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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年09月19日
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カテゴリ:神秘体験空間
「前世」からのメッセージのマスターたちは、幸せに暮らしたい、と願うなら、暴力を手放さない、といけない、と教えている。暴力を手放せない人は、競争原理などを持ち出すが、輪廻転生とカルマの法則を知れば、それが、現世しか、物質界しかみない、虚構でしかない、のがわかり、カルマの法則から、勝てば、次には負け、負ければ、次は勝てるわけで、単なる順番でしかない、のがわかる。

誰がいったかわからないが、勝ち負けは時の運、とよくいわれるが、カルマの法則からすれば、単なる順番にすぎないので、結局、自分がいま、勝ち負けのどちらかにいるだけにすぎないから、時の配慮にすぎないというのは、正に言い得て妙である。

前世からのメッセージのマスターの言葉をかりれば、全ては学び、なのだから、驕ることなく、勝ちに学び、負けたときには、より詳細に学ぶ必要がある。だから、勝てばよい、という考えは邪道といえるだろう。なぜ勝てたのか、改めて考えてみないといけない。

「勝ちに不思議の勝ちあり」は、プロ野球の故野村監督で有名だが、原典は、平戸藩主の松浦静山という。この不思議とはどういうことか、以下のサイトが解説している。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 | 独立メディア塾 (mediajuku.com)

「私は、『勝つときには不思議の勝ちがある。しかし、負けるときには不思議の負けということはない』と客に言った。客は『なぜ不思議の勝ちと言うのか』と質問をしてきた。私は『本来の道を尊重し、武術を守って戦えば、たとえ気力が充実していなくても勝つことができる。このときの心の有り様を振り返ってみれば、不思議と考えずにはいられない』と返答した。そうすると客は、『どうして不思議の負けはないと言うのか』と質問してきた。私は『本来の道から外れ、武術を誤れば、負けるのは疑いのない事だから、そう言ったのだ』と答えた。客は恐れ入って平伏した」。

この発言を要約すれば、道を尊重し、武術を守れば、勝つが、道から外れ、武術を誤れば、負ける、というようになるので、いかにも道理なのだが、更に、静山は、勝ったときの、心の有り様に言及し、それを不思議としているのが面白い。

つまり、負けから学ぶのは当然で、その原因もわかるが、勝ちから学んでも、その原因がわからず、不思議としている。つまり、この不思議のなかにこそ、カルマの法則が隠されている。この発言を信じるなら、負けからは学べるが、勝ちから学ぶのが困難なのがわかる。そして、次のような疑問に出逢う。

勝負から学ぶには、負けた方がいいのに、人が勝ちたいと思うのは、なぜなのか?
勝負に勝てば嬉しいが、負けると悔しい、のはなぜなのか?
負けるが勝ち、ともいわれるが、なぜ負けようとしないのか?

このような疑問を考えてみる人が意外と少ないのに驚く。この世の価値観では、勝つことが尊い、とされ、当たり前とされている。それだけ暴力が正当化されているせいでもある。それでもググってみると、以下の理由を挙げているサイトがみつかった。

競争の心理学(2)~「勝つ」と「負け」、「負け」が「勝つ」罪悪感の力学~ - カウンセリングサービス心理学講座 (counselingservice.jp)

なぜ勝ちたいのか」を分析する | 戯れ言 (ameblo.jp)

負けると悔しいのはなぜ?将棋でその理由を4つ紹介!負けを認めることの利点も | なな夫のブログ (shogi-life.com)
負けると悔しい理由1:想定した未来に裏切られるから
負けると悔しい理由2:相手を責められないから
負けると悔しい理由3:自分の弱さを認めることだから
負けると悔しい理由4:人間は優越を求める生き物だから

