そんな時代があったのね?
下の写真、チューリップ四季彩館で何度も見てましたが 『変な写真』って、思いながら通り過ぎてました 先週末、チューリップフェアの講習会に参加したとき講師の方が館内の展示物をひとつひとつ説明しながら周ってくださいましたその時初めて『変な写真』の意味が分かりました。 が ハッ? エッ? 嘘っ~ ホント 1630年頃のオランダで庭におびただしい数のチューリップを咲かせるのが究極のステータスだった時代チューリップの球根が花嫁の持参金代わりになったり家や広大な敷地などと交換するものまで現れたそうです チューリップ(バイシェリィ)の球根一個と、下記一式と交換 小麦 3,000リットル ライ麦 12,000リットル 雄牛 4頭 豚 8頭 羊 12頭 ワイン 2樽 バター 160キロ チーズ 500キロ ベッド 1台 銀カップ 1個 それは、赤、黄、白などのポピュラーなチューリップではなくブロークン・チューリップとよばれる斑入り模様のチューリップなかでも、赤と白の縞模様の『センペル・アウグストゥス』はチューリップ狂時代を象徴する高価な花だったそうです その魅力は、花の美しさだけではなく 何百何千個のなかでも、斑入り花が咲くのは 1~2%変わった花であればあるだけ生命力も弱く、すぐに絶えてしまいます儚げで希少性のある花は人々の所有欲に拍車をかけてしまい栽培者は 珍しい品種を作り出すため 改良を競い合いバイヤー達は 珍しいチューリップには大金をつぎ込んだそうです でも、この時代の人々は知らなかったのですこの美しい斑模様は、アブラムシが運んだウイルスが原因のモザイク病だったってことをそれが判明したのが、20世紀に入ってから 知らないって、怖いことですね? 1637年オランダ政府は投機売買を禁止し沈静化を図ったそうですその結果、球根の価格は100分の1以下にまで暴落オランダの諸都市は混乱に陥り、多くのチューリップ資産家は破産したそうです それでも、オランダの人々はチューリップを見捨てることなく栽培し続け改良を重ね、たくさんの種類のチューリップを作りだし世界一の球根生産国となりました・・・『チューリップを見捨てることなく』って、言葉は間違ってるかもしれません美しい花を咲かせることだけを目標にチューリップ栽培に勤しんだ農家の方達にはチューリップ狂時代なんて、関係なかったのだと思います この雪の下では、450種、100万本のチューリップの球根が 2010となみちゅーリップフェア(4月22日~5月5日)にむけ、花咲く日をジッと待ってます チューリップ狂時代 人々を狂乱に陥れたチューリップに似た花も展示されますので 『この花かな? この花かな?』 探し周ってみるのも楽しいかもしれませんよ ちなみに ハッピージェネレーションやカーニバルデリオは チューリップ狂時代人気だった『センペル・アウグストゥス』に似ているそうです