2回目の卒乳をして
今日は楓奈と優敬の保育園の入園式でした。すでに前年度からいる子たちも参加しないといけないらしく、家族4人で雨の中歩いていってきました。いやぁ~、雨だし、人多いし、子供はぐずるし大変でした。まぁとりあえず入園式も終わり、本格的に二人は進級しました。明後日からは新しいクラスで新しい先生との生活です。優敬は進級前に卒乳することができました。案外あっさりしたものでした。大変なのは、1,2日くらいだったような。入園式の間、なんとなく楓奈や優敬のおっぱい生活のことを思い返していました。楓奈のおっぱい生活は前途多難でした。乳腺炎を半年くらいまで繰り返していました。食事制限もかなりあり、甘いもの、油物、乳製品は禁止でしたねぇ。あの頃は豆腐とプルーンばっかり食べていました。入院もしました。仕事の復帰も予定より2ヶ月遅れてしまいました。ずっとちょこちょこ飲みで、どんなに飲んでも100くらいでした。もともと小さかったし、体重の増えも悪かったので、医大を定期的に受診していました。私も神経質になり、一日に何回も体重計に乗せていました。かなり精神的にもやられていましたね。入院中に「よく頑張っていると思うよ。私も子供にそうしてあげればよかった」と看護師さんに言われました。その看護師さんはミルクばかり与えていたから自分の子が病気になったと後悔をされていました。そうとばかりはいえないと思いますが・・・。でも、「よく頑張ってる」って認めてもらえたことがとても嬉しかったです。どんなに気をつけても乳性炎を繰り返す自分に、すごく自信をなくしていました。そんな時にこの言葉にどんなに救われたかわかりません。今考えれば、乳腺炎を繰り返していたのは食事と言うよりも、精神的、身体的ストレスから来るものだったんだろうなと思います。初めての子育てで、子供はなかなか大きくならないし、不安だし。そんな楓奈は11ヶ月頃から自然におっぱいから離れて行き、12ヶ月頃には寝るときにもおっぱいをやらなくて寝るようになりました。ただ、卒乳はすんなりだったのですが、私のほうの張りはなかなかたいへんでした。優敬はすごくよく飲み、まとめ飲みができていました。これまた打って変って、それほど食事に気を使わなくても乳腺炎には1度もならず。時々しこりができたこともありましたが、授乳すれば減っていきました。自分自身もしこりや熱感を持ったときの対処方法になれていたし、何より、育児2回目で心に余裕がありました。職場復帰の際も、徐々に仕事のリズムに授乳をずらして仕事中も張らない体になりました。楓奈も優敬も7ヶ月のときに私は職場復帰をしたのですが、二人とも、冷凍母乳と布オムツで対応をしてもらっていました。優敬は寝るときは必ずおっぱいを飲んでいましたが、時々飲まずに寝れる日が出てきたので思い切ってやめる決心をしました。少し大変なときもあったけど、まぁわりとすんなり止めれたほうだと思います。もう二人のおっぱい飲むあのかわいい顔は見れないんだなぁと少し寂しい気分です。でも、まぁ心置きなくお酒が飲めるんですけどね♪母乳育児に関して、私はいろんな経験や勉強をさせてもらったなぁと感じます。仕事を持ったママだからこそ、忙しい中誰でもない私がおっぱいをあげる時間を半ば強制的に持ててよかったなと、卒乳してから思うようになりました。もしミルクだったら、きっと私は旦那さんに任せてしまうと思います。そればかりか本人たちに持たせて、自分は家事をしているような気さえします。なので私たち親子にとっては、母乳育児が必要だったんだと最近よく思うようになりました。おっぱいと二人のかわいい子供たちに感謝です。ありがとう。進級おめでとううちの庭に二人の進級祝いのごとくチューリップがたくさん咲きました