生きるということ、死ぬということ
天国はまだ遠く 「瀬尾まいこ」死に場所を求めてたどり着いた宿で 結局死ぬことが出来ずにそのままその宿の風変わりな男との生活が始まり その自然の中に包まれた生活の中で自分を取り戻して行く 自己再生(?)の物語。よくよく考えてみると私はいままで「死にたい・・・」と考えたことがない。悲しいことがなかったわけじゃないし 辛いことがなかったとも思えない。自ら命を絶つということにひどく罪悪感を感じるわけでもなし そういう人たちを否定したいとも思わない。では なぜ? 一番には自分が自らの意思で死を選ぶということによって残された人がどう感じるかと言うことを考えてしまうからだと思う。それは その人を失うという喪失感だけではなく 自分ではどうすることが出来なかったという別の意味の喪失感をきっと感じてしまうと思うし その喪失感はきっとその人にとって一生消えることがない傷を残してしまうと思うからだ。自分以外の人に 自分のことでそういう傷をつけることを考えると 一番してはいけないことのように思う。だから 自ら命を絶つという行為は 不特定多数の人に対してある意味究極の復讐のような気がする。自分がそういう思いをしたことはないのだけど きっともし自分のために誰かが自ら命を立つようなことがあったとしたら それこそそのまま普通に生きていくことが出来るかどうか・・・・そう思うと 私は自分のために生きている一方で 人のために生きているとも思う。もし 生きているということが自分だけのためであったら 死もまた自分だけのためであると思う。私はきっと自分だけのために生きていると実感がないから 死に対しても実感がないんだと思う。自分の意思では 決めたくないんだと思う。この本を読んで 作者の意図とすることとは違うかもしれないけど ふとそんなこと思った。外は時々冷たい雨。蒸し暑い梅雨に入った。でも そこには時々気持ちをブルーにする背景色はあるにしても そっと忍び寄ってくる死を呼ぶような暗い色はない。