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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年10月24日
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カテゴリ:神秘体験空間
MLB観戦もワールドシリーズ頂上決戦の週末まで、時間ができたので、久しぶりにドラマを堪能した。ドラマは、バカリズム作以外はほとんどあまりみないのだが、先日、かなり前にたまたまみて面白いと感じた「民王」がパート2として地上波でやっていたのをみたら、非常にまた面白かった。ついでに、その流れで、西田敏行氏追悼で「ドクターX」もみたら、これもまた面白く、人気なのが納得いった。これまで、医療ドラマは、職場が医療機関だったために、ドラマのリアリティのなさがわかっていたので、わざと敬遠していたのだが、仕事も辞めたので、純粋にドラマとして楽しめた、のが良かったのだろう。というわけで、今回は、ドラマを考察してみたい。

民王R|テレビ朝日 (tv-asahi.co.jp)

ドクターX〜外科医・大門未知子〜 - Wikipedia

ドラマはいうまでもなく、フィクションで、虚構の嘘である。昔は必ずドラマの終わりに、その文言を載せて、恐らく苦情電話に対処したのかもしれない。だから、実際の経験があると、ドラマのリアリティのなさが、かえって邪魔になったりして、ドラマの内容に入り込めなかったり、ドラマのなかの登場人物の一部分に近い人物が、変にリアリティをもって職場にいたり、似たような出来事があったりすると、ストーリーどころか、そのことだけで頭一杯になるので、ドラマのリアリティさは、諸刃の剣なのだが、この2つのドラマは、ほぼ許容範囲内に収まっていたので、面白く楽しめた。

あまりにリアリティがあると、ドラマでなくなってしまうので、ドラマで愉しむのなら、リアリティは少なめのほうがいいかもしれない。自分は嘘を楽しむのがドラマだと思っている。かといってすべてがファンタジーでもかえってみる気をなくすから、全体の流れにリアリティをもたせ、節々にフィクションを散りばめ、場面ごとの出来事があり得ない、奇想天外な展開にしたほうが、コントというか、ドラマ性をもたせられる気がする。その点で、この2つのドラマはコミカルな展開を上手く描き出せていた。

民王は、政治家のドラマで、ドクターXは大学病院のドラマなのだが、医療ドラマというよりも、大学病院というヒエラルキーの権力闘争の、人間ドラマというべきものだろう。どちらも、フィクションとして、コメディとして非常に面白く、人気があるのがわかる気がした。特にドクターXの院内でのマウント合戦と権力闘争の組織あるあるネタをコミカルに描く手法は、恐らく、「踊る大捜査線」辺りからはじまったように思われる。

踊る大捜査線 - Wikipedia

警察に努めた経験はないので、警察内での権力闘争についての人間模様はわからないので、このドラマのリアリティについては言及できないが、今では全く連絡がないが、大学の後輩が警察に勤めていた話を思い起こすと、警察官と事務官は違う、というような話をしていたのが記憶に残っている。恐らく、病院内での医師と技師や事務の違いのような感じかもしれない。

病院の場合は、更に薬剤師や看護師が、医療分野別の技師のなかに加わるので、権力体制としては、かなり複雑怪奇である。国家のなかに、独立国が沢山あるような連合国のような感じといえるかもしれない。更に医師の場合は、他病院にも派遣勤務して、いわば副業しているので、複雑の上に複雑となっている。それらの権力が医師の属する医局に集約しているわけなので、俗にいわれる教授を頂点とした、そのピラミッド構造の権力維持体制のなかでは、底辺にはかなりの圧力がかかるわけで、植民地派遣というか、植民病院などへの派遣で、研修医が過労死してしまうのは、この旧来の頂点への権力集中の構造問題にある、といえるだろう。

この旧来の権力構造は、おそらく、明治政府がビスマルクを手本に、ドイツの軍医を招いて、古いドイツ式の医学を模範とした西欧化植民地政策のせいといえるかもしれない。過労死は研修医だけに限らないが、私の経験からすれば、教授になる一歩手前の助教授が、無理をして、亡くなる場合が多かった。30年間のなかで3名の助教授の過労死に遭遇した。

