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テーマ:食べ物あれこれ(50367)
カテゴリ:まる子だより
毎日、給食業務に奮闘中の私。やりがいもあり、楽しく仕事をさせてもらっている。不平不満がないわけではないが、そんなことを上回るほど与えてもらっているものが大きい。何よりも誇りをもって、仕事をできる。感謝、感謝だ。
ただ一つ、気になることは、残飯の量である。細かい数字まで計算して栄養を考え、美味しく食べられる工夫をし、新鮮な食材を選び、心をこめて調理する。考えうるかぎりの努力は、怠ってはいないつもりだが、毎日の残飯を眺めるのは心底辛い。 全校生徒400人ほど。残飯は、毎日10kg単位で出る。私たちが調理した料理だけでなく、主食や牛乳などを加えれば、めまいがするくらいの量になる。 ワゴンが返却されてくれば、まず食管のフタを開けて残をたしかめるのだが、毎日一喜一憂だ。欠席が多かったり、小食の子がたくさんいたりと、一括りにすることは難しいが、そんな事情を差し引いてもなんの慰めにもならない。残飯をながめ、なによりも食べ物がかわいそうになる。 豚や鶏などの動物はもちろんだが、野菜や果物だって命を投げ出して私たちを生かしてくれているのだ。 私たちが子供の頃、たった三十余年前のことだが、給食で残ったパンは家に持ちかえったものだ。お休みの同級生がいれば、近所の子がその子の家まで届けるようなこともあった。自分が風邪をひいて学校を休んだ時に、お友達がパンを届けに来てくれるのが嬉しかった。「パン持ってきたよ~」「早く元気になってね」「明日は待ってるからねぇ」という友達の声を聞いて、俄かに元気が出てきたものだ。 今では、衛生面からの指導で、一切持ち帰りは禁止されている。たしかにずぼらな男の子などは、パンを持ち帰るのを忘れ、机の中や給食袋をカビの色に染めている子もいたが、だからなんだということもなかった気がする。先生に拳骨の一つももらって、緑色になった給食袋をビニールに入れて持ち帰ったり、机をきれいに掃除させられるのが落ちだった。 食べかけのものならば、まだムリに自分を納得させることもできるけれど、手をつけていないパンや牛乳を、ゴミとして収集業者に渡すのは心が痛む。 給食の残飯は、ゴミ収集業者によって処理センターに運ばれ、焼却処分にされる。運搬費用や焼却のための費用だって莫大なはずだ。全国の小中学校学級数約30万クラス、給食実施率が約95%、一クラス1kgの残飯が出ると仮定して、毎日285トンもの残飯が処理されているのだ。もちろん、家畜や魚の餌として利用したり、堆肥化してリサイクルしたりと、焼却せずに活用する方法に取り組んでいる地域もたくさんあるだろう。それでも、大半は莫大なお金をかけて、ゴミとして処理されているのである。 一昔前までは、学校でニワトリやうさぎ、山羊などを飼育して、残飯を餌としていたところもたくさんあったはずだ。私の勤務する学校でも、うさぎとニワトリを飼育しているが、彼らが消費してくれる残飯は野菜くずのみで、調理済みのものはすべてゴミとなる。一時期は養豚場に運びこまれていたこともあったようだが、その養豚場も今はなく、回収してくれるところがなくなってしまった。堆肥としてリサイクルすることに行政が取り組んでいるのかは定かではないが、有機物である残飯をそのままゴミとして処理してしまうのは実にもったいないことだと思う。 最近、「食育」という言葉があちこちで聞かれるようになった。学校給食では、「食べ物の大切さ」を知り、「感謝する心」を育むということが理念の一つにあげられている。よりよい食習慣を身につけ、栄養の改善・健康の増進をはかることが目標だ。 基本にある「食べ物の大切さ」を子供たちに学んでもらおうと思ったら、まずは食べられるという幸せを感じることが第一だろう。好きなものを好きなだけ食べ、ひもじさという言葉さえ知らずに育った子供たちに、大人になってから感謝して食べなさいなどと言っても、理解は難しいだろう。やはり就学前の幼児や遅くても小学生の時に、しっかりと心仁植えつけていく指導が望まれるんじゃないだろうか。 生ゴミを堆肥化して、野菜や果物を校内で育て、収穫したものを給食で使用するという、すばらしい循環を実践している小学校をみつけた。全国的に広がればステキ。なんと東京の学校だ。 現在では、子供たちに無理強いして食べさせることはしない。これはこれで大切なことだと思う。余計なストレスを与えることはないし、本来楽しいはずである食事の場を嫌いになってほしくはない。ただ、子供たちに残飯の現状や、リサイクルの必要性や、処理にかかる莫大な費用が税金でまかなわれていることなどをきちんと理解してもらい、どうしたらよいのかを考えてもらうのも教育ではないのだろうか。嫌いだと思っているものや初めて見たものでも一口は食べてみる、小食の子はたくさん食べられる子に分ける、これくらいのことでも塵も積もれば山になる。自分たちが食べているものが口に入るまでの手間や過程を知ってもらい、そのうえで、押しつけるのではなく子供たち自身に考えてもらえるような指導が大切なのではないかと思う。 まあ、酢の物やサラダのキュウリ、揚げ物の付け合わせであるキャベツまで火を通す料理では、おいしさも半減ではあるけれどね。衛生面ばかりを重視するあまり、失ってしまうことのなんと多いことか。 添加物(食品添加物ではなく、給食に添えられる補助的な食品、マーガリンやミルメークやマヨネーズなどの個別パックになっているもの)やパンくらいは、家庭に持ち帰ってもいいんじゃないかと思ってるんだけど...それだけで、どれだけ残飯が減ることか... ポリバケツの中で泣いているゴミという名の食べ物たちに、もう少し目を向けてもらえたらと思う。休んだお友達の家に、パンを持っていく子供の一団を見かける日が、かえってくることはないのだろうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【賢人訓より】 《夜郎自大》...やろうじだい 夜郎は、今の中国貴州省(きしゅうしょう)の西にいた小民族。自大は、自分は大きいと思い威張っていること。 昔、夜郎の王は漢の広大さを知らずに、漢から来た使者に対して「我が国とどちらが大きいか」と聞いた。 世間知らずのために、自分の力量を知らず大きな顔をしていたのだ。 どんな時でも思い上がったりせず、いつも謙虚な気持ちを忘れずにいよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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