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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年09月12日
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カテゴリ:神秘体験空間
最近は、安いのもあるが、冷凍餃子と電子レンジ用のライスの、合計400円ぐらいの夕食で済ませている毎日から気づいたのだが、毎日食べても飽きない最強飯は、焼き餃子ではないか、と思う。お蔭で数年前はストレス太りの肥満ブタが、若い時のようになり、約10キロのダイエットにもなり、いいことづくめの日々なんである。

これで、巷の、煩いハエのような総裁選の、不祥事を人気で誤魔化す、脱税私利私欲自民党が滅亡してくれれば最高である。ポエムだか、ヘナチョコ構文だか、知らねど、日本人なんだから、日本語くらいマトモに話せよ、と思うばかりである。日本もそろそろ真剣に亡国論を論じるべきである。餃子を食べて、日本人で良かったと思い、TVをつければ、国民生活を破壊した連中が騒いでいて、日本人でいるのが恥ずかしくなる。馬鹿な切り返しを絶賛するタレントは日本人を裏切り、いくらもらっているのかな?とか思うな。

毎度紹介している「前世」からのメッセージにも、次のような教訓を載せている。

一見、素晴らしく見える人には気をつけなさい。危険な人物は魅力的な装いをまとっているからです。ワクワクする、楽しい、刺激的な、危険な香りがする、劇的な人生を送っているような人たちです。こうした外見は、あなたの心の目を曇らせて、危険をみえなくし、カモフラージュしているのです。誘惑に負けずに、心の目で、相手を見据え、騙されないように、学ぶべきなのです。

餃子にも劣る詐欺メールのような連中がこの国には盛り沢山だ!

毎週欠かさずにみるBS番組、「ケンコバのほろ酔いビジホ泊」で、ケンコバ氏が、やっぱり餃子なんだよなぁ、と呟きながら食べていたのに、半端ない説得力を感じてしまった。禁酒しているので、ビールは飲まないが、餃子に白飯とビールは黄金のトリオの三角形というか、最強タッグだと思う。餃子の王将の餃子定食では、そこに中華スープとサラダが加わるので、完璧である。

西洋には、赤ワインに、フォアグラ、フィレステーキのトリュフのせ、のロッシーニセットがあり、これも最強の組み合わせだが、特別な日にしか食べられないという贅沢な点で、庶民的ではなく、多くの日本人に幸せ感を与えてきた点で、やはり、餃子定食に軍配を上げたい。

ロッシーニセット 2人前 【牧草牛フィレステーキとフォアグラのセット】 (themeatguy.jp)


経済的にも、餃子定食はビールを頼んでも千円前後だろうし、ロッシーニセットは軽く6千円は超えてしまうし、ワインのチョイスによって、数万円にもなってしまう。贅沢な食事と言わざるを得ない。このような食事は格差社会の為せる業だろうし、最大多数の最大幸福を実現するには、やはり餃子定食が近道だろう。

日本にくる外国人のほとんどが、和食を安くて美味いと感じているようだが、私は米国西海岸しか行ったことがないが、米国では美味い食事を食べたければ、カネを出すしかなく、カネを出せば、いくらでも美味しい食事が食べられるようである。その代わり、カネがないと、美味しくはないが、量は多いので、腹を満たすことはできる。ヨーロッパには行ったことがないが、旅行者に聞くと、あまり外食は発達していないらしく、冷たい食事が多く、とにかくポテトが多いという印象が残るという。

シュタイナーは、欧州が第一次世界大戦に陥ったのは、ポテトばかりを食べ過ぎて、愚かになったせいだと、ジャガイモのせいにしている。シュタイナーによると、ジャガイモは炭水化物で、食べれば食べるほど食べたくなる麻薬のような食べ物で、ポテトばかり食べ過ぎて、バランスがとれなくなって、愚かになるというようなことを述べている。そのような話として、カウチポテト族が知られている。

