<京都まちなかを歩くイベント・15日・16日>
<15日・島原・司太夫さんまちなか道中>2008・まちなかを歩くイベントで島原の司太夫さんが1日4ヶ所で道中をされましたその4ヶ所目の道中がお池地下にあるゼストでされましたゼスト広場にて、緋毛氈の中央に司太夫さん両端に禿(かむろ)という小さな女の子たち左端には引舟(ひきぶね)というマネージャーのおつきの人がひかえます昔は太夫さんはモノをとったり、置いたりしませんでした」写ってはいませんが、右端には傘持(かさもち)の男さんがひかえています酒盃をもって、舞をなさいました帯は前に結び緋色に返してある襟は太夫(最上位の妓女)として、帝に謁見を許される(10万石大名と同じ権力)正五位のしるしで、御所へ上るパスポートです髪飾りは19のかんざしで約2kgあります下駄は黒塗りの3本足・1つが2・2kg×2=4・4kgあります傘持さんと歩く太夫の道中です歩き方は、まず、斜め前に足を出し、それ足を真っ直ぐに向きを変えて、一歩を踏み出すのです。お披露目の終了後同じようにして歩いてみましたみなさんも、2~3歩、歩いてみてください(難しい!なかなか、あるけるものではありませんよ~)総重量33kgを身にまとい品格さながらの太夫さんは凛として引き継ぎ素足は同格の大名さん(帝謁見の最下位の位なので)への、謙譲の意味なのだそうです現在は3人の1人となられた司太夫さん(芸子からなりなさいました)でしたさいごに、太夫さんとは、京の都は、応仁の乱なんかで何度も燃えていますそれで、お公家さんの娘さんや奥方が落ちぶれて教養として習っていた舞やお琴なんかの芸事を見せて生計をたてるようになんったのですそれが「傾城」と呼ばれて、「太夫」となったのです舞妓・芸子・おいらんは町衆文化ですが、太夫は、公家文化から生まれて「投扇興」とか「貝合わせ」とか公家さんのお方がしていた遊びだそうです宮廷文化の流れをくんで、文化人が集まって一つのサロンをようなもので「島原文化」ということばもありました。 京都ならではの、めったに見ることのできない 太夫さんのお話とおすがたでした