歌声は永遠に
マイヤー隊(いつかきた道)この映画の中で歌われていた「この道」はいつ聴いても胸が熱くなります。13、14歳の少年達の歌声はこれぞウイーン少年合唱団オーストリア🇦🇹の少年たちの歌声です。グロスマン方式の発声は大人にも通用する方法。当時はカトリック信者の家庭が殆どだったでしょうね?赤ちゃんの頃から教会へ行き讃美歌に親しんで来たのでしょう。信仰心も厚くアウガルテン宮殿の中の食堂や教室、ベッドルームには十字架が掲げられていました。海外演奏旅行中でも日曜日に教会へ行き讃美歌を歌っていた様ですね。当然、皇帝ヨーゼフ1世の葬儀にも歌ったそうです。余談⋯日本が初めて万国博覧会へ参加した時はウイーンが開催地でした。ヨーセフ1世在位25周年をお祝いしての博覧会だったそうです。今のプラター公園辺りが会場だったそうです。この博覧会にもウイーン少年合唱団が出席して歌ったそうです。ランク隊(青きドナウ)此方のランク隊のYouTubeを観ました。ウイーン少年合唱団の歌声そのもの。当時、来日できなかった元少年が「小さな歌」という本を書きました。此方の隊は「兼高かおる世界の旅」1961年1月の放送に出演しています。取材したのは60年なので此方の本の筆者も映像に映っていました。この本の著者は残念な事に来日できませんでした。映画「青きドナウ」の撮影前にWSKを卒業したそうです。このランク隊は映画の撮影の後61年秋に来日しています。秋に来日するのは珍しい様ですね。殆ど春、80年は秋だった様に記憶しています。青きドナウの映画の中でピーター少年がトニー少年とグリンスリーブスを歌うシーンがありますがよく見るとブレスのところで肩があがっているのです。グロスマン先生の腹式呼吸法では肩が上がらないと思うので本人が歌っているのかと思ってしまいました。当然吹き替えですよね?違うかなぁ。誰が吹き替えをしたのか興味あります。当時の少年だったOBの方覚えていらっしゃるかしら?フロシアウアー隊 この隊ほど人気のあった隊は無いのでは無いかと思ってしまいます。少女雑誌もよく売れた様で⋯。帰国した後も退団した団員を追いかけてウイーンまで取材に行き雑誌に載せそれを私たちが購入して⋯。当時は真剣にそれを読んでいました。有名人がたくさんいましたね。後に日本のテレビにご招待された元団員も。このクラスも映画に一部の少年たちが出ていたのを覚えています。今、YouTubeに歌声が一部載っていますね。此方の教会は何処だろうとオールドファンさんと探しました。なかなか見つからなかった所、ブロ友さんのお知り合いの元団員さんからプラター公園の中に有る教会だと朗報が届いたそうです。この教会は可愛らしいそうですが中はとても良いそうです。結婚式などを日本人カップルが挙げたそうです。(現地の日本女性ガイドさんのお話)機会が有ったら此方の教会をYouTubeで放映してくださる様です。4年振り(525周年)の来日 コンサート前のオペラシティ会場ホールピアノの譜面台に「モーツァルトの曲集がありました」この日はBプロでした。昔懐かしい曲パーセル「トランペットを鳴らせ」(昔と少し違うアレンジでした。)メンデルスゾーン「妖精の歌」(ぽつぽつ模様の舌が二つのお蛇さん) 「鱒」ソロ(アメリカ・ニューヨーク出身のソプラノのソリスト。今は家族がウイーンに移住しているそう)ピアノ伴奏者の少年はカナダ・バンクーバー出身。伴奏も落ち着いて演奏できた様です。 これは今のカッペですね。昔のより硬い感じがします?ウクライナの少年は(ґеолґїї)本当に良い声で歌が上手。ニコニコして歌を楽しんで歌っていました。(平和な国で歌える喜び)相変わらず手を前で揃えてお辞儀をするのが上手。(日本式)髪をコサックの様に結んでいるのも可愛い。(ウクライナのある少年合唱団にも髪を彼の様に結んでいる少年がいました。)日本公演もあと半分。だんだん上手になってきている様、疲れも出てきている様です。英語圏の少年の名前はドイツ語読みなので戸惑ってしまいそう。日本人の子はローマ字通り。一番困ったのはウクライナの少年の読み方。ドイツ語の読み方とウクライナの読み方🇺🇦。ウクライナ語を日本人にわかりやすい様にローマ字で表記してくれたのは良いのですが⋯。Гと Ґの違い⋯ГはHの発音。ҐはGの発音。というふうに勉強しましたが⋯? 時々Hの発音では無いのでよくわかりません。ウクライナの人が日本語難しいと言われるのがよくわかる様な⋯。(私たちもウクライナ語難しいですね。)ウクライナの🇺🇦アルファベットを上手く日本語に(発音が似ている物)当てはめると良いのかがわかりました。チビちゃんで試してみようかな?早くウクライナに平和が来ることを願っています。