作家で作詞家の伊集院静(いじゅういん・しずか)(本名 西山忠来=にしやま・ただき)さんが11月24日、「肝内胆管がん」で死去した。73歳だった。マージャン、競輪などを好むギャンブラーとしても知られた。
伊集院さんは病状が悪化しても身内や親しかった人に知らせることを望まず、妻の篠さんだけが側にいた状況だったという。
篠ひろ子(本名 西山博子)さんは、「自由気ままに生きた人生でした。人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください。最期まで自分の生き方を貫き通した人生でした。・・・・・・・。ありがとうございました。」と語っている。
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その伊集院静さんを、「伊兄ィ」と敬称したという立川談志さんは、伊集院さんと同じ月の2011年11月21日に逝去、75歳だった。著書『
大人の男の遊び方 [ 伊集院静 ]』(双葉文庫)で、談志さんとの交友と思い出を次のように綴っている。
本文80~81ページ
何度、聴いても、談志さんの〝芝浜″は素晴らしかった。底力が違うのである。
(中略)
なぜか談志さんは、私のことを、
「伊兄ィよ。だからさ、伊兄ィ」
と呼ばれた。
歳上の人からそんなふうに呼ばれて困ったが、談志さんは嬉しそうで、
- 師匠が嬉しいならいいか。
とそのままにして対談したが、談志さんの見識というものはたいしたもので、
こちらが前もって相当に準備をしておかないと対談にならないことが多かった。
それがこっちも勉強というか、修業になって良かった。
落語好きというのが、私は苦手で、”通〟振る者が多く、
--何を言いやがる、たかが落語じゃないか。
と言いたくなってしまう。
そういう人にとって談志さんの立場はずいぶんと特異に見えるらしくて、わかったような顔で、
「はあ~ん、伊集院さんは談志なのね」
と言ってくる。
「おい、談志さんと呼べ」
私はそう言って、その相手の前から立ち上がることにしていた。
師匠が死んだ後、一門の何人かがバーかどこかで追悼の酒会をやり、そこで一門の継続を決めたと記事にあった。
それがヤクザの姐の継続に似ていて、らしいナ、と思った。
談志さんの良さは、この先、十年、二十年してわかるのだろう。