勝てば官軍負ければ賊軍、負ける悔しさを、心底味わったのは、この国の昭和世代の日本人だろう。いまだに、日本が米国の植民地と呼ばれるのは、太平洋戦争で負けて占領されたせい、ともいえるかもしれない。太平洋戦争では、国体護持のために、ポツダム宣言の無条件降伏を受け入れ、一時は占領され、連合国による、領土分割の危機もあったが、昭和天皇とマッカ―ザーの会談で、日本の要望は何とか受け入れられた形となって、後には、サンフランシスコ講和条約を、不参加の中国(国民党)、ソ連を除いた、連合国と締結している。その後に、二国間交渉などで、インド、台湾と講和し、またソ連と日ソ共同宣言、中国(共産党)と日中共同宣言を行って、現在の国際的な地位を獲得したのが、以下のサイトからわかる。

終戦はどのように決まった?|NHK戦争を伝えるミュージアム 太平洋戦争をわかりやすく|NHK戦争証言アーカイブス

日本国との平和条約 - Wikipedia


いまだに、太平洋戦争は負けではないという人もいるが、いずれにしろ、学びを怠っているのは確かである。日清、日露でとにかく勝てたのに、2度の勝ちにも学ばなかったし、勝ちの後に負けがくるのは、勝負の時運なのに、学べなかったのは確かだろう。上に紹介したサイトの、負けると悔しい理由を、まさに地で言っているのがわかる。特に、自分の弱さ、欠点を認められないのが、いまの日本なのかもしれない。

負けるが勝ち、という諺もある。この諺の意味をググると、「一時は相手に勝ちを譲り、しいて争わないのが、結局は勝利をもたらす」とあるが、意味になっていないのがわかる。この諺は、先の「勝ち負けは時運」の、恐らく、焼き増しだろう。つまり、カルマの法則をそのまま表現したもので、先に、負けて敗因を学べは、次に勝ったときに、より勝ちに学べる、という意味なのだろう。

前世からのメッセージのマスターの説くように、全ては愛の学びのためなのだから、愛をより学ぼうとする精神が大切なのがわかる。負けたら悔しいのは、自分の奥底では、愛に乏しいと気づいたからである。愛の不足を感じたので、悔しいわけなんである。逆に、勝ったときに、学べないのは、謙虚に乏しく、愛に恵まれて、増長しているためだろう。だから、先の勝負師は、勝ちに不思議あり、と述べているのだろう。

自分は愛に恵まれて、勝てたが、その愛が何なのか、わからないから、不思議なのである。静山は、「本来の道を尊重し、武術を守る」のが勝ちにつながると、述べているが、この道を尊重する心を見つけるのが困難だから、不思議なのである。シュタイナーの説く、カルマの法則と輪廻転生からみれば、この道を尊重する心こそ、前世から引き継がれた、霊魂の核となっている、自我を育成する、宇宙を巡る愛なのである。

勝負の時運とは、この宇宙を巡る愛を尊重し、武術とは、自我の育成を、守ることなのである。負ければ、自我の育成に必要な、足らない要素がわかる。それは自分の弱点が明らかになるからである。しかし、勝った場合は、自分の弱点が現れないどころか、自我のどこか良かったのか、その成長を見究めるのが困難で、マザーテレサが説いたように、愛を込めたのはわかるが、あくまで無私の精神に則ったので、無私だから、私心がないので、自我の成長がわからないので、不思議なのである。有り体にいえば、神の愛に勝たせてもらったわけなんである。

ここでも、勝利の、幸運の女神には後ろ髪がない、という諺が生きてくる。「通り過ぎてから慌てて捕まえようとしても、後ろ髪がないのでつかむことが出来ない。」というのは、勝利は時運で、勝った要因を掴むのは困難なのである。だから、勝利の法則などなく、勝った後は負ける宿命がついてまわる。だから、勝者も敗者も時の運なので、たまたま勝たせて頂いたのだから、敗者を差別してはダメで、宇宙に愛を巡らす、神に感謝しなさい、というわけなんである。前世からのメッセージの、マスターの説くように、全ては、愛の学びの過程にすぎないので、愛の指導者に感謝しなさい、というわけなんである。