カウチポテト族 - Wikipedia


さて、話は変わるが、以前、保江方程式で有名な保江氏を紹介したが、火星紀から水星紀に移り替わるにつれて、もともとは唯物論者だった人が、あの世や死後の世界や、宇宙人や天使のような霊界を認めるようになってきている。何より面白いのは、「前世」からのメッセージにも書かれているが、相対論で有名なアインシュタインが次のような発言をしていることである。

人間は、宇宙全体の一部、それも時空に制限された一部にすぎない。人間は、自分と自分の考えや感情を、宇宙から切り離して、体験している。これは意識による、視覚を経た一種の錯覚である。この錯覚は、人間にとって牢獄であり、自分の欲望や、近親者だけの愛情へと制限してしまう。人間の任務は、思いやりの輪を広げ、この牢獄から自らを解放し、宇宙全ての生命体、全ての自然を抱擁することなのである。

このような発言から、アインシュタインが、量子論に対して、神はサイコロを振り給わず、と言った意味が明らかになる。光量子説を提唱したのもアインシュタインで、時空と、質量をもつ粒子が同等だと、一般相対論の、時空による宇宙方程式を編み出したが、後に、考えを改めて、時空と粒子は同等でないと、叫んだという逸話も残っている。粒子を霊魂と考えれば、時空は、その入れ物にすぎず、粒子が時空を体験することが、時空から、粒子を解放し、粒子が宇宙へと拡大し、宇宙全てを抱擁していく、自我による自我のプロセス、回帰といえるかもしれない。

本来、地球には国境がないのに、国境をつくるのは、人間の錯覚のせいなのである。外に向かって、宇宙の果てに到達すると、それを見ている自分の内に返ってくると、いわれている。だから、幸福は外に求めるのではなく、内からくるといわれている。だから、幸運の女神には前髪しかない、と言われる。

先に挙げた保江氏の話によると、バチカンには、奇跡を判定する科学部門があり、科学者が雇われているという。その科学部門が、唯一の奇跡と判定したのが、マザーテレサだったという。「前世」からのメッセージによると、マザーテレサは次のように述べているという。

もし、私たちが皆、黄金のルール、神は愛であり、神は、我々を、より偉大な行為の、愛し愛されるために、おつくりになった、のを理解できれば、神が我々一人一人を愛するように、我々も互いに愛するようになるでしょう。真の愛は、苦をも厭わない、無償の愛、愛を与えることなのです。大切なのは、愛をどれだけ与えるかではなく、与えるべきときに、どれだけ込めるか、なのです。

ですから、祈りが必要なのです。祈りが実れば、信仰が深まり、信仰が成就すれば、愛となり、愛の行為は、奉仕となり、平和の行為となります。そして、この無償の愛、平和の行為が、黄金のルールを成就させるのです。神が我々一人一人のなかに幸運をもたらすように、我々も互いのなかに、幸運をもたらすように、愛し合いなさい。

このマザーテレサの言葉から、幸運の女神には前髪しかない、の意味がわかる。愛を与えるべきときに、どれだけ込めるか、幸運とは、自分の内からやってくるので、前を向いて、相手を見つめ合い、愛するしかないのである。「前世」からのメッセージの、マスターの言葉を借りれば、次のようになる。

誰か他の人の目をみつめるとき、そして、あなたを見つめ返している、その目を通じて、あなたの霊魂を見るとき、あなたの意識が、1つの上のレベルに達している、のがわかるだろう。

このように、「前世」からのメッセージは、現代の聖書ともいえるべき内容が書かれている。シュタイナーは、火星紀から、水星紀の、まさに現代の移行期に、これまでとは異なる人類の愛が、霊的に深まり、霊魂は決して死なず、その証拠に、霊的な修行を通じて、過去世を思い出す人や、前世を忘れずに生まれてくる子どもが次第に増加していく、のを預言している。シュタイナーはまた、大天使ガブリエルの時代は、人間の脳を育成し、悟性から知性、現世の記憶を導く時代だったが、それが主に肉体の、他の3つの体(自我、アストラル体、エーテル体)との関わり方からくる気質を生み出し、そのため、その気質は、精神界から切り離され、ルシファーに依存するために、主に権威主義で、地上に固執しがちな、物質性に偏りがちな、男性的な傾向を帯びてきたが、現代の移行期により、ガブリエルと交代したミカエルの霊性の時代に次第に移り変わっていくことで、霊的で、直感的な、女性的で、中性的な、これまでとは異なる一段上の愛の時代へと転換していく、と述べている。

