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テーマ:0歳児のママ集まれ~(7639)
カテゴリ:日々の記録
優敬も7ヶ月になりいつか書こう書こうと思ってた出産回想を忘れないうちに。
優敬は予定日よりも8日も遅れて生まれてきました。 仕事は結局最後まで(予定日の6週前)やったのですが、おなかはよく張っていて 貧血もあり、だいぶきつい毎日でした。 今思えばよく頑張ったなぁとおもいます。 そういう状態だったので、産休入ったらすぐに生まれてくるんじゃないかと心配してました。 楓奈のときは切迫早産で早めの産休に入り予定日より2週間くらい前まで 安静指示だったので、今回もそうなるかもと思っていました。 でも、なかなか生まれてこないのです。大潮の日を過ぎても生まれてこないし。 楓奈と毎日1時間ほど散歩したり遊んだりしていました。 夜になると前駆陣痛みたいなのが定期的にあったりして毎晩 「今日生まれるかも」とドキドキしていました。 でも検診のたびに「まだ下がってきてないねー」と言われ予定日も過ぎ、 大潮がやってきても生まれてこず。 検診のたびに看護師さんに「毎日みんなで楓ちゃんママ来るかなって話してるよ」 と言われていました。 「次までに生まれなかったら促進剤使うか話し合いましょう」と先生から言われ 痛みはあるのだけど、やっぱり次の検診までに生まれず、内診をしてもらったら 「まだ下がってきてないけど、破水しそうな感じだよ、子宮口は1cmくらい開いてるよ 入院しといたほうがいいかもね。今日生まれるかも」 と言うことで入院することに。 先生が言うとおりそれから陣痛が定期的に10分おき、5分おきに来るようになり でも、呼吸法でまだ痛みが逃せるのでまだだなと思い、 楓奈の相手をしたりご飯を食べたりしていました。 看護師さんに「どう?どれくらい子宮口が開いたか分娩台で見てみようか」 と言われ分娩台に。自分で痛みを逃しながら歩けたし、分娩台に上がれるくらいでした。 看護師さんが「もう6cm開いてるよ!」とバタバタ準備していて、 先生に「早く来てください!!」と電話をしていました。 私は「えー!異常事態発生なの?」と思っていましたが急に痛みがひどくなり、 「いたーい!!いたーい!!」と叫んだと思います。 あわてて旦那さんと楓奈も呼ばれ、楓奈が私の顔を見てキョトーンとしていました。 旦那さんに「ママ頑張れーって応援してあげて」と言われて 「ママーがんばれー!」と応援してくれました。 優敬は頭と一緒に右手をあげたまま一緒に出てきたので最後が少し大変でしたが 結局、分娩台に上がって20分で生まれてきました。 楓奈も生まれてすぐ泣かなかったけど優敬も泣かなかったんです。 優敬はどうやら胎便を吸い込んじゃったらしく管で吸い取られていました。 体温も低かったのでしばらく温められてようやくカンガルーケアでした。 その待っている間がすごく長くて、けっこういろいろ大変だったのですが、 私の中には「絶対この子は大丈夫!」というわけがわからない自信がありました。 カンガルーケアをしている際は初めてあった気がしなくて、 「やっと会えたねー」と言う思いでした。 楓奈も怖々と触っていました。 優敬は生まれてからもちょっと大変で、しばらくおしっこが出ずに心配しました。 そのせいもありマタニティーブルーでずっと泣いていたときがありました。 おしっこが出るようになってからは特に何事もなく私の経過もよく6日目に退院しました。 楓奈のときは乳腺炎を繰り返していたのでそれが心配でしたが、 今回は一度もならずおっぱいも経過良好でした。 周りのみんなのおかげですごくいいお産ができました。 楓奈にとっても良かったように思います。 時々優敬が生まれてきたときのことを話してくれます。 いいお産を経験したからこそ、また子供が欲しいなぁとおもいます。 あと、二人生んで感じたのは、お産は自分と子供が主役であって、 自分がお産のためにちゃんと勉強したり努力したりしなきゃいけないということ。 助産師さんや先生は助けてくれる存在であって、生むのは自分ということ、 人任せではだめで自分が主体じゃなきゃだめなんだなと思いました。 以上、だいぶたってからの出産回想でした。 隙間からのぞいています お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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