「前世からのメッセージ」では、勝負についての教訓を、スコアを気にし過ぎるゴルファーのカウンセルの例で紹介している。そのゴルファーは、スコアを気にするほど、スコアは悪くなっていったので、カウンセルを受けにきたという。カウンセルにより、ゴルファーは、エゴを置き去って、ゴルフコースと一体となったという。そして、ゴルフを人生に置き換え、理解し始めた。

どんなスコアを出そうが、どんなプレーをしようが、ゴルフコースは、気にもとめない。ただ、プレーヤーに、楽しんでもらいたい、美しさと素晴らしさを感じてほしい。愛を感じてほしいと、望んでいる。このゴルファーは、ゴルフコースをつくっている自然霊の意図が理解できたようなのである。宇宙は、人間個人の勝負事などよりも、常に、宇宙が巡らせている愛を学んでほしい、と願っているのである。

このゴルファーの心境を表わす句がある。それは、山岡鉄舟の、「晴れてよし、曇りてよし、富士の山、元の姿はかわりざりけり」、である。この意味は、晴れた富士山は素敵だが、曇った富士山もまたそれで格別である。富士山は、いつも変わらずに、愛を送っている、というのである。

富士山は、いつみても素晴らしい、というわけである。つまり、鉄舟は、富士が霊山で、その愛を感じて、神に感謝している、のである。実際に、鉄舟は、禅の師匠にいわれ、富士山に何度も登頂していたらしい。鉄舟にとって富士山は、ゴルファーのゴルフコースだった。恐らく、富士山のなかに自然霊をみていたのかもしれない。

禅の言葉:晴れて良し曇りても良し富士の山、元の姿は変らざりけり - Megurecaのブログ (hatenablog.com)

 
カウンセルを受ける前の、このゴルファーのように、競争原理から抜け出せないでいると、宇宙を巡る愛を学べないので、人生の大半を無駄に過ごして、更なる憎しみを貯め込んでしまう。確かに、物質世界で永遠に生きようとするのなら、尾崎豊の歌詞のように、勝ち続けなければならないだろうが、きっと、いつかくる負けを認めないと、死を恐れ、死が無になる救いだと、歪んだ過ちに取り込まれてしまうかもしれない。

そして、なによりも、宇宙を巡る愛について不感症になり果てて、キリストが近くを通り過ぎるのを、招き入れることなく、黙認する、永遠に彷徨えるユダヤ人のように、何度も同じ民族に転生しては同じ過ちを繰り返す人生を送るようになるだろう。

永遠の彷徨えるユダヤ人をやめるためには、目に見える競争原理を捨て去る必要がある。そこで、前世からのメッセージの、マスターの言葉をかりる。

「いま」という、時を経験していないとき、つまり、過去に囚われ、未来を心配しているとき、あなたは、自分自身に、大きな心の痛みと悲しみをもたらしています。

かなり前に、塾講師の林先生で有名な、いつ学ぶのか、「いまでしょ」が、巷で流行った。過去や未来に思い悩んでいると、いま生きている、いま愛を学ぶのを怠ってしまう。「いま」この瞬間は、現世での人生の連続のなかにあるが、それは、前世で学びを怠って、持ち越した、自分の欠点で、自分が抱えた憎しみの負債でもある。いま、その憎しみを返さないで、いつ返せるのか? それが、「いまでしょ」の答えなんである。

競争原理からくるプライドは置いておいて、とりあえず、いま、自分の欠点をみつめ、愛せるかどうかなんである。自分が抱えてきた憎しみを解放しなくてはいけない。それには、自分の欠点を生んでいる、暴力や憎しみを捨て去らないといけない。そこで、またマスターの言葉をかりる。

カルマを返す前に、人の生命を取り上げる権利は、与えられていない。何人も生命を取り扱う権利はない。殺人者は、その罪を逃れ、生きながらえたとしても、必ず報いを受ける。死んで、次の転生のときに、その人生で苦しむことになる。殺人者は、次の転生で、不安に襲われ、永遠に、その罪が重いのを悟るまで、不安に襲われる。だから、殺人者に、平穏、平安が訪れることはない。