このような旧来の権力体制だと、研修医の人手不足が時事問題にもなってきたから、労働環境を変えるために、従来の医局制度が、日米地位協定の意向なのかどうかは知らねど、米国の医療に少しでも近づいて、講座制になったのだが、看板を挿げ替えただけにみえるのは、ドクターXが、歪でコミカルな医局を描き出している場面から伺え知れるだろう。

医局の歴史~第1回 医局の成立と大学への医師の集中~|医師のキャリア情報サイト【エピロギ】 (dr-10.com)

どちらのドラマも、日本人の集団性や組織つくりの、権力闘争という意味ではリアリティをコミカルに描き出しているようにみえる。日本人の組織は排他的で、特に、ドクターXの大門未知子のような、医局の権力枠からはみ出た異端者には、アウトローの一匹狼が、ドラマでこそヒーローやヒロインにもなれるが、現実は忽ち左遷されて厳しい目に遭うだけだろう。

私の経験でも、それに近い人物がいたが、その女医は外科ではなく、勿論、ルックスも米倉涼子氏のようなスレンダー美人ではなくて、外見はどこからみても男にしかみえなかった産婦人科医だったために、なぜ産婦人科を選んだのか理由はわからないが、女性患者に診察は女医さんにしてといったのに、なんで女医でないんだと度々病院にクレームされ、自爆していた有名な女医がいた。本人は可哀想だが、患者の立場からすれば、わからなくもない。

女性らしい恰好をすればまだしもなのだが、それも拒否していたようだから、自爆してしまうわけなんである。特に近年は医者でも男性に診察されるのが嫌な女性患者も多い。不細工な医者が多いせいかもしれないが、実際に、イケメンの医者は、ほぼ30人に1人くらいの割合なので、不細工に診察されるのなら、いっそのこと、同性の方がマシという気持ちもわからなくもないが、同性でも不細工なのは許せないぐらいルッキシズムが浸透しているといえるかもしれない。

ましてや外科で女優のルックスの女医などは、現実にはほぼ皆無といえるだろう。しかし、そのような不細工医師でも看護婦にはなぜかモテモテなのはいうまでもない。男性看護師も増えてはいるが、余程の性格の良さとルックスでないと、女性の世界なので、男性としての気遣いが絶えないようである。

そのような不条理な女医のエピソードを基にして、ノンフィクションの、現実の日常を描き出しても、退屈でこの上なく無味乾燥で、あえてノンフィクションドラマで、悲劇を描き出すのならまだしも、「おしん」の流行る時代でもないし、それではかえって視聴率は見込めないし、広告媒体にもならないので、また別の角度から、刑事ネタが尽きたのか、推理ドラマを医療に持ち込んだドラマなども一世を風靡したが、結局は、マスコミの権力忖度、利益追従の姿勢から、深刻なノンフィクションドラマは敬遠しがちで、非日常性の夢に溢れるフィクションドラマを求めがちで、そういうわけで、ドラマはほとんどが虚構になるしかないのだが、そもそも非現実を描き出すから、ドラマがガス抜きの一服の清涼剤になるわけでもある。

しかし、ノンフィクションドラマといっても、所詮それはドラマに過ぎず、現実は、前回紹介したように、人生には所々に悪魔の罠や障害が張り巡らされていて、思い通りには進まない。だから、ドラマとは、いかに非現実を、ファンタジーを描き出せるかにあるように思えるのだが、実は、その非現実のドラマを、オカルトで考えると、実際に過去に起こった出来事にもなり、ドラマがドラマではなくなってくるから更に面白い。

例えば、「民王」は、総理大臣になった人物の中身の精神が入れ替わる、という虚構を利用して、無味乾燥で退屈な権力闘争を、面白可笑しく喜劇にしているのだが、つまり、この肉体が入れ替わるという表現手法は、男女が入れ替わるという映画「転校生」から使われてきたもので、この肉体交換を、唯物論による脳科学の概念の、単なる電子回路としての脳に見立てて、その記憶体験の入れ替えで、虚構のドラマをつくりあげ、表現しているが、ストーリ―性としては、「転校生」の肉体交換とほぼ変わらずに、この表現法が唯物的になっただけで、権力者の中身が入れ替わる、という話は、オカルトの、霊魂の入れ替え、とすれば、実は、過去の現実でも何度も起こってきたことなのである。

