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カテゴリ:まる子だより
今夜から、大河ドラマ「義経」が始まる。タッキーの美しい牛若丸姿もなかなかステキだし、義経の愛した女性・静御前の伝説が残る地に住んでいることもあって、楽しみにしている。
それにしても、あまりの近さに、その伝説の場所へ行ったことがないということに、今さらながらに気づいた。母を誘う。明日の句会に提出する俳句が生まれずに苦しんでいた彼女は、渡りに舟とばかりにそそくさと出掛ける支度を始めた。 戸締りをする。火の元を確認する。電話を留守電に切りかえる。靴を履く。やっと車に乗り込み、さて出発...と思いきや、帽子を忘れたと言う。待つことしばし...車に乗ってドアを閉め、今度こそ...あ、勝手口閉めたかな? ...確かめに戻る後姿に「これだからA型は...」とブツブツ。「やっぱり閉まってたよ。私、ちゃんと閉めたんだもの」明るい笑顔に、何も言えず、とにかく出発。やれやれ... まずは一番近い『思案橋』へ。国道354号に出て、古河方面と向かう。場所は総和町下辺見(そうわまちしもへみ)。ほどなく到着。普段、生活道路として使っている道なので、年中通っている場所だが、改めて見るのは初めてだ。車から降りることなく通過しているいるので、『思案橋の由来』などというものが建っていることも初めて知る。 義経を追ってこの地へやってきた静御前は、ここで義経の死を知ることとなる。京へ戻ろうかこのまま行こうかと思案にくれたということだ。向掘川(むかいぼりがわ)という小さな川にかかる小さな橋で、今となっては静御前が苦悩した面影はどこにもない。 その後、静は、義経の叔父が住職をつとめる高柳寺へと、身を寄せるために引き返すが、道すがら路傍の柳の枝を結んで、標としたそうだ。また、食事の際に箸として使った椿の枝を、義経のかわりに大きく育ってほしいと願い、地面にさしたという言い伝えもある。 この柳は「静結びの柳」と呼ばれ、利根川べりで細い枝を風にまかせている。その隣に「静の椿」が並び、一つ二つ赤い花びらが、今まさに開こうとしていた。このあたりは字名を「静帰り(しずかい・しずかかえり)」と言うそうである。 左:運命に翻弄された静の如く、北風に揺られているか細い柳。 右:右端の黒い固まりが椿。「静の椿」と書かれた石碑と母が中ほど。暗くてなんだかわからん^^; ここから利根川沿いの道を、国道4号に抜け、利根川橋を渡る。埼玉県栗橋町だ。 駅前のそば屋で、昼食をとる。メニューには、義経定食や静定食があり、改めて縁の地なのだと感じた。そば屋のお姉さんに『静御前の墓』を聞くと、この並び3軒ほど先ですよとのこと。なんと駅から徒歩1,2分のところにそれはあった。 「静女之墳」 頼朝に追われ、京を出る義経と静は吉野山で別れ、これを最後に二人は二度と会うことはない。別れ際に義経は、静に小さな鏡を与えて、これを私だと思って朝晩ながめるよう、言い聞かせた。 【見るとても嬉しくもなします鏡恋しき人のかげをとめねば】 静 頼朝に捕らえられた静は、鎌倉に送られ、義経の居場所を詰問されるが、静は一切答えない。捕らわれの身となった静に、頼朝は舞いを所望する。鶴岡八幡宮の舞殿でのことだ。時は1186年4月6日。 【吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人のあとぞ恋しき】 舞い終えた静は、この歌を詠んで義経を偲び、頼朝を激怒させた。この歌には本歌がある。 【み吉野の山の白雪ふみわけて入りしにひとのおとずれもせぬ】(古今集壬生忠岑) この時、静のお腹には、義経の子が宿っていた。 同年7月、静は男児を出産するが、頼朝の非情な命により、使者安達新三郎によって、由井の浦に捨てられてしまう。失意のどん底にあった静は、1189年1月、いよいよ義経を追って、奥州平泉へと向かった。5月、静はようやく下河辺荘高野(埼玉県杉戸町)にたどり着き、古河の関所をめざすが、関所での取締りが厳しく、高柳(栗橋町)で一泊する。この頃、藤原泰衡の軍勢に襲われた義経は、衣川館にて自害を遂げていた。静から話はそれるが、義経が自害する直前に、弁慶と詠み交わした歌がある。 【六道のみちの巷に待てよ君おくれ先だつならひありとも】 弁慶 【後の世もまた後の世もめぐりあへそむ紫の雲の上まで】 義経 死後も再会の約束をする弁慶の歌に、後世できれば戦のない紫雲の極楽で会いたいものだと、義経が歌を返したものである。 さて、奥州路を下逸見(茨城県総和町)までやってきた静は、旅人から義経の死を知らされた。ここで、先の『思案橋』での話に繋がるのである。生きる望みを失い、精根尽き果てた静は、剃髪し尼となったが、京へ引き返す途中の9月15日、病のため伊坂(栗橋町)で義経の名を口にしながらこの世を去った。 「静女之墳」と書かれた墓碑の後ろには、静が詠んだ歌が二首刻まれている。 【吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人のあとぞ恋しき】 【静やしづしづのをだまきくり返し昔をいまになすよしもがな】 (本歌:古のしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな 伊勢物語) 「吉野山みねの白雪ふみわけていりにし人のあとぞ恋しき」の歌碑 静の墓のすぐそばには、「義経招魂碑」と生まれてすぐ命を絶たれた静の子の「静女所生御曹司供養塔」の二基もある。死して初めて、愛する者たちと一緒になった静の魂は、安らかに眠っているのだろうか。 「義経招魂碑」(左)と「静女所生御曹司供養塔」(右の丸っこいの) 写真の腕のせいで、暗くて何もわかりませんね^^; 【舞う蝶の果てや夢見る塚のかげ 座仏】 という句碑もある。 静が最期を迎えた伊坂の高柳寺だが、現在は、光了寺として、茨城県古河市に移っている。静の遺品である「舞衣」や、鏡、守本尊などが残され、静の戒名の記録も過去帳にあるそうだ。 今回、ここへも訪れたが、住職には会えず、遺品を見せていただくことはできなかった。そう遠くはない場所なので、いずれ近いうちに、もう一度訪れたいと思っている。 光了寺 強く時代を駆けぬけた英雄・義経と、美しく時代を舞った白拍子・静御前の恋物語。激しくも儚く、義経を愛し続けた静を、今夜からの大河ドラマ「義経」で、石原さとみが演じる。どんな静を見せてくれるのか、期待とともに見届けたいと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【賢人訓より】 《多岐亡羊》...たきぼうよう 戦国時代、漢のの思想家揚朱(ようしゅ)の隣家で羊がいなくなった。一家総出で捜し回ったが、あまりにも分かれ道が多くて結局は見失ってしまった。 人の生き方も、根本はひとつなのにもかかわらず、いろいろに分かれていて、簡単にはその生き方を見つけられないものである。 どの道をとるべきか迷った時には、まず、真の目標は何であるかをよく考えてみよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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