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カテゴリ:スピリチュアル
この世の中の現実は、すべて自分の心の反映だとよく言われます。 良い事も悪いことも、すべては自分が作り出している・・・。別な言い方をすれば、現実には「よい事」も「悪い事」もなく、その「現実」を「良い」こと、あるいは「悪い」こと、として判別しているのは自分の心である、ということでしょう。 「ゆるし」という本を読んでいて、やはり同じ考え方が書かれていました。 曰く、自分を守ろうとするあまり、責任を自分以外のことに求め、時には責め、時には怒り、時には恨んだりすることが人間、往々にしてありますが、結果は自分を守ろう、という意図とは逆に自分が苦しむ結果になるのがオチです。 人を責める・・・一見、相手の非が当然のように思える出来事があって、自分が「被害者」だと思えたら、どうしてもその相手を責めてしまいます。 人を恨む・・・・・これも、やはり相手が悪く、自分が被害を蒙ったと思えたら、なんでそんなことをしたのか、と人を恨むこともままあります。 人に怒る・・・・・この世は不条理に満ちていて、特に、「なんで私が」ということになった場合、その原因を他者に求めがちです。上の「責める」「恨む」を通り越して、「怒る」「憎む」というところまで言ってしまう事もよくある話です。 これらのことも、初めに書いた「現実は自分の心の反映」と言うことに照らしてみると、実際の、あるいは本当の原因は自分にある、ということになります。 「ゆるし」というのは、それを認める事でしょう。 言葉で、「人をゆるす」というのは簡単そうですが、これは非常に難しい。もしこれが出来たら、その人は永遠の心の安定を得られるでしょうね。 つまり、自分を守るため、という考えを徹底したら、「ゆるす」という方が、よっぽど自分のためになるわけですが、目に見えるもの、目前の損得にすぐに目が言ってしまう私たちにはなかなかそれを理解するのが難しい。 そして、その「ゆるす」ということも含めて、全ての現実の「因」は自分にある、と考え、そこに立ってすべての事に当たる、ということが出来たら、その人の世界は、逆に平和に満ちたものとなるんでしょう。 これは自己犠牲とか、反省とか、そういう次元の話ではないはずですから・・・・。 これを実際にやるための方法として、「なぜ自分はそれ(またはその人)をゆるせないか?」ということを書き出して、その一つ一つをじっくり考え直してみる、という方法が紹介されていました。 実際に自分でも、ある「ゆるせない人」の例で試してみましたが、これはなかなか効果的でした。 自分が何にこだわっているか、自分が何に「価値」を置いているのか、そしてそれは本当に正しいのか、あるいは本当に自分が欲している事なのか、ということを考えるいい勉強になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.07 05:44:16
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