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311から、4日後に元社長は東京から陸前に戻ることが出来ました。
中小企業家同友会の会議に行っていたのです。 事業継続を決めてから、 被害を免れた同友会の仲間のTさんに、事務所を貸して下さいと頼みました。 直後は、日本全国の同友会からの援助品・救援物資、7台が届きました。 区役所の4分の1の職員が亡くなったので、 避難所以外の部落に避難している人たちに、配りました。 当時は、避難所以外でも、1ヶ所には50~60人の人がいて、 物資が貰いに行けないような状態でした。 同友会の仲間同士で、「1社もつぶすな!!」の号令スローガンのもと、 銀行・金融機関も一緒に「つぶすな!!」と、声が上がった。 アドバイスのもと、一斉に「1枚のコピーで連絡網」をし 資金繰り「当面3ヶ月の凍結にGO」の掛け声をかけ、 全ての銀行に電話をかけ、できないところは、 「自力で止めに行け!」と本店の盛岡まで歩いて行きました。 次に、 陸前高田の86、4%は、流出してしまいました。 残りの13、6%では、経済が成り立ちません。 「雇用を守れ!!」と動きました。 雇用を切ってしまったら、死人がでる。町から人がいなくなる。 まず、はじめに給料分は、保全しておく。 3月分の給料を払う。仮設に銀行が出張して来てくれたので、 500万払うことが出来ました。 ルールは変われる。臨機応変に物事を考える。 即、アクションを起こさないと、雇用を守れない・社員との関係がとぎれる危険!!と思い、 自社の社員雇用を守るための助成金の申し出をしました。 それの窓口が、ハローワークでした。 が、3期の決算書・事業計画書・賃金台帳を提出するように言われました。 でも、流出してありませんでした。 銀行にあるパソコンで、バックアップをとっていただき 手続きをすることができました。 雇用は、ハローワークなのに助成金申請。金融は銀行という考え方。 ルールは、変えられる。ものと、実感しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2015年02月14日 09時11分22秒
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