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カテゴリ:シリアスな話
昨日の日記、一部訂正致せねば・・・
『日本人男性の理想』については、あのままに。 なぜなら、私見であるが、やはりそう感じるから。 また、例の小説の女性の描きかたも、あのままで。 なぜなら、これも私見であるが、やはり男性小説家から見た女性像だと思うから。 では、一体『何』を訂正したいのか? 私は昨日してはいけないことをやってしまった。 つまり、読み終わってない本に対して批評を行ったこと。 これ、ダメです。絶対に! 小説であれ、映画であれ、漫画であれ、『何』であれ・・・ 途中で『ハァ~!?』と思っても、必ず最後までストーリーを見守らなければ。 でなきゃ、コメントは言っちゃいかんのですわな。 昨夜、寝る前にあの小説を手に取った。 未読のページがあと少し残っていたので、とりあえず読んでしまおうと思い・・・ 昨日のブログで、今クライマックスに差し掛かっていると書いた。 そう、ちょうど主人公が恋人の首を絞めようとするところ。 そこから再び読み出したのだが・・・ まず、物語のおさらい。 主人公の青年は脳移植を受け、命を救われた。 が、しかし。 生前のドナー(凶暴な人物)の記憶がその移植された脳に残っており、 温厚だったはずの彼(主人公)の人格を乗っ取ってしまった。 考えてみてください。 姿も体もすべて自分のはずなのに、意識は自分でなくなるということ。 つまり、『自分という存在』が封印され、別の人物にコントロールされるようになるということ。 そうなってしまった主人公は発狂し、殺人まで犯してしまい、 挙句の果て愛してやまなかった恋人の首までも絞めようとする。 が、しかし。 本当に、『が、しかし』なのだ。 寸前のところで彼は手を止める。 なぜなら、封印されていた『自分』、なくなりつつある『自分』が一瞬戻って来たのだ。 さて、何故でしょう?何故だと思います? これ、『愛の力』なんですよ。 『愛』は何よりも強いパワーを秘めている。 『自分』が『自分』でなくなって、最新の医学でも主人公の凶暴化を阻止するどころか、 その進行を遅らせることすらできないのに。 恋人が彼に向ける一途な想い、そして彼が正常だった時(移植を受ける前の頃)に 彼女へ向けていた切ないほど純粋な気持ちが『愛』という 爆発的な効力を生み出した。 一瞬だが、ほんの一瞬なのだけど、彼は封印されていた『自分』を取り戻す。 確かに『愛』はどろぬまの状況を覆したのだ。 だから、彼の手は止まった。 そして、彼はある決断を・・・ 私、号泣しました! 小説を読んでこれほどまで泣いたのは、本当に久しぶり。 普段結構辛口なこと言ってるクセに、私もやはり女なんだなと思った。 そして、人間なんだとも。 女だからこそ、人間だからこそ、『愛』に弱い。 そして、『愛の力』に感動させられるのだ・・・ つたない文章で、しかも完全に自分の世界に浸りきって本日のブログを 書いているので、『ワケ分からない!』と思われても仕方ないけど・・・ まあ、私の暴走はともかくとして。 皆様、ぜひこの小説を読んでください。 東野圭吾作、『変身』です。 確かに、私から見ると女性の描き方に多少物足りなさを感じる。 しかし、読み終わってみると、もうそんなことどうでもよい。 『生きる』ということはどういうことか? 『自分』を失っても、生きる価値はあるのか? 『目に見える世界で生きること』、『目に見えない世界で生きること』とは? などなど、色々と考えさせられる小説。 そして、『愛の力』の凄さ、偉大さも知ることができる。 ただのサスペンスのように、犯人さえ分かればそれでおしまい、 というものでは決して、ない。 きっと、この小説は私の中で長く生き続けるでしょう。 『君を愛したことを忘れない』 主人公のこのセリフが、今でもジンジンと心に響いている・・・ ***************************** 追記: 上記の『君を愛したことを忘れない』は、この小説からそのまま 引用しましたが、昨日のブログにあるセリフの数々は要約であり、 直接の引用ではありません。 非常に細かい点ですが、時折細かく突っ込まれることもありますので 念のために・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月11日 21時34分51秒
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