キャンディーズの封印と解禁宣言
1977年7月にキャンディーズの3人はそれぞれの道を歩むために解散宣言をします。大批判の逆風が吹きましたがファン組織が3人の意思を尊重して解散支持運動を起こしました。これによってキャンディーズとファン組織の間に契約関係が成立します。キャンディーズは翌年4月のファイナル・カーニバルまで精いっぱい努力して終結、ファンはファイナル・カーニバルを見届けた後は永久に再活動を望まないと言う約束です。その後、ランちゃんは女優業へと。スーちゃんは家族に寄り添って生活する事、特に癌と闘病中の弟の看病をする事。ミキちゃんは平凡な家庭の主婦になる事へと進んで行きます。ランちゃんは映画6作品、ドラマ62作品、舞台20作品に出演して、現在も活動を続けています。スーちゃんの弟が、「お姉ちゃんが一緒にいてくれる事は嬉しいけれど、テレビで活躍するお姉ちゃんの姿を見る方がもっと嬉しい」と話しかけました。スーちゃんも女優になる事を決心して再びメディアに登場します。1989年公開の今村昌平監督の映画「黒い雨」で主演を演じ、日本アカデミー賞をはじめ数々の主演女優賞を総なめにして既に亡くなった弟との約束を果たします。しかし2011年にスーちゃんも癌で亡くなってしまいました。ミキちゃんは1983年に一時的に復帰してアルバムを1枚リリースしましたが、その後は芸能活動をしていません。公の場に姿を現したのはスーちゃんの葬儀の時だけです。2006年に放送されたテレビのインタビュー番組に出演したスーちゃんが、キャンディーズの再結成は無いのかとの問いに、ファンを裏切る事になるので再結成は無いと断言しました。1977年の契約が継続履行されていてキャンディーズの封印は解かれないのだと改めて認識しました。しかし、3人はそれぞれの道を十分に歩んだのだから1977年の契約を見直してもいいのではないかと私は感じる様になっていました。そんな気持ちだった去年の春にランちゃんが突如ソロアルバムをリリースして音楽活動を再開します。ライブ活動の出発点がファイナル・カーニバルが行われた後楽園球場の跡地に建てられたTOKYO DOME CITY HALLだと知った瞬間にキャンディーズの封印を解くのだと直感しました。後楽園で終了した歴史をここから再開するのだと。大きな期待を持って後楽園ライブへ行きました。しかし、ソロアルバムの曲が続いたので、やはりキャンディーズの曲は封印されたままなのだと思ってしまいました。公演の半分以上が過ぎたところで「時を動かす3つの鍵」のMCが始まります。やや難解な表現でしたが明らかにキャンディーズ解禁宣言です。続いて春一番のイントロが始まり会場が最大に盛り上がりました。ランちゃんもファンも同じ気持ちなのだと意識共有をした、1978年の終結宣言に続く歴史的瞬間と言えます。本人たち3人、それを支えたファンとファイナル・カーニバルに向けて仕事ととして関わった人たちの活動の総体をキャンディーズと呼ぶべきだとの意見があります。1977年夏から1978年春までの9か月間は、そう解釈すべき社会現象が起きていました。今年のツアータイトルは「My Bouqet & My Dear Candies」でしたが、新宿でも渋谷でもランちゃんは「私のキャンディーズではなく、私たちのキャンディーズです」と語っています。感染症対策で以前と同じスタイルの音楽活動は出来なくなってしまいましたが、キャンディーズの絆は続いて行きます。