このようなシュタイナーのメッセージを、「前世」からのメッセージのマスターの言葉を借りて示すと、以下のようになる。

古来からの、多くの文化、仕来り、現代では、書籍、映画やTV番組が、男女間の越えがたい違いを強調しています。そのために両者の間には、深い溝があり、男女の考え方や行動の仕方も異なるものとなっています。そのため、男女は同じ世界で暮らしながらも、全く別々に世界をみています。

各々の世界の見方に応じて、男性は、世界を愛するために、強く競争的に、攻撃的になろうと、男性ホルモンのテストステロンを分泌し、協調性を失わせ、自分のテリトリーと家族を、「所有」へと向かわせる傾向を帯びてきます。対照的に、女性は、世界から愛されたいために、感受性とコミュニケーションの能力を育てようと、女性ホルモンのエストロゲンやプロゲステロンを分泌し、攻撃ではなく、防御の方向へと向かわせる傾向を帯びてきます。 

そのために、少年少女の、古来からの育成法や教育法が、その違いを強調化し、増幅させてしまい、男女を分離する生物学的な壁を益々分厚いものにしていきます。男の子は、社会でより競争的に攻撃的に自己主張するように奨励され、女の子は、受け身で、話し上手で協力的でありなさいと教えられます。社会のありとあらゆる組織や団体から、同じ人間に、男女異なる価値観が教え込まれるのです。

同じ人間に、肉体の違いからくる違いを強調して、異なる価値観が、その障害として教え込まれるのです。肉体の違いを強調する時代は過ぎ去りつつあります。肉体から生じる、男らしく、女らしくの時代は過ぎ去りつつあり、男女を超えた、再び自然な、人間らしさに回帰する移行期にあるわけです。というのも霊魂に男女差はなく、両性具有なので、男にうまれるときもあれば、女に生まれるときもあるからです。それらは、多種多様の愛を、肉体から学ぶための、いわばツールにすぎないのです。それは男女の性 器の違いでしかありません。

だから、全体として論争、闘争、戦争を生んでいる現代の攻撃的な風潮や傾向を変えていくなら、現代の男の子の教育を、受け身で、話し上手で協力的でありなさい、というような、女性らしさに変えていく必要があるでしょう。というのも、今日の世界は、大部分、男性によって引き起こされている暴力に呑み込まれているからです。

つまり、独裁的な思考をもつ男性を若干去勢すべきなのです。独裁者は暴力に訴えないように、思想上、去勢の刑に処すべきでしょう。従来のヒーロー像は、現代の価値観では、野蛮で愚かなパワハラの悪役なのです。

私たちは学び、成長するために、肉体をもつ時空にいます。愛、非暴力、慈愛、思いやり、信仰、希望、許し、理解、気づきなどの資質を学ぶために、肉体による制限を受けるのです。そして、その肉体による有限性による、恐怖、怒り、憎しみ、暴力、貧欲、プライド、欲望、利己主義、差別などの否定的な資質を捨てることを学ばなければなりません。

私たちは、こうした課題を、人間関係を通じて学んでいくのです。障害が多いほど、多くを学べるのです。困難な人間関係や、多くの障害や、悲しみに満ちた人生ほど、霊魂の成長にとっては、大きなチャンスなのです。霊的な成長の促進のために、あなたは困難な人生を選択したのかもしれません。

