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☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆ マリー・ローランサン …「洗濯船」のミューズの生涯 … 1883 10月、 パリで私生児として生まれ、 事実上の父は代議士であった為、経済的不自由はなかった。 夢見がちな少女時代ののちに、画家を志すようになり、 当時の先進的な芸術家グループの一員となります。 彼らのたまり場だった、アトリエ兼用の古いアパート、 通称「洗濯船」で、ピカソやアポリネールらとの 伝説的な青春時代を送ります。 その後、ローランサンは 「淡い色調と簡潔なフォルム、憂いをたたえた詩的な女性像」 という独自の画風を作り上げていきます。 30歳になるころには有望な新進画家として世に知られ、 当時、パリに各国から集って「エコール・ド・パリ派)」と 呼ばれた多くの芸術家たちの中でも、 重要な一角を占めるようになっていきます。 ところが、31歳の結婚直後に始まった、 第一次世界大戦のため、 その後7年間に及ぶ亡命生活を強いられ、 愛する故郷や、親しい友人たちとも離れたこの間の作品は、 どれも痛いような、孤独にあふれていました。 戦後、離婚して単身パリに戻ってから、 マリーは、まるで過去をふっきるように、 大胆に、画風を変えます。 彼女の絵の「憂い」を一切消し去り、 繊細さと華やかさと官能性をあわせ持つ、 夢の世界の幸せな少女像を生み出しました。 ローランサン『二人の姉妹』リトグラフ 再び戦争に向かう前のつかの間の平和のひととき、 「狂乱の1920年代」のパリで、 マリーは時代の雰囲気の表現者となったのです。 マリーに肖像画を注文することが、上流婦人の流行となり、 また舞台装置や衣装のデザインなどでも成功を収めました。 その後、第二次世界大戦ではパリを占領した ナチス・ドイツ軍に、自宅を接収され苦難に出会い、 終戦を迎えました。 世の美術の動きが、 より急進的になっていくのを見守りながらも、 静かな老いの中で、 マリーは、命を賭し確立した美の世界を 描き続けながら、1956(昭和31)年に亡くなりました。 淡い色調で描かれた甘美な女性像と 独自の叙情的な魅力の作品は、 今も多くの人々に愛され続けられています… ☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆
シャガールで土曜日! 2009.06.26
『日曜日の絵!』 2009.02.22
『雛まつりをアートで』 追記&お知らせ… 2008.03.03
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Jose2812
リヤドロが大好きで、リヤドロミュージアムを創っています。大作の手作りミニチュアドールハウスも☆ イギリス縦断、地中海クルーズ、北欧4カ国の紀行文を、豊富な写真でお届けしています。心豊かな大人のロマンのひとときを、ご一緒に☆
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