鶴丸城御楼門 「鯱」設置始まる
鹿児島市の史跡,鶴丸城跡で進められてきた同城の城門・御楼門(ごろうもん)の復元工事がこのほど終了しました。姿を現した国内最大級の城門を、多くの市民らが訪れている。
門は2階建てで,高さ、幅員とも約20メートル,奥行きは約7メートル。文献など資料を参考に,国内産の木材を用いて伝統工法で建立されました。総工費は10億9千万円で,うち6億2千万円は民間の寄付を充てました。
鶴丸城の御楼門は1873年の火災で焼失し,県や地元経済界が復元を進めていますが、完成すれば高さと幅がおよそ20メートルの日本最大の城門となります。工事はおととし9月から,総事業費10億9000万円をかけて行われてきました。
<<<鹿児島城(鶴丸城)の大手門>>>
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「御楼門」は鶴丸城とも呼ばれた鹿児島城の正門で,1873年(明治6)年の火事で焼失し,今では周囲の石垣などが残るのみとなっています。
プロジェクトでは新たに,御楼門の隣りにあった「御角櫓(おすみやぐら)」と呼ばれる見張り台と,御楼門と御角櫓を繋ぐ城壁も復元され,当時の城下町の雰囲気をよりリアルに再現します。
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▼鶴丸城(つるまるじょう)-鹿児島城
城壁には西南戦争の銃弾跡が残る鶴丸城。今も石垣や堀,石橋などが残る。島津氏は薩摩入部以来,居城を何度か移転し,島津家18代家久が築いた鶴丸城(鹿児島城,府城ともいう)に移ったのは慶長7(1602)年だといわれています。
それ以前,まず島津氏の5代貞久までは北薩・山門院(やまどのいん)の木牟礼(きのむれ)城(現・出水市高尾野町)に居城があった(当主は在城せず)。 「人をもって城と成す」という精神に基づいてつくった天守閣のない質素な屋形であった。天然の要塞で,その地形から鶴丸城と呼ばれました。
いま,鶴丸城城趾には,鹿児島県歴史資料センター黎明館,県立図書館が建ちます。
・アクセス:JR鹿児島中央駅から市電鹿児島駅前行き10分市役所前下車徒歩5分