殺人者の次の転生は、殺人が悪いものと身をもって体験するために、非常に苦難に満ちたものとなるだろう。自分が傷つけた全ての人々に対して、不正行為の償いをしなければならない。神のみが、殺人者を罰せられる。殺人者の人生を変えられるのは、神のみで、あなたたちは、神の愛から与えられた、いま自分の人生を、神の愛によって変えられるだけなのである。

神の愛から、人生を変えるのは、あなた次第なのである。あなたが人生をどうするかは、あなたが、愛を学べるかどうかにかかっている。だから、生命の尊さを学ぶべきなのである。競争原理に翻弄されるのを、暴力や憎しみに身を委ねるのから、あなたの人生を、解放しなさい。

このように、個人の人生においても、競争原理から、自らを解放し、前世まで探求しないと、現人生の幸福が実感できないのが明らかになる。前世からのメッセージのマスターたちが説く、幸福は内からくる、というのは、現人生から抜け出し、前世からの憎しみを、愛の行為で、「いま」という現世で、永遠に解消することだからである。

個人の幸福でも困難なのに、ましてや集団となると更に困難なのを、そして、現在の民主主義の方向性が間違いなのを、シュタイナーの「職業のカルマと未来」から抜粋して紹介する。

              ★       ★       ★

公職、官職

人生の職業について、霊的に考察すると、職業を霊的に説明するのが困難なのがわかる。膨大な霊的背景の説明を要するからである。カルマの法則からくる運命の多くが、生活のなかに散りばめられているからである。そのような多くの要因を、探求し、人生の多様さを理解しなければ、霊的な考察がなりたたないからである。

公職や官職といわれるものを、職業と取り違えてはならない。官職を職業とすると、混乱に陥るからである。官公庁で働く人間から、多様な外的の、物質的要因が、生活のなかに作用し、浸透してくる。そうすると、その悪影響を受けた、他の職業のカルマも影響を被るようになる。

我々の時代は、ゆっくりと改革されているが、生活のなかの、ある社会的地位に就くのに、職業のカルマだけで決まるのではなく、今日多くの点で、身分、階級などのカルマが、職業のカルマに干渉しているのを、御存じだろう。

あるグループのなかで、誰がどんな地位につくか、功名心、虚栄心、偏見その他の悪因が作用するのを御存じだろう。官職として、外から職業のカルマに作用する、これらの全ての悪因から、アーリマンの影響が、人間の生活の中に忍び寄ってきて、人間の活動のなかに、悪魔的要素の影響、憎しみを混ぜ込む。

だから、大臣、議員などの地位についている人が、それを職業とする必要はなく、このような地位につくのに、何をしているかは、下世話な話なので、語る必要もない。とにかくも、そのような高い地位につくのは、融通が利かない官僚的人間でしかなく、多分に、融通自体も持ち合わせてはいない。

確かに、物質界では、ダーウィン主義は正しいが、これを唯物的に解釈した、ヘッケルの弟子のオスカーヘルトヴィッヒが強く非難した、「最良のモノへの自然淘汰」のような生命の教えが現れたのが現代の特徴である。このような教えが現れた時代には、他の時代の生活に比べて、まさに最悪のモノが選び出される。厭世家のように、いまの時代を非難し、古き良き時代を引き合いに出すのは無意味で愚の骨頂である。

「最良のモノへの自然淘汰という教え」を現代人は自慢している。しかし、この教えを自慢する現代人は、唯物論という悪魔が与えた知識に従って、実際には、悪魔を地に招来しかねない最も重要な地位に、最悪の人間を選ぶという傾向に支配されているのに、気づかないでいる。

(高次の宇宙人によれば、高次になるほど官職や公職はなくなると述べている。必要がないからである)





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Last updated  2024年09月19日 23時23分28秒
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