川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、田辺聖子、そして先日亡くなった伊集院静ら多くの作家たちが愛したホテルとして知られる都心の小さな名ホテル「山の上ホテル」が、惜しまれながら2月13日から全館休業。“最後の日”を迎えました。
第二次世界大戦を乗り越え、オープン
「山の上ホテル」の建物は、1937年に竣工。第二次世界大戦中は海軍に徴用され、戦後はGHQが接収。陸軍婦人部隊の宿舎となりました。その当時の呼び名が「HILLTOP HOUSE」。
当時、欧米で流行していたアールデコ様式で建てられた洋館は、1954年、ホテルの創業者である吉田俊男がこの呼び名を意訳して「山の上ホテル」と名付け、オープンしました。
古書店街に近く、出版社の多い神保町や神田にも近いこともあり、1980年代には池波正太郎がここを常宿とし、田辺聖子は大阪から出てくるたびに“東京の別宅”のように泊まったと言います。
昨年11月24日に亡くなった直木賞作家の伊集院静さんは、亡くなる少し前まで、山の上ホテルと自宅のある“仙台”を往復する生活をされ、仙台に居るのは1年のうち1ヶ月位の年もあったということです。
伊集院静さんは、『
さよならの力 大人の流儀7 』(講談社発行)で、山の上ホテルでのエピソードを綴っています。
p112--
少し前の話だが。
ホテルの私の部屋には、二年周期くらいでちいさなクモがあらわれる。私はこのクモが好きで、万次郎と名前を付け、数晩、一緒に過ごしたことがある。そいつが (たぶん孫だろうが)今春、あらわれた。
「おう元気か。ひさしぶりだナ」
クモでも、仙台のスズメでも、山口の生家のツバメでも、生きものがそばに来るのは嬉しいものだ。
先日、夜半に酔って戻ると、脱いだ靴下のそばに割と大きい靴下の毛玉が床に落ちていた。
この毛玉とずっと飲んでたんだ……。
すると毛玉が十センチ横に動いた。
そんなに飲んだかな……。
それで手にした靴下の一足を投げると、毛玉が靴下のむこうに素早く隠れた。
もしかしてG君か?
立ち上がって靴を取ると、私の仕事場の方へ猛スピードで逃げた。やはりGだ。それもかなり大きい。この部屋で初めて見た。今、ホテルは大工事中だから、外から閲入したのかもしれない。二十年居なかったのだから清潔なホテルだったということだ(気を使うでしょう。なら書かなきやいいだろうが)。
翌夕、出かける時、掃除の女の子たちに、
「Gが一匹いる。それも大きい。けど殺さずに外へ出してくれると有難い」
と告げたが、女の子は怖そうな顔をした。
結果、Gは部屋の隅で死んでいたらしい。
可哀相なことをした。あいつの子かも。
ホテルの再開時期は今のところ未定とされていますが、いつか必ずまた訪れることができる日を願って……!
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