紅葉 天野山金剛寺(女人高野)
女人高野とも呼ばれる天野山金剛寺は、天平年間(729-749)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創。弘仁年間(810-824)には弘法大師空海が修行したと伝えられる、真言宗御室派大本山でもある。その後、堂塔伽藍は荒廃したが、平安末期、後白河法皇と皇妹八条女院の帰依を受け、高野山の阿観上人が伽藍を復興。八条女院が、高野山より真如親王筆の弘法大師御影を御影堂に奉安し、女性が弘法大師と縁を結ぶ霊場とされたことから、「女人高野」と呼ばれるようになったという。南北朝時代には後村上天皇の行在所で、「天野行宮(あまのあんぐう)」とも呼ばれた。多くの国宝や重要文化財があり、とくに室町時代につくられた庭園は春の桜、秋の紅葉と四季を通じて美しい(*˘︶˘*).。.:*♡ 南北朝時代の行在所 また吉川英治さんの”宮本武蔵”の中で武蔵に決闘を申し込んだ者の中の1人に権之助という人物がいて、決闘中の母の助言(導母の一手)によって相打ちに持ち込むのですが、受けた傷で武蔵は負けを認めます。この母の死後に権之助は武蔵に弟子入りし、一度各々が別れての修行中に権之助は母の位牌をこの金剛寺に納め供養してもらうという場面があります。(宮本武蔵は諸説いろいろあるようです。) また 普通お寺では”クンシュ山門に入るを許さず”というのが掟のようになっています、これは臭いの強い物(酒やニラ・にんにく等の野菜)を口にしたものは入山してはならないという意味だそうですが、ここ金剛寺ではかつて坊舎で酒を醸造していました。 地酒である”天野酒”も豊臣秀吉などが賞味と紹介されています。(このお酒は現在も”天野酒”として(蔵元が)河内長野駅近くで醸造しています。)