転校生 (映画) - Wikipedia


このようにドラマを、オカルトで解釈すれば、ファンタジーが現実化されてしまうわけなんである。「転校生」の男女の入れ替えも、前世での関係に言及すれば、過去世であり得た関係から、現世での関係になっているのがわかるわけで、つまり、現世ではドラマとなっているが、過去世では現実であったともいえるわけなんで、更に、現世での関係から、例えば、シュタイナーが説いているように、自我が完成する35歳辺りで最も親しくなった人と、来世で親子の関係になるわけで、輪廻転生そのものが、肉体交換の関係ともいえるわけなんである。

だからどうして、この2つのドラマをとり上げて、紹介したかといえば、異端者X(エックス)と、その異端者が、総理大臣という権力者にすり替わる、実際にあった話を、トートのエメラルドタブレットから紹介したいからでもある。

ドクターXの大門未知子には、どこかマカロニウエスタンの一匹狼の西部劇を感じさせ、善い者にみえるが、トートのエメラルドタブレットでの、Xは、黒魔術の魔女で、悪者である。通称リリスと呼ばれ、過去の地球において、蛇人をつくった祖ともいわれている。そこで、リリスをググると、以下の、ウイキのあるコメントに出逢うから不思議でもある。
             
            ☆        ☆        ☆

リリス - Wikipedia

七十人訳聖書は、適切な訳語がなかったためだろう、リリスをオノケンタウロス(onokentauros)と翻訳している。前のほうにある「山羊の魔神」もダイモン・オノケンタウロス(daimon onokentauros)と翻訳されている。

            ☆        ☆        ☆

ドクターXの原作者が、上の聖書を知ってたかどうかは定かではないが、リリスは、ダイモン・オノケンタウロスと呼ばれていたようであるから、大門未知子の、大門まで同じで、未知の女性という未知子の名前が何やら意味深でもある。

エメラルドタブレットによると、このリリスとは、このブログでも度々紹介してきた通称エクスジアンの第10番惑星人を、この地球に招いた黒魔術師の魔女のことだというのである。それは古代アトランティス時代よりも遥か昔の、古代レムリア時代よりも前の、神智学では、極地人時代と呼ばれる太古の地球での出来事なのである。当時の人類は、北極に住んでいたので、極地人という名称がついたという。

当然、現在の物質的な肉体はなく、肉体の原基となる体温を熱で保っていたようである。だから地球全体はまだ暑く、北極もいまの熱帯のように暑かったという。だから物質という存在もなく、全てが水のように液体性で、熱の火から現実化していたようである。だからヒトといっても、巨人で、特にエクスジアンは、1マイル(1600メートル)もの大きさの悪の意識存在だったという。

架空のゴジラの身長が、約50~120メートルと設定されているので、その10倍を上回る大きさといえる。当時の人類の大きさには言及されていないのでわからないが、現代人よりは、それなりに大きかったようには思われる。当時の地球全体が液体性のガス球だったので、固体はなく、いわば、地球という海のなかを泳ぐ感じで、人類は北極にゼリーのような軟骨で、都市をつくっていたようである。

その話について、エメラルドタブレットを引用すると、次のように書かれている。

古代アトランティスについて私は語ろうと思う。暗黒の者たちの惑星の時代について、暗黒の子たちが地球に来たことについて語ろう。彼ら(エックスジアン)は、地球人(リリス)の黒魔術により太陽系の第10番惑星(本当は第11番惑星。というのも、火星と木星の間に遭った惑星が、この連中に破壊され、アストロイド小惑星帯になったせいである)から召喚された。将来の物質力を得るために呼び出された。

アトランティス大陸ができる前の遥かな昔に、暗黒を探求する魔女がいて、黒魔術を使い、地獄の世界から、彼ら悪魔のエクスジアンを呼び出した。そうして、この人間が住む地球にやってきた。彼らは、人類とは異なる波動をもち、無形の、不可視の存在なので、人類には未知の存在である。彼らは、人間の血液を通じて、有形化する。だから、人間を通じて、この世に生きるようになる。