この世界には苦難と困難に加えて、愛と喜びとエクスタシーもあります。愛は知的なものではありません。私たちが気づかなくても、愛は絶えず私たちのなかに流れ込み、通り過ぎていくダイナミックなエネルギーです。私たちは、人生において、愛を与え、受け取るのを学ばないといけません。人との関わり合いのなかで、人々への奉仕のなかにこそ、全てを超えた愛のエネルギーを、本当に理解できるのです。

自分の人生で、明らかにされることは、自分に関係する、重要な愛の学びです。人はそれぞれ、自分に関心をもち、自分を完全な存在、愛の理解者へと導いていく必要があります。私たち誰もが、学ぶべき課題を背負っています。そして、それを一つずつ、順番に学んでいく必要があります。その学びのなかで、完全になるために、何が必要で、何が不足しているのか、徐々に理解していくのです。

自分自身を知りなさい。そうすれば、覚醒意識と潜在意識の間にある歪みに惑わされずに、はっきりと物事がみえてきます。瞑想と内観、囚われの無い観察、平穏な感覚、執着のない愛に満ちたやさしさ、愛に満ちた公平さに達するように、練習し、育成しなさい。

自分の考え方や思い込みに気づきなさい。そして、それを鵜呑みにしているのに気づきなさい。誰かを型にはめたり、一般化して個性を失わせるとき、あなたは、その人の本性である、愛を見ずに、失わせているのです。「男は無神経で残酷だ」「女は神経質で感情的だ」などといった、昔ながらの誤った先入観は、現実を歪めてしまいます。体験は思い込みよりも、真実に近づくのに遥かに強力で、自らで体験すべきなのです。

真の幸福は自分の内からやってきます。幸福は、外側の物事や他の人々に左右されません。あなたの、安心と幸福の感覚が、他の誰かの行動や態度に左右されるなら、それは、あなたが脆く、傷つき易い、感覚の持ち主なのを意味し、あなたの霊魂のなかに眠る、愛の力を、絶対に、他者に明け渡してはなりません。

モノに執着しないようになりましょう。三次元の物質界では、私たちは、モノではなく、人との関係を通じて、愛を学ぶからです。どんなにモノを愛しても、この世を去る時に、モノはおいていかなければならないのは周知の事実です。

あなたは真の安全となる、叡智や愛ではなく、偽りの、安全の影絵、錯覚を求めている。それは肉体とともに失われてしまう。

おカネは中立的なもので、善も悪もありません。おカネで何をするのかが、人生に与えられた課題なのです。おカネで貧しい人に食料や衣服を与えることもできますし、利己的に、無駄に使うこともできます。その選択は、各個人の自由に委ねられていますが、いつかは、おカネの正しい使い方を、身をもって体験し、学ばなければならないのです。一回の人生のなかでも、無駄使いがわかるのです。

おカネと安心は全く違うものです。安心は内からしかやってきません。安心は霊魂の能力に由来し、地上には存在しないからです。おカネは地上のもので、この世を去る時に、地上にかえさなくてはいけません。もし、人生において必要な学びがあるなら、一夜にして、奪われることもありえます。ホンモノの安心を理解するには、ニセモノは取り払わなければならないからです。

安心のニセモノのおカネで、ホンモノの安心を買えないので、お金持ちは、永遠に安心を得られないので、死を恐れる。肉体の死が、おカネと共に奪われるのを、恐れるからである。だから、キリストは、お金持ちは、天国にはいけないと、述べているのである。そしてカエサルのものは、カエサルに返せと、つまり、肉体の死は、死に返しなさい、と説いているわけなんである。

というも、霊魂は死なず、ただ、この世を去り行くだけにすぎなく、永遠に不滅の存在だからである。おカネに魂を売っている者は、死を恐れる。その死の背後に悪魔が隠れて潜み待っているからである。

この国では、餃子を食べる庶民生活のほうが、巷の騒音を考えずに改革、改革と連呼するポエム構文野郎の裏金税金での地獄の料亭通いよりは、遥かに幸せな生活を送っているようにみえる、と宇宙人ジョーンズは、レポートしているはずだろう。

今回はここまでにしたい。





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Last updated  2024年09月12日 18時54分01秒
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