前世の自分の行為なんであり、その自分が、いま何をするかで、また未来の、来世の自分と、その境遇をつくる、だから、今の人生だけではないわけなんである。

そして、天国というのは、この世を越えた果てにあるわけではなく、いま、この世で自分が為した行為により、明日の、未来の、来世の、自分の能力のなかにあり、だから、天国に行くには、いま自分が善を成すことにある、というわけなんである。善の積み重ねから、天国が生まれる。これを善因善果、そして、その逆を、悪因悪果と呼び、なにより、今何をするかが、なにより大切で、それを一々、理屈で、知識で解き明かしても、無に帰するわけなんである。

なにより、人間は一回の生で、つまり生まれて死んでで、終わりではないからで、永遠と自分の行為から、自分の能力で、自分をつくりあげていく存在である。キリストが、何事も愛なくしては存立しえない、と言ったのと同じである。ただし、仏教では、慈悲と呼んでいるが、これはキリストが、愛を外に示したのに対し、釈迦は、慈悲を内に秘めた違いにある。だから、慈悲は、心深く内に秘めた愛である。善の行為となる心の源である。

内の慈悲が外に行為として示されると愛になる。だから、人間は、日々慈悲をもって、愛を外に示すことで、誰もが、愛と一つになり、宇宙を巡る愛の感受から、霊能力が獲得できるわけなんである。このように人智学で補完して解釈すると、法華経は、輪廻転生とカルマの法則と、潜在意識の祈りと、覚醒意識の知識の違いを説いているようである。

この本にはまた、様々な現代科学の知識も出てくるが、そもそも、このブログでも紹介しているように、ニュートンが、数式を用いずに、プリンキピアという、天体の運動の原理を示したように、天体の運動こそ、輪廻転生とカルマの法則の産物であるのが、シュタイナーの人智学で解き明かされる。

ニュートン力学は、大きな宇宙の、輪廻転生とカルマの法則の、小さな一部の物質界だけを、数値化して、力学に換算し、置き換えただけにすぎない。この法華経の本では、ニュートンよりも、現代的な思考形態の、アインシュタインの相対論や量子力学に拘っているが、そもそも、人間の科学は、人間の心から生まれているので、人間の心をつくる宇宙体系の一部の反映にすぎないのは当たり前なんである。

大は小を兼ねるわけで、小が大を見渡せないのは当たり前の道理なんである。だから、ニュートン力学は、ニュートンの心の一部でしかなく、簡単にいえば、この世の物質界しかみえていない法則なんである。人智学的に、法華経的にいえば、単なる知識に堕しているので、とても潜在意識の、信仰には至れないわけなんである。愛への、慈悲への心の信仰が、全てをつくるといえば、般若心経が思い浮かぶ。

般若心経 - Wikipedia


そこで、法華経の輪廻転生とカルマの法則から、般若心経を再要約してみる。

誰もが悟れる

お釈迦さんは、心の奥深い「慈悲の完成」のために、修行をしていたら、五感を超え出た。そして、五感の本体が、心を無にすれば、空であると見抜かれた。

わが弟子シャーリプトラよ、この世の物質=時空は、心を無にすれば、空になり、空のなかでの心の運動で、意識により、無から物質が生じる(量子力学)。物質と、心の空は、別々のものではなく、空のなかでの心の運動から、物質が生まれ、だから、この世とあの世は別々のものではなく、いわば相補の対極の関係にある。

物質のポジとは、いわば心の空のネガであり、空のネガは、物質のポジでもある。
だから、五感も同様である。覚醒意識の五感で捉えるとき、潜在意識の心は無なのである。
この世の、あらゆる現象は、心の運動、意識から特徴づけられ、心さえ、不滅なら、生ずることも、滅することもない(=不生不滅)。心は、汚れることもなく、洗う必要もなければ、欠けることもなく、溢れ、迷うこともない。

だから、心さえ、慈悲で満ち足りると、もはや物質は必要なく、五感も必要はない。
五感から派生する幻に迷う必要もない。
眼に映る世界は、光があってこそ意味がある。心に火を灯し、光を映せば、どんな世界にも、闇はなくなる。
だから、知識ではなく、心に信仰を灯し、光を発しなさい、さすれば、迷いや煩悩もない。
光から善の行為をなせば、知識は信仰となり、闇を照らし、消滅することはなく、迷いや煩悩は忽ちに、消え、業も、悪因悪実もなくなる。
だから、自分が授かった道の、信仰に目覚め、老、死、四苦八苦を受け入れて、それを乗り越えていけ。
信仰は、この世の覚醒意識の感覚では掴めないので、知るのでなく、獲得するのでもない。

信仰は、獲得するものではないので、師(お釈迦さん)の「慈悲の完成」を信じて、心を安楽にするように努めなさい。
心を満たし、無にすれば、何も欲がないので、失う恐れもない。執着を忘れ、涅槃に至っている。
前世・現世・来世の三世を合一する覚者(仏)たちは、現世での「慈悲の完成」から善の行為をなして、来世への、完全な仏となる、成仏の無上正覚の悟りを得ようとする。

それゆえに、成仏を信仰しなさい。現世での「慈悲の完成」は大いなる霊言で、真言(マントラ)の宇宙の法であり、大いなる明らかな慈悲の真言であり、この上ない真言であり、全ての苦悩から自らを解放する。
それは、現世でいかなる善の行為をなすかが、最も大切な使命で、最も大切な人間への真言であり、今なすことが、明日をつくるのは、善因善果、悪因悪果なるゆえに真実である。「慈悲の完成」において、次の真言に秘される。

すなわち(tadyathā)、
gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā!
(善行を成そう、善行こそが、天国に通じる道である、内なる慈悲を、外なる愛へとつなげ、天国に至ろう。さすれば、この世とあの世が、自分を通じてつながり、キリストのように、死から甦る!)
と。

このように自分は要約してみたが、各人独自で、自由に、お経は要約すべきであろう。信仰さえあれば、誰でも要約できるものである。そして、自分独自の自由な宗教をつくるべきである。自分の慈悲から、愛を紡ぐことで、自分の自由な宗教となるのだから。





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Last updated  2024年08月22日 13時12分59秒
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