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カテゴリ:ひとりごと
自分は何がやりたいのか、何に生きがいを感じるのか。
自分には無さそう。みんなはどうなんだろ。 あれこれやってみたいとは思うんだけど、長続きしないか、やり切れない。 それは情けない話なのかもしれない。 能力の問題もあると思う。自分の能力は低いと思う。やれる能力がないと思う。 そう言って言い訳にするつもりはないし、やらなくていいとはならないのもわかってる。 自分の能力が低いのは前々から思ってること。 人の話を聴いてても一回で理解できないことがよくあるんだよね。 それでもうわかんないから聴くことを自体をやめてしまうことがある。 もうそれが身に沁みついてるなたぶん。 勉強だってなかなか理解できない。 例えば本を読んでも、読み進めてても、さっきなんて書いてあったっけってよくなるよ。 理解力がないんだよね。 あと自分に自信がない。 物事にあたる時はたいてい「自分にはできない」から入る。 それで遠ざけてしまったり、後回しにしてしまったりはしょっちゅう。 ちょっと話が逸れた。 能力が低い話はちょっと置いとく。 生きててずっと考えてるのが、自分にとっての「生きがいとは何なのか」「やりがいとは何なのか」ということ。 人の前向きな話を聞いてると自分もやらねばと思うんだけど、 「じゃ何やるんですか?」となると、ふと我に返った時に自分には何もないと思ってしまう。 やってみたいことを列挙してみると、 1 消防設備士の資格を取る 2 日本語教育能力試験に合格する 3 大手前大学の単位を取って日本語教師の資格を取る 4 京都芸術大学を卒業する(単位を取る) 5 漢字検定準1級に合格する ここに挙げたものも興味が強いかと言われると、そうだとは言い切れないものばかり。 あと多すぎだし、これじゃ気が散るよね。 資格は、その資格を取るというより、「資格」そのものに受かりたいという感覚。 別に資格ゲッターみたいなつもりはないけど、形あるものがあるといいなとは思う。 それだったら国家資格がいいなって思う。 消防設備士なんて今の自分に全然必要ではないけど、 国家資格だし頑張れば取れそうだからって考えなのかな。それで危険物も取った。 資格ならそれに合格することが最終目的だけど、学問となると論文を書くということか。 論文を書くところまで何かを探究したいことがないだよね。 だから京都芸術大学なんて卒論書かないといけないんだけど、 将来書いてみようなんてテーマがないんだよな。 漠然と「歴史」の勉強がしたいとか、将来大学院に進学したいからそのための基礎を勉強しようとか、 そんな考えで京都芸大を始めたんだけどね。大学院に行くと言っても深めたいテーマがない。 なんか矛盾してるよね。 でも何か勉強はしないとって思っちゃう。 でもやりがいみたいなものはないな。 食べることしか楽しいと思えることがないよ。 でも食べるばかりをやってても体を壊す可能性もあるし、好きなだけやるって訳にもいかないよね。 ただただ何も考えずにぼーっと生きてればいいのかな。 自分には何の取り柄がないのがいまの自分の迷い。 いっそ誰かに「これやっとけ」と言われた方がいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.02.13 03:38:16
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