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カテゴリ:スピリチュアル
実は、この楽天ブログ以外に、二つ(本当を言えば三つ)の別のブルグを書いているのですが、そのうちの一つは、少し前まで 「幸せのカタチ」 と題して、私自身の幸せとは何か、もっと言えば「人にとっての『幸せ』とはなにか」ということを少し書き始めていました。多少、この楽天ブログで書いていることと重なる部分がありますが、より集中した形で書いていました。 私自身、この問いに対する答えは、いろいろな紆余曲折を経て、今現在思うところでは、という回答を持っているのですが、当然、この問いははなはだ主観的な面があります。 ですので、私自身が考える「幸せのカタチ」というものは、けして普遍的なものではありません。 ですが、世の中に満ち溢れる「不幸」を見るにつけ、こう考えれば、同じ状況の中で「幸せ」を感じることが出来るハズ、ということは往々にしてあります。 この命題の、私の中での追求は、50歳で早期退職した時の前後から、急速に自分自身の中で芽生えてきた、「人間の存在意義」への疑問と並行して始まりました。 これは、今まで折に触れて、ここに書いてきたとおりです。 こんなことを考え始めてから、ほぼ10年。 だんだんと、自分の中でその問いへの回答が明確になってきているのを感じると同時に、その回答が次の疑問へと繋がっている、というのが素直なところです。 人はなぜ生きるのか。 あるいは、生きなければならないのか。 自分はどこから来て、どこへいくのか。 なぜ「自殺」はいけない事なのか。 善と悪とはなにか。 人間存在の究極の目的は何か。 もっと言えば、この「世界」の存在意義はなにか。 この「世界」というのは、いったい何なのか。 生命の、非生命との対照における「意味」とはなんなのか。 こういった、もろもろの根源的な疑問に対する一定の、自分が納得できる回答が得られた今、次の疑問に今ぶつかっています。 つまり 「そのような世界、そのような人間の存在意義、そのような生きる意味を前提としたときに、では、今自分はどう生きるべきか」 という疑問です。 この疑問は、ほとんどの人が抱く人生に対する疑問だと思うのですが、普通は「自分はどう生きるべきか」という疑問が先に来て、それから、その疑問を追及する過程で、いろいろな疑問が生じ、それを追求してゆく、というのが普通だと思います。 ただ私の場合は、歳も歳だったので、それがたまたま「人間の幸せとは何か」という疑問から発して、同じ疑問にぶつかり、それが回りまわって、「ではどう生きるべきか」という疑問に戻ってきた、という感じです。 ただ、同じ疑問でも、その出発点は大きく異なっています。 昔は「考え方」という面が強かったのですが、今は、具体的な実践面での問いかけに変わりつつあります。 今日も、午前中の教会での礼拝、 そして午後からの人間存在に関する勉強会を通して、この一点を考え続けた一日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.01.09 13:05:49
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