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カテゴリ:神社仏閣 ぶらり旅
今日も読んでくださってありがとうございます。
12月に入りバタバタと忙しくなってきました。 大掃除も始めないと…(-_-;) 毎日、部屋のどこかが気になり出し、週末はやるぞー!と思うのですが、ヤボ用が多くなかなかとりかかれません。(苦笑) やらないといけないことは沢山ありますが、 ぶらっとドライブ大好きな人なので、自宅にいて暗ーくなるより、ぱーっと発散です(笑) 館山には、お友達と私の分身1号がおりまして…たびたび出かけます。 4年ほど前に分身1号♪は、その分身1の1を作りまして、最近はよーくしゃべるようになりました。 しゃべって、歩いて、くっつくので、館山観光も思うようにはスイスイ出かけられないことが多くなりました。 先日、ふと思い立って出かけましたら、ちょっと外出していてだーれもいなかったので、やったー!!とばかり、念願だった真言宗智山派の大福寺さまにある観音様に参拝してきました。 こちらは船形山のふもとにあります。 正しくは、晋門院 船形山 大福寺といいます。 こちらの観音様は、船形山の中腹にある崖の祠に刻まれています。 今から1300年前の養老元年(717年)に行基という僧が十一面観音さまを岩肌に彫刻しました。 この行基という方は、大阪の生まれですが、15歳で出家して布教と貧しい人を助けるために社会事業を行った僧です。 なんといっても有名なのは、人手が足りずに造立が進まずにいた東大寺の大仏の造立を聖武天皇に頼まれて助けたことです。 東大寺の大仏の完成は752年。大仏の完成を見ずに749年に81歳で亡くなっています。 亡くなる4年前に日本で最初の「大僧正」という仏教の世界では最高の位を与えられました。 行基は、東国にも旅をしていまして、関東にはゆかりの地や寺院が数多く残っています。 崖観音さまを彫刻したのは、49歳ころでしょうか。 この観音さまにその後、堂宇を創建したのは、慈覚大師であるといわれています。 この慈覚大師さまもすごい方で、天台宗の3代目座主になった方です。 円仁という名前の僧でしたが死後、天皇から慈覚大師という名を贈られました。 素晴らしいお寺ですね。 こちらが本堂です。 偉大なお二人の僧が作り上げた観音さまとそれを守るお堂に感激しました。 長い石段を登って行きます。 岩肌から山のお水が湧き出ていました。 館山の街と海が眺められます。 絶景!!! 観音さまは、風化が進んでいてお顔の表情がわからなくなってきているのだそうです。 お堂に守られて長い間、この地を守って来られたのですね。 成田山のお不動様もいらっしゃいます。 何度も行ってみたい場所です。 この日は、龍神様もお空にいらしたのかな?と思う雲でした。 読んでくださってありがとうございました。 神谷 明杞でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.12.07 00:01:03
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