このように、エメラルドタブレットによると、ドラマのドクターXは、患者を外科手術で治療する医師だが、地球人を、血による黒魔術の儀式で、蛇人を生み出す暗黒の魔女リリスとなるわけなんである。この人間を蛇人にしてしまうモチーフは、映画エイリアンにも受け継がれているようにみえる。

エイリアン (映画) - Wikipedia


エメラルドタブレットによれば、エクスジアンの真の姿は、蛇の頭部をもつが、人間を騙すために、催眠術を使い、人間の頭部のようにみせかけるという。このエクスジアンの姿は、現代のレブティリアンのモティーフにもなっている。面白いことに、人間に偽装したエクスジアンを見分ける方法は、彼らが発音できない言葉を言わせることなのだという。それは、「キニ二ゲン」だというのである。

ヒト型爬虫 - Wikipedia

アーリマンとルシファー、キニニゲン

今でもググると、レプティリアンとともに、このキニ二ゲンが出てくるから面白い。この悪の連中は、ドラマ民王のように、総理大臣のような権力者の、悪への欲望に付け込んで、憑依して、肉体から霊魂を追い出して、権力者と入れ替わって人類を奴隷化し支配したという。

それが盛んにおこなわれたのが、極地人時代で、これでは地球が危ないということで、アンタレスの聖白色同胞団のマスター(聖者)たちがやってきて、白魔術で、悪魔を退治し、地球を征服し、人類を解放して、悪魔たちを地球の核のパンドラの箱に閉じ込めたのが、伝説として残っているという。

そして、驚く話だが、あのヒトラーも、民王ドラマのように、この悪魔が人間の霊魂を追い出して、居座った例なのだというのである。フィクションドラマのようなノンフィクションドラマの話だが、オカルトのなかでは、そもそも人間の知識が、叡智の焼きまわしで、低次の知識は、高次の知識が退化したものなので、下にあるものは上にもある、わけなんである。

嘘のような本当の話がドラマなのかもしれない。あり得ない話があり得てしまうのは、人間が叡智をどれだけ、経験と努力で引き出せるかどうか、なのである。

努力と経験から、叡智を引き出すために、シュタイナーの職業のカルマと未来を要約して紹介する。

          ★         ★         ★

人生の形成と改変

職業のカルマが、他のカルマの流れに合流する。物質体を考慮すると、誕生から歯の生え変わる大体7歳までの物質体の成長のなかに、その人のカルマの流れが洞察できる。物質体に関するカルマは、この最初の人生期に依る。それはカルマを通じて、特定の家族や国家に生まれ、属するからである。

このようにして人間は、特定の性質をもつ肉体を獲得する。特定の家族の家系の、血統に生まれることで、この特質をもつ肉体を獲得する。人間は、この生まれついた環境にいかに左右されるか、考えてほしい。この肉体から、その後の多くの人生の出来事がはじまり、展開されるからである。

この誕生から約7年間過ぎるまでは、物質体、もっと正確にいうなら、物質体の周囲のファントム(幽体)のなかに、前世の職業には由来しないカルマが働く。このカルマは、前世で人々とどのように共同して生きたかに、由来する。人生の一部ではなく、全生涯を通じて、人々とどう関わったかに由来する。人生の一部についてのなんらかの関係は、また人生の別の期間の出来事に関係する。

人々との深い関係は、霊魂に反映し、死の扉を通して、次の人生へと運ばれて、特定の家族に生まれ、自分の人生をつくりあげる。だから、「前世での人間関係が、物質体を用意し、物質体を通じて働く全てが、人生の宿命を形成する」といえるだろう。この宿命の形成は後年にも引き継がれ、自我がそれに抵抗する。自我は、宿命を改変し、立命とする。自我は宿命と戦い、立命し、運命として次の人生へと運ぶ。

だから、「物質体は宿命をもたらし、自我は改変し、立命とする」といえる。この2つの体から生じる戦いを通じて、それぞれ異なるカルマの流れが人生に合流する。このように人間のなかには、人間の活動を宿命のなかに保存する肉体と、そこから解放しようとする自我が存在する。

物質体 宿命をつくりだす
エーテル体 宿命を促進する
アストラル体 宿命を改変する
自我 宿命を改変し、立命をつくりだし、運命として次の人生に運ぶ





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Last updated  2024年10月25日 14時43分04秒
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